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故郷について。

最近、故郷の山形のことをよく思う。

自分は山形で生まれ、高校までの18年間、山形で育ってきた。
しかし、実際山形について表面の知識はあれど、自分自身で体験し、その中身をちゃんと知っているかというと、結構怪しい。

自分の生まれたところは、宮城県との県境から車で5分ほどの場所。
車だと、山形市と仙台市までの所要時間も同じくらい。
休日の買い物も、出かける時も、行き先は山形県内では無く仙台であることの方が多い。

高校を出て、千葉に引っ越してからは、山形は帰省の時に年二度ほど帰るだけの場所になった。山形新幹線は福島から在来線を走る関係上、東北新幹線で途中の古川まで行って、そこから親に車で迎えにきてもらう方が圧倒的に早い。

実家に帰っても、近所に何か娯楽施設があるわけではない。家から出ることといえば、奇跡的に徒歩5分圏内にあるファミマに買い物に行くか、ちょっと気晴らしに近くの観音様に散歩に行くくらいだ。年に2回の、変わり映えしない小さなルーティンだ。

千葉に出て今年で9年になる。
ここ5年くらいだろうか、よく山形を特集した雑誌やテレビ番組、YouTubeの動画をよく見るようになった。もっと前、そう気づく前から、メディア上ではたくさん紹介されていたかもしれない。

いろんなメディアで山形を見ることが多くなってから、自分がそこで生まれ育ったことを忘れてしまうくらい、何も知らないことに愕然とした。

例えば、実家から車で30分ほどの場所にある銀山温泉。東北の有数の観光地で、温泉と大正時代の面影を色濃く残す町並みは、国内のみならず海外からも多くの観光客で賑わっている。
自分はというと、一回も行ったことがない。

蔵王だってそうだ。冬の樹氷が美しく、吹雪になることが多くても、それでもスキーや山の麓の温泉街を楽しむために、ここにも多くの観光客が足を運ぶ。
自分はというと、10年以上前に入っていたスポ少の1年の活動終わりに、みんなでスキーをしに行ったくらいである。
その時も確か吹雪いていて、眉毛が凍っていた気がする。早くロッジに入って温かいココアか何かが飲みたくて、樹氷どころじゃなかった。

他にも、米沢の上杉神社も行ったことがないし、米沢牛も人生で数回食べたことがあるだろうか。(単に値段が高いということもある)

考えてみれば、自分の山形に対する知識なんて、そんなものなのだ。

県外の旅行好きの方々の方がよほど山形に対する知識、愛もすごいだろうし、そんな方々に比べれば、恥ずかしながら自分は足元にも及ばないだろう。

もっと山形を知りたい。表面的では無く、具体的な中身そのものまで。

年末年始、4日間帰省した。しかし風邪をひいて2日間は寝込んでいたので、その代わりということで、先週2日間また帰省した。
いつもは東北新幹線で帰るが、たまにはと山形新幹線で帰ることにした。目的地は一緒なのに、手段が変わるだけで、テンションが結構上がる。

福島を過ぎ、山形新幹線つばさは高架線を降り、在来線区間を走行する。それまでとは打って変わった、のんびりとした走行ペース。しかし意外にも、お客さんの数は多かった。自分の周りの座席は、海外の旅行者ばかりだった。
福島から米沢に至るまでの峠超えの区間は、水墨画のような白と黒の世界で、みんな食い入るように車窓を見つめ、思い思いに写真や動画に収めていた。

銀山温泉の最寄駅、大石田駅ではたくさんの人が下車した。みんな、随分前から宿を予約しているのだろう。期待に溢れている旅行者の顔は、みんな楽しそうだ。

久々のつばさに乗り、山形県内のいろんな街を通りながら進む3時間強の旅路。
山形がたくさんの旅行者に愛され、自分はそんな場所で生まれ、育ってきたと気付かされるには十分な時間だった。
この時間は、自分が山形をもっと知り、もっと愛せるように見識を深めていくための多分第一歩だったんじゃないかと思う。

ここは自分の地元なんだと、胸を張って言える、誇れるようにもっと勉強し、もっと好きになっていきたい。

今年の、これからの、小さな目標。

ただ、これだけは言える。
実家の手料理、中でも祖母が作る芋煮は最高だ。

これのために帰っていると言っても、過言では無い。
どうかいつまでも、この芋煮を食べれますように。

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