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憧れの人に会ってみたが。「横浜FC」の中村俊輔(v2)。

このnoteは多くの人に読んで欲しいと思ったので書き直ししたものです。

↓編集済み

あなたの憧れのアイドルは?

2019年の8月、サッカーを見始めてからずーと憧れだった選手に直接会うことができた。それは2000年代、日本代表で10番を背負った中村俊輔である。まあ、会うといってもサインをもらっただけだが。

そこから考えた。会えるアイドル、それはスポーツ選手にも当てはまる。そしてその選手の中にはスターと呼ばれ、ファンは幸せなことに一応サインをもらうことができる機会はある。

人は、なぜサインを貰いたがるのだろうか?特にファンならなぜ?サインをいただいて改めて思った。そしてその言語化に挑んだ。言語化に成功したかは不明だが、とりあえずその言語化へのプロセスを最後らへんに書いた。

僕と中村俊輔

ドイツワールドカップ大会からサッカーを見始めたが、当時日本で1番のお気に入りの選手は俊輔だった。うちは当時スカパーに加入していなくて地上波のみでサッカーを見ることが出来た。つまり、基本的に見れたのは代表戦のみであり、たまにNHKでJリーグの試合を見ることができた。俊輔は日本の不動のエースであり、彼の蹴るフリーキックは日本の大きな武器の一つだった。(実際、岡田JAPANはこの武器に相当助けられた。)

最初に見たものに強い衝撃を受ける。そんな単純な人間だったので俊輔を好きになった。多くメディアに取り上げられていたしね。小学校の図書館に俊輔の伝記があり誰よりも早くその本を借りた。テレビで俊輔のサインが抽選でプレゼントされると聞いたらすぐに応募した。アディダスのマークが入っていない俊輔の日本代表のシャツを買ってもらった覚えがある。(あれはなんていう種類のシャツなんだろう?)そのおかげか、アディダスというブランドを好きになった。今は、ナイキの方が勢いがあるがそれでも基本的にアディダスの方が好きだ。

南アフリカW杯アジア地区予選での戦いで、誰よりも日本のために戦ったと思う。最終予選のバーレーン戦など苦しい時もフリーキックで日本を何度も救ってきた。メディアにも積極的に出演した。やべっちFCの企画ではゴールキーパーに挑戦。忙しいスケジュールだったと思うが、日本のためにあらゆる面で一人でよくやってくれたと思う。(他の選手も積極的にメディアに出演してくださった。)

だからこそ、誰よりもW杯で報われて欲しかった。更なる高みを目指し、2009年はスペインに渡った。だが、彼は通用しなかった。そしてW杯イヤーに憧れの木村和司(元日本代表の10番)が監督を務めていたマリノスから再度日本代表入りを目指した。

本大会前、日本代表の人気は明らかに下落していた。他のスポーツはスーパースターがいるが当時のサッカーと言えば唯一のスターの俊輔もコンディションが落ちていた。自国に存在感を出せる選手がいなければ盛り上がるものも盛り上がらない。

俊輔は、南アフリカ大会の23人に選ばれた。しかし、彼の代表での輝かしい時代はそこで終わりを告げた。後に日本代表を牽引する本田、長友の若手選手が本戦に出場。下馬評を覆し、日本代表は見事ベスト16。彼らは日本サッカーの人気を大きくあげることに貢献した。

一方、俊輔はオランダ戦のみ出場。それが俊輔の最後の代表戦だった。ボールロストが目立ち、世界と戦うには限界が来た。

俊輔は悔しさを隠しきれなかった。ザックJAPANのアルゼンチン戦かな、メディアにちょっとそっけない態度をとっていた。よほど悔しかったのだろう。もう俊輔は代表として世界と戦うには力を発揮することができない。

その悔しさを忘れなかった俊輔は、その後Jリーグで活躍。2013年にはjリーグMVPを獲得した。年末年始の番組内の企画で彼は華麗なプレースキックを披露。その度日本、いや世界中を驚かせてきた。どんなにサッカーが進歩しても魔法のキックには度肝を抜かされる。

思うようにいかない。その道を目指し続けて誰よりも努力してきた。人生を捧げてきた。それでもそこには行けない。けれど努力し続けたからこそ他に別の道ができるかもしれない。

そう思った。

決断

しかし昨年の夏、俊輔を見に行こうと決断した。俊輔は2019年に磐田から横浜FCに移籍したことは耳に入っていた。横浜なら練習場でサインを貰えると思い、練習日時を調べ横浜へ向かった。ついに憧れの選手に会える。

2017年に都内で大学生になったが、同年俊輔はジュビロ磐田に移籍してしまいサインを貰えづらくなった。しかし、まさか「マリノス」ではなく「横浜FC」の俊輔に会いにいくことになるとは。不思議に思った。どんなサッカーキャリアになるのかは誰も予想がつかない。

相模鉄道上星川駅から坂を登り、右往左往しながら保土ヶ谷公園サッカー場になんとかついた。徒歩でもいけるというがバスを使うことに越したことがない。サッカー場に着いたら、横浜FCの練習が始まっていた。隣のコートで高校生がサッカーをしていた。名前は失念したが強豪校の選手だったことは覚えている。

俊輔がボールを蹴るたび、観客席から歓声が上がった。心地の良いボールを蹴る音。他の選手はよくわからない。ちゃんと選手名鑑買って勉強しとけばよかった。他に知っていたのは松井とキングカズのみであった。

練習が終わり、サイン会が始まった。一人一人丁寧にサインをしてくれる選手の皆さん。ついに俊輔からサインをいただいた。間近で見る彼への第一印象は足が細いに尽きた。フットボールネーションと言う漫画でサッカーが上手い選手は足が細いと描かれていたが、その通りだった。

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間近で会えたからこそ発見した。元ブラジル代表のフッキ選手のごつい足も実は綺麗でシャープに見えたりして。

そしてサインをいただいたが、不思議とそんなに興奮しなかった。あれ、なんでだろう。13年越しにサインをゲットしたのに。書いている今でも不思議に思う。

言語化への挑戦

喉から手が出るほど欲しかったサイン、ずーっと会いたかった憧れの人物。

俊輔のサインを欲しがることは逆説的に言えば、僕が一番望んでいたのはピッチで伸び伸びと彼がプレーすることだったからかもしれない。

サインはどうやら記憶装置の役割をはたしているのは間違いない、それは個人向けだが。子供の頃使っていたおもちゃを見て懐かしい記憶が蘇ってくる。あのような感じだ。

思い出のために写真を撮る。ついつい撮り過ぎてしまい、後で整理し直して時間を食う。写真や動画はその瞬間をはっきりと視覚化してくれる役割を果たすし、他の人と共有することはできる。

サインも、似たようなものだ。その時のことは自分しか知っていない。当時の状況を自分だけで独占することが可能だ。サインをもらったとき、どのような瞬間だったのか、くれた人はどのような表情をしていたのか鮮明に思い出す。

そこでサインは、クラウドサービスではないかと個人的に思った。脳に記憶を蓄積するには限度がある。そこでサインにその人への感情、もらった時の状況を保存してもらえばいい。(特に思い入れのある人のサインなら)

クラウドに保存している中村俊輔というフォルダがあってその中にサインをもらった場所、自分の子供の頃の憧憬などなど子フォルダーがいくつも存在している。必要な分だけ情報を引き出す。

話は戻るが、サインをもらって冷静だったのは大人になったことに起因する。

子供の頃と今と俊輔への視座は変わってくる。

中村俊輔のサインを見るたびに、貰った時に冷静だったのは、子供の時から少しは成熟したからかな、時間が経ったからかなと結局無理矢理結論づけた。

最後に

先日同姓の「中村」憲剛が引退を発表した。5年ぐらい前から40歳で区切りをつけようと思っていたらしい。2020年はちょうどいい節目だろう。川崎フロンターレのリーグ優勝はほぼ確実だし。

憲剛が先に引退か。寂しいな。自分が歳をとることに恐怖を覚える。W杯には1回しか選ばれていないがJリーグをずーっと盛り上げてくれた。

俊輔とお別れする時だってそう遠くはない。

どんなに輝かしい左足を持っていたっていつかはスパイクを脱がないといけない。それでもどこまでやれるかはわからないが今後の俊輔の活躍を見守りたい。













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