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父が教えてくれた家族のこと

地元で初めての絵画展をしてみての振り返り。
家族にフォーカスして書いてみます。

わたしはすでに両親を亡くしていることもありますので、ここではカンボジア風に家族をいとこあたりまで広げて定義させてください。

わたしの父方はいとこがいないのですが、母が4人きょうだいのいとはん(末っ子)だったこともあり、伯父、伯母が6人、各家庭の子ども(つまり従兄弟、従姉妹)が合計6人、そして実の姉もいることから、小さいときは年末年始やお盆は勢揃いで大騒ぎの中で育ちました。

わたしはいとはんの家のいとはんということで、1番上のいとことは10歳も離れています。つまり、子どものころはずっといとこたちにかわいがられながらもみんなについていくのに必死というような立ち位置でした。

わたしが真面目にしてても、みんなわたしをいじってきては笑うという環境。大人になっても変わらずそんな接し方が続いていて、世間で見られているカンボジアでしっかり施設運営してるヒト像はそこにはなく、自分でもそれを心地よく感じています。

今回、初めて地元でイベントをさせていただいたわけですが、姉はもとより関東にいる伯母やいとこたちを除くすべてのいとこズが来てくれました。
18年前に亡くなった母を知ってくださっている方々も多く足を運んでくださり、偲ぶひとときも持つことができました。

姉は、仕事後ほとんど終わりかけの講演会にわざわざ駆けつけてくれ、10歳年上の従姉妹は会場で我が子の発表会を見るような落ち着かない気持ちで座っていたそうです。

みんな絵画展に来ても、特別わたしを褒めるでもなく、いつもどおりわちゃわちゃと茶化してくるのですが、必ず絵画やグッズを買って運営に協力してくれます。
10年も続けている和歌山市での絵画展でも同様だったはずですが、末っ子でぼんやりと育ったわたしはそのことを当たり前のように思っていたことに今回気づきました。

会場にあるご夫婦が来てくださって、
お父さんと一緒にカンボジアに行かせてもらったんやけど…
博子さんがテレビに出るとき、お父さんから電話あって見てやってって言われたんやで
と言ってくれました。

9年前に膵臓がんで亡くなった父は、若いころは超がつく遊び人でもあり、それこそ父も一緒にテレビに出たときにわたしの小さいころを聞かれて、
あんまり付き合いなかったからなぁ…
と答えたぐらい昔の父娘には距離がありました。

普段わたしがやっていることを誰かに言うそぶりも見せていなかったので、そんなふうに周りの人に宣伝してくれていたのかと意外だったのです。


そこでふと、小さいころからほめられるよりも茶化されるいじられキャラだったけれど、みんなが絵画展に来てくれるという行動をみれば、それが答えやんかという思いにも至りました。

見えるものの向こう側まで想像できる自分でいたいと思ってたのに、目の前の優しさが深いところまで見えてなかったな。

みんなに改めて目を向けるきっかけをくれたのはまさかの父でした。

絵画展が終わりホッとしているわたしを誘ってくれた1番上の従姉妹と焼肉をほうばりながら、みんなの顔を思い出している自分がいました。

自分の息子やカンボジアにいる子どもたちがいつかこんな味わい深い時間が過ごせるように、一緒にいる時間を大切に過ごさなあかんと分からせてくれた絵画展でもありました。

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