見出し画像

ガチ勢と思われたくて、ついついライブでTシャツを買って全身を決めてしまう人間isあたし

マウンティングという言葉がある。

マウンティング [2] 【mounting】
サルがほかのサルの尻に乗り、交尾の姿勢をとること。霊長類に見られ、雌雄に関係なく行われる。動物社会における順序確認の行為で、一方は優位を誇示し他方は無抵抗を示して、攻撃を抑止したり社会的関係を調停したりする。馬乗り行為。(三省堂 大辞林より)

近頃は「マウンティング女子」という言葉や、「マウントをとる」という表現まで一般的に使われるようになっている。


今日はマウンティングに遭遇したときの自分の捉え方を考えた。


わたしも実際に「ああこれがマウンティングか〜」という現象に出会ったことはあるし、まだマウンティングという言葉を知らなかった10代の頃にも出くわしていて、わたしが中学時代の人間関係で一番うんざりしていたのも教室という空間がマウントを取り合う世界だったからだった。


Twitterでは毎日様々な人の思考や考えが流れていて出会うのが楽しいのだが、その中にも明らかにマウントを誇示しての発言をする人もいて、周囲からも「マウントとってんじゃねえ」というようなリプが飛んで炎上してたりなんかもする。インスタで充実した生活と経済力とセンス諸々を「インスタ映え」として発信する女子をマウンティング女子とおちょくるというネタもたくさん見てきた。


そう、昔も今もこの世の中はマウンティングだらけの世界である。空気を吸うようにマウンティングは当たり前に見られる。


てゆーか、マウンティングは平たくいえば生物全てに存在するものであり、生存競争のために虫や鳥や動物が体を大きくしたり羽の鮮やかさや鳴き声の美しさを競うようなものだと思う。人間でいえば、ブランドだったり経済力だったり有名人の誰々と知り合い〜だったり、リムジン貸切パーティだったりするわけだ。そして、リムジン貸切パーティを「しない」という選択をあえてするのもまたマウンティングだったりする。


だから人間にもあって当たり前だしユーもミーも持っていて、本能的なものだ。マウンティングで常に何かしらファイトを仕掛けてくる人も片腹痛いが、人のマウント精神を見つけ引きずり晒し上げにしておちょくる人もまた自分のマウント精神と向き合えていない。「人のマウントを笑うな 山崎ナオコーラ」だ(違う)。


そこで自分の胸に手を当てて聞いてみよう。みんながついついやっちゃうマウンティング行為はなんですか?いまいちピンとこなかったらこう聞き直す。ついつい見栄を張っちゃうことはなんですか?


わたしの場合はタイトルの通りです。職場に着られない柄を買ったり、アルバム2枚分の曲しか聴いたことないのに無駄に2枚買ってみたりします。グッズつけなかったら「こいつ、ニワカじゃね?」と思われるんじゃないかと思ってしまうんだよね。ついついやっちゃう。ダサい…(笑)

学校で会社でマウンティングしてくる人間は疎ましいし、SNSでもマウンティングキラキラ飽和状態で疲れるんだろうけど、本能的なものだから。自分のmyマウント精神を思い出せばちょっと許せるんじゃないかな。

あとはマウンティングしてきたら自分と相手との間に檻を立てて「おっ!クジャクが羽を広げてる!」「おっ!めちゃめちゃさえずるやん!」とあくまで心の中に留めながら動物レベルに捉えて遠巻きに観察してみるといいかも。


まとめ
マウンティングは生物全てが持ち得ているものであり、わざわざその人に腹を立てたり揚げ足を取ったりすることなかれ。自分も絶対マウントしちゃってるから思い出して許せる心を持ちましょう。あんまり腹たったら本能だからシャーないと相手と距離を取っておきましょう。

さよならさんかくまたきてしかく






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?