追い出さなければ
追いコンとは、サークルやゼミなどの団体の中で、卒業していく4年生を送り出すためのイベントだ。
追いコンの「追い」とは何のことだろうと、大学1年生の頃に調べた事がある。
どうやら「追い出し」という意味らしい。
追い出すというのは、なんと物騒な物言いだろう。
そんなふうに身構えていた僕を拍子抜けさせるくらい、2年前に初めて参加した追いコンは和気藹々としたものだった。
ここで1つの疑問が浮かぶ。
なぜ、「追い出し」なのか。
別に「送別会」でもいいし、「お別れパーティ」みたいな軽いノリでもいい。
参加者の誰の心の内にも「追い出してやろう」などという心意気はないにもかかわらず、わざわざ「追い出し」という言葉を使う。
ずっと不思議に思っていたこの名称の理由が、先日行われた自分のサークルの追いコンでわかった気がする。
僕は現在大学3年生なので、その追いコンには運営代として臨んだ。
送り出すのは1つ上の先輩たち。
サークルに入ってから、1番長く時間を共にしてきた人たちだ。
楽しかった思い出は、いくら挙げれど底を尽きない。
上京してきてから、家族よりも長く顔を合わせている人たちだ。
悲しくないはずがない。
だけど、追いコンの最中に涙は溢れなかった。
なぜだろう。
数日経って、徐々にその理由がわかってきた。
彼らの存在が、当たり前すぎるのだ。
1つ上。
出会った時はまだ2年生だったこと。
苦楽を共に味わった3年間という歳月。
それらの要素一つひとつが、彼らの卒業という事実を濁す。
別れという抗えない結末が、先延ばしにされているような錯覚に陥らせる。
だから、「追い出す」のだ。
追い出さなければ、ずっとそばにいてくれると勘違いしてしまうから。
追い出さなければ、いつまでも頼ってしまいたくなるから。
追いコンの最後で、4年生は1人ずつ言葉を述べていった。
感謝を口にする人、後悔を口にする人、でもやっぱりサークルに所属して良かったと振り返る人。
その言葉には、その人たちの人柄が滲み出ていた。
あと1年で、自分もあちら側にいく。
有無を言わさず、後輩たちから追い出される羽目になる。
自分は、どんな言葉を残すだろう。
できれば、見栄えの悪くない姿で追い出されたい。
そのための1年間を、これから過ごしていこうと思う。
先輩方へ。
追い出したとは言えど、あなた達が残してくれた場所で、いつでも待っています。
もしくはあなた方のいる新たな場所まで出向くので。
かわいい後輩に、学生では少し手を引っ込めたくなるようなご馳走を恵んでいただければと。
何はともあれ、ご卒業おめでとうございます。
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