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僕の家の話

2023年12月末。
実家に帰省した際に母から、父が仕事の関係で海外出張することを告げられた。

僕は率直に驚いた。

この歳で?と。

僕の父は、今年で62歳になる。
定年退職までは大体3年ほど。

バリバリ現役で仕事をするというよりは、退職まで穏やかに今の会社で働くのだろうと、心のどこかで思っていた。

気になったので、母に尋ねてみた。


「どこに?」

「メキシコだって」

「どのくらい?」

「2年」


62歳で、メキシコ。
しかも2年。

日本語はもちろんのこと英語もあまり通じず、食生活や文化背景まで大きく異なる地。
僕は一度、高校生の頃に旅行で訪れたことがあるが、その時は「タコス美味ぇ」と無我夢中で頬張っていた記憶しかない。

しかし父の場合は、仕事で行くのだ。
タコスばっかり食っていれば良いわけではなく、現地の生活に根付かなければならない。
若さがあれば多少なりとも適応する柔軟さは持ち合わせているだろうが、今の父にその柔らかさがあるだろうか。

繰り返しになるが、62歳でメキシコ。
しかも2年。


「本当なら60歳過ぎたらお給料は下がっちゃうんだけど、出張に行くなら前と変わらない額のお給料が貰えるんだって」

母は、どこか安堵した様子でそう言った。

経済的な安定さが保たれることに、母はホッとしていたのかもしれない。
しかし僕には、どうしても拭いきれないある予感が頭に重くのしかかっていた。


この人は父の出張を、心のどこかで喜んでいるのかもしれない、と。


父は、ほんとうに家の事を何ひとつしない人だった。
というより、父親らしいことをしてこなかった。

姉の参観日にも、僕の運動会にも、父は一度も足を運んだことはなかった。
一緒に旅行に行った記憶は無いし、食卓を囲んだり、その日の話をしたりなんてことはほとんどなかった。


極め付けには、生まれてこの方、僕は父に誕生日を祝われたことすらない。


姉は父の事を快く思っていないようだが、僕は父の事が好きでも嫌いでもなかった。

好きになったり嫌いになったりするほど、僕は彼の事をよく知らない。


そんなふうな父親だ。
だから母が、出張を機に父が家を離れる事を前向きに捉えたとしても、酷い話では全くもってない。

実際、僕が大学進学を機に家を出るまでは、父と母が喧嘩をしていて家の中が居心地悪く感じることが珍しくなかった。

正直に言えば、父と母が離れて暮らしてくれればいいのにと思うことも、幾度もあった。


だから、僕にとっても父と母が離れて暮らすことは、良いことのはずだ。
むしろ父の出張を喜んでいるのは僕の方で、それを勝手に「母の願望」と脳内ですり替えることによって、自分の狡さや後ろめたさを誤魔化したかったのかもしれない、とすら考えられる。


以前までの僕であれば、きっとそうやって考えていた。


大学で心理学科に入って、いろんなことを学んだ。

その中には脳機能について学ぶことも頻繁にあって、その時にたびたび話題になるのは「認知症」のことだった。


人との繋がりや、社会との繋がりが絶たれると、急速に脳機能が低下してしまう恐れがある。
そしてそれが、認知症に繋がりうる。

そういう知識に触れる度に、僕の脳裏には必ず父の姿が浮かんだ。

僕は前から、常々考えていた。


僕の父は、会社を辞めたらどうするのだろう。
彼には、何が残るのだろう。


趣味もなければ、家族との関係も良好ではない。
働いてお金を稼いでくれるという役割を降りてしまった後の父に、僕を含めた僕の家族は、一体どうやって接するのだろう。


そして今の僕は、父のお金で大学に通わせてもらっている。
いや、大学だけではない。
これまで僕がやりたいと言ってやらせてもらった全てのことは、両親が稼いできてくれたお金がなければ叶わなかった。


そういう父の、父としての役割に、僕はずっと甘えてきた。
それなのに、彼が仕事を辞めた瞬間に、僕は彼を父と息子という関係から簡単に切り離せるだろうか。


社会から切り離されてしまった彼を、家族という枠組みからも切り離すことができるだろうか。


孤独になればいずれ、あまり良くない言葉だけれど、呆けてくる。
身体は元気だけど、心や記憶が元気でなくなる可能性がグッと高まる。


そうなった時、僕は彼の面倒を見ようと思えるだろうか。
面倒臭いと、思ってしまわないだろうか。


僕は多分、そういう部分で狡さを見せる。
もし父の心が壊れてしまったとしたら、僕は自分の将来にとって、きっと父を疎ましく思ってしまう。


そういう風には、なりたくない。


自分のやりたいことを、最大限やれる環境を作りたい。
だから、父をこのままいずれ一人にしてしまうのは良くない。

そういう合理的で、道徳的とは胸を張って言えない理由から、父との繋がりはきちんと持っておくべきだと思った。

そう考えた時、僕はあることに気がついた。


そういえば、父のLINEを持っていない。


このまま彼がメキシコに行ってしまったら、繋がる手段がないまま2年を過ごすことになる。

仕方がないから頼むしかない、と思い、僕は母に伝えた。


「僕のLINE、お父さんに追加させといてくれない?」

母は驚いたように尋ねた。

「どうしたの?急に」


僕は洗いざらい話した。

彼を独りにしておくリスク。
そうなった場合に訪れるかもしれない弊害。

そして僕が繋がりを保っておくことで、そのリスクを回避できるかもしれないこと。


全てを聴いて、母は僕にさらに尋ねた。


「今までの事、全部いいの?」


僕は答えた。


「まあ、LINEは向こうから追加させるのが、せめてもの反撃かな」

「お父さんは、あんたがそういう事考えてるとか、全然気づかないと思うよ?」

「いや、知らない方がいいでしょ笑」


母は一呼吸置いた後、呟いた。


「優しいんだね」

「いや、そんな立派な理由じゃないし、結局は自分の将来のためだから、変に合理的すぎて逆に優しくないと思うよ」


でもまあ、と言ってから僕は笑いながら呟いた。

「良くできた息子だよね」

自分で言うな、と母は突っ込んで、それから先は特に何も言葉を交わさなかった。


実家から東京に戻ってきた後、父からLINEが届いた。

『LINE、追加したよ』

父のアイコンにはなんの写真も設定されていなかった。
本当に味気ない人だと思いつつ、少し緊張しながら返事を返す。

『うん、ありがと。出張っていつから?』

『4月からだよ。休みが合えば遊びに来てもいいよ』

父子の最初の旅行が、メキシコというのはハードルが高すぎる。
本気で言ってるのだろうかと笑いそうになるが、冗談の一つも言わない人だということは経験上わかっている。

『行けるお金あるかわかんないけど。まあとりあえず気をつけて』

『ありがとう。気をつけます』


そこで、LINEは終わった。
初めてのLINEは、まさかの2.5ラリーで終了。

なるほど、父とのLINEはこれほどまでに難しいのか。

後日母から聞いた話によると、LINEを追加する時の父は少し嬉しそうにしていたらしい。

明日、父はメキシコに旅立つ。
休みの日はどうやって過ごすのかと訊いてみると、どうやら月イチでゴルフに勤しむらしい。

メキシコで嗜む趣味といったらゴルフぐらいしかないと言っていたので、とりあえずAmazonKindleを入れさせて、漫画や小説を勧めることにした。

そして父は未だに、時間があればメキシコに来たらいいと言う。

少しだけ、ほんの少しだけ。
昔食べたタコスの味が、恋しく感じられた。

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