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板チョコレートについて

チョコレートが大好きだ。本当に大好きだ。独身時代は必ずかばんに何かしらのチョコを忍ばせていて、ストレス社会を生き抜くための安定剤にしていた。

いつからこんなに好きなのだろう?小さい頃から好んで食べていたので、おそらく生きてきた年数=チョコレート好きと言っても過言ではない。私とチョコレートの一番昔の記憶を思い返してみる。(大人になると、びっくりするほど幼少期の記憶が抜け落ちていて絶句してしまう。)

思い出せるのは、小学校3年生。今もロングセラーである、ロッテのクランキーチョコ(確か内田有紀がCMしていた)に当時どハマりしていた姉の影響で、私も好んで食べていた。私はいつも板チョコを食べるときは1列ずつパキパキ折って食べているが、クランキーも同じ様に1列ずつパキッと気持ち良く折って食べている。パキッ。サクサクサク。ゴクン。あぁ、チョコにパフが入るだけで、板チョコというのはどうしてこんなに変化するのだろう。メガネをかけていてもかわいい女の子が、コンタクトにしてさらにおしゃれしてお化粧したみたいな無敵感。同じ人物なのに、ハイパーパワーアップデートをしたかのような、まるで超人だ。私に限ってのことかもしれないが、ロッテのクランキーチョコに至っては、なぜかいつも気がつくと食べ終わっている。あれっうそっ、もう最後?まだまだ足りない。もっと欲しい。私はいつも少し寂しい気持ちで、最後のひとかけらを食す。サクサクサク。ゴクン。こんなに早く終わってしまうなんて、あっという間の出来事。あのサクサクサク、と小気味良い食感が、ついつい食べるテンポを早くさせるのか。

この「あれっもうない?」の現象は、ブルボンのアルフォートでもしばしば起こる。あいつもなかなか罪な奴だ。少し塩っけのある胚芽入りビスケットと、厚みと歯応えのあるチョコレートを口いっぱいに頬張る。しょっぱ甘いの絶妙なバランス。たまらない。袋タイプは一回一回個包装を開けるので何枚か連続で食べてもまだ理性が働いて歯止めが効くが、板チョコバージョンに至っては大袈裟でなく瞬きしている間に最後の1枚になってしまう。あれは何かブルボンの魔法にでもかけられてないか?おかしいほどあまりに一瞬で食べてしまう。

板チョコの包み紙も好きだ。あの綺麗にピシッと包まれたやわらかい薄手のホイルを無造作にビリビリ破って食べる感じは、綺麗なものを遠慮なく壊すような背徳感が何となくある。板チョコでないと経験できない特別なものだ。ホイルの上に紙で包まれている感じも好きだ。クラシックな佇まいが他のチャラチャラした菓子とは全く違っていて、歴史と伝統を否応なく感じる。紙を破かないようにそっと取ってホイルだけの状態にすると、生まれたての赤子を手の平に乗せているような、壊してはいけない特別な物を手にしている様な気がしてくる。実際はその後一瞬にしてホイルを破りパキパキチョコを折って一瞬にして食べ尽くしてしまうのだが。その食べる前後の静と動の差が激しい感じもまた私が板チョコを好む理由の一つだ。

紙ではなく、箱を纏っている板チョコもある。前述のクランキーを始め、ロッテの板チョコは全てこの類だ。こんなに薄い壊れやすそうな箱にわざわざ入れる必要が果たしてあるのだろうか?私は特別ですよってチョコから強めのアピールをしてきているみたいだ。特別なプレセントをそっと開けるような、いい意味でのわざわざ感があって、趣がある。

私は板チョコのその特別な佇まいを始め、クラシカルな包装やまるでアトラクションの様な食べ方が好きなのだ。これからも飽きもせずに板チョコと向き合い続けるとしよう。

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