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HSPについて


いろいろなサイトのチェックリストによると、どうやら私にはHSPの気質があるらしい。主に対人関係において、長年にわたる息苦しさや生きづらさの原因となったものが、セーターのほころびをするすると引っ張るように漸く中身を現してきた。もう少し早く知っていれば、こんなにも後ろ向きな性格になる事はおそらくなかっただろう。その点が悔やまれる。

20代になるまでは何もできないただの子供だし、HSPなんて言葉が1ミリも姿を現さない時代だったので、与えられた狭い世界で軽い軟禁状態のまま、不満や疑問を抱えながら人との衝突を繰り返し生きていた。そう思うと、HSPにとって日本の義務教育下で生きていくというのは、何という拷問めいた事だろう。

社会に出るようになってからは、自分が稼いだお金で自分のやりたいようにできる世界が本当にうれしかった。嫌なことや生き苦しい事があっても、気の合う友人と食事やカラオケやカフェに行ったり、好きな映画を見に行ったり、ディズニーに行ったり。恋愛も、私にとっては自己肯定感を高めるとてもいい気分転換だった。

結婚し、妻になり、母になり、家族を持った今。いろいろな事情で、今はありがたくも専業主婦をやっている。とても幸せな日々ではあるけれど、HSPママにとっては、コロナ禍ということもあり、かつてない息苦しさを感じてしまう事がとても多い。自分自身が稼いでいない負い目、無償労働の家事に対する虚しさ。子供優先のままならない日常。1人になりにくい、家庭という空間。子供からの剥き出しの感情に対応し、自分をすり減らす。暇だからこういうネガティブな事を考えてしまうのかもしれない、と無理矢理パートに出てみたが、久しぶりの社会参加と家事育児の両立をしっかりこなさなければ、という謎の責任感に押され、呆気なく潰されてしまった。今振り返ると、過度な自分へのプレッシャーによる自爆といっても過言ではないだろう。それでも、職場が良くなかったのかも、職種が悪かったのかも、と職を変えて再挑戦するも、問題は自分へと課してしまった謎の責任感がゆえなので、また呆気なく潰れてしまい、二度も立て続けに押された社会不適合者の烙印(といっても自分が自分に押したものなのだが)によって、精神的に病んでしまった。原因は自分自身の性格や生きづらさにある事に向き合わざるを得なくなった。
働きに出る事がすっかり怖くなってしまった。

20代の頃と違い、嫌な事や息苦しいことから逃げる手段をほとんど手放して丸腰状態になってしまった今の自分には、うまくかわせるような身軽さは微塵も残っていなかった。
ストレスに比例して増えていく体重。自分の中のどこからこんな酷い言葉が出てくるのかと疑いたくなるほどの、子供を怒鳴り散らす時に出てくる醜い自分。こんなの私じゃない。本当の私はこんなんじゃない。どうしてこんな私になってしまったのか。底無し沼の自己嫌悪。鬼のような顔で悪魔のような言葉を、こんなにかわいい我が子に投げるのを、もう1人の自分が冷静に見ている。それを横目に、旦那の死んだような目が、見えていないのに見える。こんな女いやだよね。私だっていやだ。

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