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コラージュ

昼間にローベルト・ヴァルザーの長編小説を読み終えた。全5冊鳥影社から出ているうちの3巻目です。ヴァルザーは優しい。小さな世界で考えを巡らし、善に纏わり付かれ、何度となく下劣なものと錯誤(想像の中で)する。自分に自惚れずに。最後には必然的な救いの様な厳しくも美しい景色の中に思いもよらずに突入し、善良である故、その中で生きる様な幻想の中で終わる。「ヤーコブ・フォン・グンテン」という作品です。
最後の景色は僕の中の不思議な記憶に場所は違うが、多少似ているなと思った。どうしても忘れられない純粋な記憶がある。私は人生の始まりの方で2、3度と見たものだが。やはり小説とともに共通しているのは光りだ。圧倒的な幸福感と美しさ。その場所の空気。これは幻想なのかと何度となく後で疑っても、その場所は存在する。しかし訪れても何も美しくない場所となっていた。誰もが見過ごす様な普通の自然。気分を滅入らすくらいの重い退屈な自然。変化のない、見放された、野晒しの、窒息しそうな重い空気。何も映さない、死んだ景色。懐かしい場所を訪れれば多くの人はそういう印象を持つ事が多いのではないだろうか?特に現代では。

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そう、小説の設定と同じ頃を読み終わってしばらくしたら思い返していた。でも、何も出来事や思い出には出会わなかった(苦い思いをしたくないのだ)。ただ、その時の友人以外。地元を離れた人間として、音楽を楽しみ、芸術に触れ、議論し、その美しさの指す方向ばかり見て段々と自分というものが見えなくなって、へたり込んでしまう。そんな時、古い友人達を想像した。何処かに居るのだと。あの美しき者たち。そしてまた呼吸が楽になる。製作者としてまた楽しくも美しい、挑戦的で不屈な作品へと挑戦出来るのだ。そしていつか美しい景色はやって来る。と、思えたのでした。

作家活動としての写真撮影や個展、展示の為のプリント費用等に充てさせて頂きます。サポート支援の程よろしくお願いいたします。