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引きずった記憶に絡まった場所、そこに写るただ優しい女の写真2

2001年に、Forte社のバライタ紙に焼いた、あれやこれを他者とし、また見えない他者が築いているだろうルールが植え付けられていると意識し、それが見せ方の一つだと考え、作ったプリント以前の、自閉的とでもいうべきか、神秘的か?完成していたプリントを新たに額縁に入れた。

前の記事にあるように、再訪した時、この場所には行けなかった。その出発点である駅名を間違って記憶していたせいで。何年後かの夏に再訪したが、着いてみると駅の大きさが違う。駅前の町が違う。記憶と違う。そう思い込んでいたので、別の当てが浮かぶ訳でもない。しらみ潰しに駅という駅を降りたら分かるかもしれないが、途方もなく感じる。その当時、撮影しようと電車を降り、駅員に次の電車の時刻を尋ねた。三、四時間後になるとの事。その間、駅舎から歩いた距離がそのまま写真の景色になっている。そこまで来たら開けた様な開放的な心持ちになった。それもこの場所がそう思わせてくれたからだろう。

この時、中古の蛇腹の中判カメラを使っていた。寒くなるとこういった古いカメラはシャッター幕の開く時間が度々曖昧になる。ねじ式の歪みに対する油が硬くなるからだと思う。使ったのは短い間だけだった。蛇腹に穴が開き、塞いだとしても切りが無くなった。

新雪が降り積もる景色一帯に足跡は自分の後ろにあるのみ。レンズ前の景色は静けさと内地特有の急勾な山並み。そこに生活しているだろう家々。何よりも目の前に雪を避けて、細く佇むススキ。これを当時は女性的と比喩していた。自分の中の解釈であり、口に出す必要も考えもない、そういうものだと思ったまま、口を閉じていた。その意図が現れたのが、このプリントだった。

コロナ禍の中、家の整理で発見できたのは以前に書いたところだ。
若干写真の意図が見え難くなったのは歳をとって神経が鈍ったせいか、時代の中の空気感を無意識に纏っていたからか、そう直観するのは難しいと感じた。唯、柔らかく、鉛筆で引っ掻いた様な線が点在している印象に今思う。それもやさしい女の様であるのには違いないのが少し不思議な気がする。それは記憶というのも意図されたものは透明なヴェールか何かで覆われていて表出されているもの自体には違いは無いからかも知れない。

再訪した時、決定的にこの場所ではないと感じたのは、駅のホームから下を覗いた時、枕木の間に敷かれた石を見た時だった。ゴツゴツし茶色く、日差しで熱くなってるであろうその石。視覚が違うと反面理解しながらも、グッとフォーカスが近付くかの様な意識。身体的に男性であるが故、反男性的な意識を削がれるような粗野なゴツゴツした男性的なものを凝視し、そこに何も美的なものが無い、ただの物質であることを意識した時、永久に反復される労働への盲目的な意思的無意味さ。無意味さの中での男性的階級意識、その中で価値を持つだろう差別的価値観。その時、私は完全に間違った場所を記憶していたのだと知った思いがした。

作家活動としての写真撮影や個展、展示の為のプリント費用等に充てさせて頂きます。サポート支援の程よろしくお願いいたします。