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【書評】繊細な心理描写と「覆る」快感――『ツミデミック』

 文学作品には作者の個性や感性が多分に反映されている。いわゆる「作風」と呼ばれるものだ。コメディーが得意な作者がいれば、シリアスな展開に定評がある作者もいる。作風は作者によって千差万別。それゆえに、自分の趣味嗜好とマッチした作者、作品と出会ったときの快感は、形容しがたいものがある。一穂ミチ『ツミデミック』がそうであったように。

 本作は、新型コロナ感染症に翻弄された人物を描いた短編集である。2020年に大流行した未曽有の感染症は、私たちの生活を一変させた。本作はそうした生活環境の変化を余儀なくされた人々が、パンデミックを通じておのおのの「罪」と対峙する様子が描かれている。

 ただし、この作品は推理小説ではない。事件の謎を解くことのカタルシスを期待して読んだとすれば、おそらく拍子抜けするはずだ。本作が対象としているのは、法律に反する「犯罪」だけではない。ヒトの良心や倫理を犯す「道徳的罪悪」までも射程に入れているのだ。

 後述するように、本作の持ち味は登場人物の繊細な心理描写と、片時も目が離せないストーリー展開。ページを繰り始めたが最後、一気呵成に読破してしまうことだろう。

コロナ禍の「罪」を描く

 本作に登場するのは、ごく普通の市井の人々だ。大学を中退したフリーター。フードデリバリーに夢中になる主婦。コロナ禍で職を追われた料理人。子どもを持ちたいと願う新婚夫婦。過去に友人を事故で亡くした会社員……など、私たちの身近にいるであろう人物ばかり。しかし、コロナパンデミックを機に、これまで平穏だった彼/彼女らの生活が徐々に蝕まれていく。

 期せずして「罪」との遭遇を余儀なくされた人々の造形、ならびに心理描写が丁寧なので、作中の出来事が決して他人事ではないと感じてしまう。読者への訴求力の高さが絶妙なのだ。作者の文学的膂力の強さがうかがえる。 

 とりわけ優れているのは、読者の予想を裏切るストーリー展開だ。核心に触れるので多くは語らないが、本作には物語の序盤と終盤でテイストの異なる作品が多く収録されている。穏やかなトーンで始まり、衝撃の結末を迎えるエピソードがあれば、その逆もまた然り。終始一貫したムードの作品もある。本作の構成を一言で表すなら、まさに「変幻自在」。新たなエピソードに突入するたびに、「今度はどんな展開が待っているんだ……」と息をのむこと必至である。1編あたり30~40ページというコンパクト感も、息もつかせぬストーリー展開に拍車をかけている。

 乾くるみの『イニシエーション・ラブ』を筆頭に、ストーリー終盤や結末でどんでん返しを迎える作品にはヒット作が多い。それだけヒトは「覆る」ことに快感を覚える生き物なのだろう。かくいう私もその一人だ。

 久々に快作に出会った感がある。第171回直木賞を受賞したのも納得だ。一穂ミチ、恐るべし。

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