見出し画像

「現代思想入門」を読んだ

千葉雅也さんの「現代思想入門」を読んで考えたことを、脳内関西人の林(仮名)と富田(仮名)の会話形式でお届けします。


 最近、哲学系の本にハマっててな。

富田 そういえばこの前も、暇と退屈の違いの話とか、能動態でも受動態でもない世界線の話とかしとったな。ただでさえお前は理屈っぽいのに、そんな小難しい本ばっかり読んでて大丈夫か?

林 読んだんは、この「現代思想入門」っていう新書やねんけど、哲学書としてはありえへんくらい売れてるらしいで。

富田 帯のキャッチコピーがすごいな。「人生が変わる哲学」って。「人生が変わる」っていう売り文句はよう見るけど、みんなそんなに変わりたいもんなんかな。おれはこのまま平穏無事が一番やけど。ほんで、お前はそれ読んで人生変わりそうなんか?

 正直そこまでやない。っていうか、人生変えたいと思って読んだわけやないけどな。哲学って、どんなことをどんな風に考えてんのか知りたかっただけや。これまで何冊か哲学の入門書系の本は読みかけ始めてんけど、挫折してばっかりやってん。

富田 この本は読めたん?

 難しいところもあったけど、何とか読めた。けど、考え方が変わるようなことは特になかったかなぁ。日常生活レベルでのアドバイスとしては、たとえば、善悪で分けて考えがちやけど、悪っいぇいうのはほんまに悪か?ってよう考えようとか、人間関係のつながりを強調しすぎると監視になってまうからバランスが大事やでとか、特に目新しいことは無かった。

富田 読んだ意味ないやん。

 いや、結論としては当たり前といえば当たり前やねんけど、そこに至る思考のプロセスがめっちゃ複雑やねん。そこまでこねくり回すかっていうくらい。そのプロセスを深く理解することで、この本の表現を借りると、複雑な現実を単純化せずに高い解像度で捉えられるようになる。たぶん直感的に感じてたことなんやろうけど、それを言語化して見せてもらった感じかな。

富田 名だたる哲学者が必死になって考えてきたことを直感的に感じてた?それは思い上がりちゃうか?

林 これまで哲学書なんかろくに読んだことなかったけど、知らん間に哲学の影響を受けてたことが分かったというのが正しい言い方かな。俺だけやなくて、殆どの人が哲学書なんか読んでないと思うけど、にもかかわらず、その時代時代の考え方がOSとしてインストールされてるんやと思う。たとえば「無意識でやってもた」とかよう言うと思うけど、「無意識」っていうのもフロイトが言い出した考え方やねんて。

富田 マジで⁉︎ めっちゃ影響うけてるやん。せやけど、読んでもないのにどうやって影響受けんねん?テレビとか?

 マスコミもあるやろし、文学とかアートとか、普通に会話してる中でもだんだん広がっていくんちゃう?そうやって、最初は非常識と思われてた考え方でも、納得感があるやつは広まって定着して、新しい常識になっていくんちゃうかな。「無意識」の他にも、人間が認識できることって限られてて、分からへん世界もあるっていう考え方もカント以降らしい。

富田 当たり前な気ぃするけどな。カント以前が違う常識やったっていう方が不思議やわ。

 他にも、たとえばヒーロー物のパターンってあるやん?敵がおって、主人公がピンチに陥って、成長して最後に倒す、みたいな。そういうパターンで認識するっていうのも、「構造主義」っていう1960年代にフランスでブームになった考え方らしい。それまでは、権威ある文学作品とマンガが同じパターンやって言うのは、権威主義に対する挑戦的な態度やってんて。そんな感じで、それぞれの社会の中には、一定のバージョンのOSが知らん間にみんなの脳みそにインストールされてんねんやろな。

富田 考えてみたら、自分の脳みそがどんなOSを積んでるかって、そのOSで考えてる限り気ぃつかへんやん。誰かに言うてもらわな。あ、それを言うてくれるんが哲学者なんかな?

林 哲学的な考え方をしてたら自分でも気づけるかも。哲学を勉強するっていうのは、その時代とか社会で「正論」とされてることに疑問を呈することができるようになるっていうことかなって思った。たとえば、この本で、LGBTQ支持の運動は単純には擁護できないはずって、言ってんねんけどな。

富田 LGBTQ支持の運動には俺も賛成やけど、もし仮に反対やったとしても、世の中の空気的にとても反対とは言われへんで。「擁護でけへん」なんか書いて大丈夫なんか?

 「単純には」擁護でけへん、って言うてはんねん。なんでかって言うと、LGBTQっていうアイデンティティは、マジョリティの人達のアイデンティティからの「排除」が前提にあるからやねん。マジョリティというアイデンティティがあるからこそ、その対概念としてLGBTQっていうアイデンティティ、つまり擁護の対象が生まれる訳や。

富田 確かに、何がマジョリティかって言われると、突き詰めると「マイノリティー以外」としか言いようがない場合もありそうやな。

林 そもそもアイデンティティっていうのも近代に生まれた考え方で、それまでは同性愛という行動はあっても、同性愛者っていう風に括られることはなかったらしい。そういう歴史をちゃんと踏まえずに単純にLGBTQ支持って言うてると、「単に近代という構造をこじらせているだけになるかもしれない」って言うてはる。

富田 うちの会社でも、LGBTQインクルージョンとか言うてレインボーの旗を立てたりしてるけど、なんか違和感があったのはそこかな。そういうことちゃうやろ、って感じがしててんけど、何がちゃうかうまいこと言語化でけへんかった。排除の構造が前提になってるからか。お、これがもしかして現実を解像度高く捉えるっていうことか?

 せや。マイノリティの人がマジョリティのやり方に合わせて生きていくことが前提になってる。その前提で、マイノリティの人達が生きやすいようにっていうのが流行りのインクルージョンやけど、そもそもアイデンティティで分けるという構造がおかしいんかもしらん。この本でも、「不利だとされるカテゴリーが不利なのは、そもそも有利なカテゴリーが前提としてあるから」って言うてはるけど、将来に誰かが新しい概念を提示してそれが常識になったら、「2020年代の初め頃って、LGBTQとか言うて人間をグループ分けしてたらしいで」ってびっくりされるんちゃうかな。

富田 自分の意見をしっかり持とうっていう話聞いてから、多少は考えるようにしてきたつもりやったけど、考え方の大きな枠組み自体は受け売りやってんなー。カントみたいに、「富田以前、富田以降」って言われるようなことしでかしたいわ。

〈おしまい〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?