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五時間目はまだ給食の時間
これを言うと、驚かれる事も多いし、人によっては引いたりもする。
でも正直に言うと、10歳になるまで、私は、お腹が空くという感覚を知らなかった。
理由は単純。
とにかく少食だったのだ。
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あまりも小食過ぎるので、親は、特に母は、相当苦労したらしい。何せ10歳近くなっても、ご飯茶碗一膳を、半分も食べられなかったから。
食事の時間になっても、特別にお腹が空いている訳ではない。でも食べる事は好きだった。母の料理はいつも美味しかったし、小食の私にどうにか食べさせようと、あらゆる工夫を凝らしていたから。
だけど、用意された量を半分も食べない内に、私はご飯で遊び始めてしまう。
「もう、ごちそうさまなの?」
「あ、まだ食べる」
母の料理は美味しかったから、本当は全部食べたいのだ。
「もう、ごちそうさまなの?」
「あ、まだ食べる」
母が自分のために食事を一生懸命用意してくれている事も、幼いなりに分かっている。本当に全部食べたいのだ。
「ごちそうさまなの?」
「あ、まだ食べる」
でも、食べる前からお腹は空いていないのだ。
「ごちそうさまじゃないの?」
「あ、まだ食べる」
間食でお腹がいっぱいという訳でもない。間食については、母は注意深かった。どうにか私にご飯を食べさせたいのだから。
「まだ食べるなら、ご飯で遊ばないの! お行儀が悪いわよ! もう食べないなら、ごちそうさましなさい!」
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大人になってみれば、あの頃の母の気持ちは良く分かる。
昭和40年代から50年代にかけての事だった。子育てというものについては、今よりも「こうあるべき」というプレッシャーが強い時代だったと思う。
私の小食についても、多分、周囲に何か言われていたかもしれない(子供にそう言う素振りを見せる人ではないので私の想像でしかないけれど、多分)。
いや、そもそもプレッシャーがあろうとなかろうと、どうにか食べてもらおうと、懸命に工夫して整えた食事で、遊び出されては、たまったものではないだろう。お母さん、今更だけど、ごめん。
でもね、お腹が空いてなかったの。
だけど、お母さんのご飯、全部食べたかったんだよね。無理だったけど。
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家庭でこんな調子なのだから、学校ではもっと大変な状況に陥るのが、道理というものだろう。
今だったら、考えられないかもしれない。でも当時は、給食を残すと言う事は罪悪だった。
あの戦争をリアルタイムで経験した大人たちが、現役で社会の中心に居た。
まだ若かった私の親世代には、リアルタイムで戦争を経験した人達は少なくなっていた。でも、経験していなくても、戦後の混乱期の事を、幼い頃の記憶として覚えている人は多かった。
高度成長期と呼ばれている時代だけれど、子供たちのお腹を空かせないように、と、社会がまだ、必死に頑張っていた。
そんな時代に、お腹が空いていないという理由で、給食を残すのは、やはり許されない事だったのだろう。
担任の先生には、随分怒られたものだ。
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いや、私だって必死でしたよ。
小学校一年生の給食の時間に、瓶の牛乳(確か200mlくらい)を、半分しか飲み干せないのは、同級生の中で私だけだと知って、衝撃を受けましたからね。
えええっ! みんな、これ全部食べられるの? 残さずに? すごい! でも私、出来ない!
四時間目が終わり、給食の時間がはじまる。確か配膳や後片付けを含めて20分か30分程度だったと記憶している。給食が終わったら昼休み。これも確か20分程度。その後掃除の時間があって、それから五時間目だったと思う。
五時間目が始まっても、まだ私は必死に給食を食べていた。
端から見たら、とてものんびりとしたマイペースな子供に見えていたと思う。
でも、必死だったのだ。五時間目になってもまだ給食を食べている自分が、本当に恥ずかしかったし、お腹はいっぱいだし、でもとにかく頑張って全部食べようと、これでも必死だったのだ。
同世代が、給食の思い出について、幸せそうに語る時、私は今でもあまり、話に乗ることが出来ない。とにかく必死に頑張った、という記憶しか残っていない。
頑張って、頑張って、とにかくお昼休みが終わるまでに、給食を残さずに詰め込んで飲み込むことが出来るようになったのは、二年生に上がってからだと思う。給食の時間内に食べ終われるようになった頃には、三年生になっていただろうか。何にせよ、味わった記憶が無い。
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親も学校の先生方も、皆が心配していた私の少食は、思わぬ形で解決を見る。
成長期の訪れだ。
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四年生だったと思う。お腹が変な感じがした。痛い訳ではない。でも何だかしくしくとする。生まれて初めての感覚に戸惑っていたら、ぎゅるぐるぎゅるぐると、お腹から音がしてきた。
あ!
お腹が空くって、こう言う事?
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成長期の食欲とは恐ろしい。
ずっと全部残さず食べたかった母の料理を、全部残さず食べられるようになった。
だけではなかった。
夕御飯は必ず三膳は食べるようになった。最高記録は六膳だ。
給食も全部残さず食べるのが、苦では無くなった。ただ、昼休みが始まる前に食べ終わらなくては、というプレッシャーが抜けなくて、給食のおかわりという事は、とても怖くて出来なかった。
私にとって給食の時間は、味わう時間ではなく、詰め込んで飲み込む時間だった。残念ながら、それは中学校を卒業するまで変わることはなかった。
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見た目の割りには結構食べるね、という評価を受けていた10代と20代。年齢の割りには結構食べるね、という評価を受けていた30代。
40代になったら、またあまり沢山は食べられなくなった。まあ、年齢なりの食欲に落ち着いた、と言うだけかもしれない。
外食をする時、リクエストが出来るなら、量を少な目にお願いするけれど、どうしてもご飯を残さざるを得ない時、とても罪悪感を感じる。
お店の人に、ごめんなさい、美味しかったんですけど、お腹がいっぱいになっちゃって、と、謝りながら、でも少しほっとする。
もう、詰め込んで飲み込んだりしなくて良いんだ。もう、味わってゆっくり食べて良いんだ。お腹がいっぱいになって、食べられなくて残しても、私を怒る人は居ない。
罪悪感を感じるけれど、この罪悪感は失わない方が良いと感じているから、これでいいんだ。
大人になって良かった。
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私は子育ての機会に恵まれていないから、自分の子供が小食で手こずったという経験は、当然無い。
でも、お子さんが小食で困っている親御さん達が居たら、大丈夫ですよ、と、伝えられるといいな、と、思っている。多分、私、親御さん達の親世代だとは思うけれど、子供の立場として。
大丈夫。
お腹が空いたら食べるから。
お腹が空く時がきっと来るから。
出来れば、それまで、食べる事を無理強いしないで、そして、食べる事をあまり急かさないであげて欲しいんです。
美味しい食事を用意しても、少ししか食べないかもしれない。がっかりしますよね。ごめんなさい。
あげくの果てに、ご飯で遊び始めたりされたら、怒りたくもなりますよね。ごめんなさい。
でも。
食卓の暖かさは伝わってます。
それをずっとずっと覚えてます。
親御さん達の年齢を超えても、ずっとずっと。
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今は、給食を残しても、怒られたりしない時代らしい。
本当にいい時代になったと思う。
この時代を長く続けていけるように、子育ての機会には恵まれていない私だけど、自分に出来ることをしたいな、と思う。
子供たちがお腹を空かせる事がないように。
そして、子供たちがご飯を味わって食べられるように。
お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。