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「漢」という誉め言葉

「清水さんは、『おとこ』ですね。それも、『漢字の漢』と書いて『おとこ』と読ませる、あれですね」

 褒められているのは分かった。だから、とても正直に言えば、悪い気持ちはしなかった。でも素直に喜ぶ事が、どうしても出来なかった。

 だって、やっぱり、釈然としなかったのだ。「漢」という誉め言葉そのものにも。そして、それに悪い気持ちがしなかった自分にも。

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 二十代の終わり頃だったと思う。当時、職場の後輩に言われた言葉だ。もう二十年くらい前になるだろうか。

 当時の私は、自分の許容量を超える仕事を抱えていたけれど、それを誰にも相談出来ずにいた。

 突然、大きな組織変更があったのだ。私の担当業務を一緒に組んでいた上司も同僚も、異動や出向で、急に居なくなってしまった。

 私は戸惑った。ひとり取り残された気分で、ぽかんとした。仕事を始めて、五年目か六年目か、そんな頃だった。

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 と言っても、もちろん、居なくなった上司や同僚の分の仕事まで、私が全部を引き受ける事になった訳ではない。

 担当業務については、別部署の同僚と仕事を組む事になった。

 私の上司には、同じ部署の全く違う担当の管理職が付く事になった。

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 担当業務を組んだ同僚は、別部署の人というだけではなかった。私の部署がある事業所とは、そもそも違う県にある事業所の人だった。

 同じ事業所に居る訳ではないから、当然、部署におけるお互いの状況を知る事が出来ない。それは仕事をする上で、やり辛い事だった。当時はITも、今ほど発達している訳ではなかった。

 その人は、仕事が出来る人だった。でも、それまでの自分の業務の他に、更に、私との業務が上乗せされる形になって、やはり戸惑ったり困ったりしたのだろう。

 仕事を始めて五年やそこらの私を、ベテランのその人が頼りにしたのは、当然の流れだったのかもしれない。

 私も戸惑ってはいた。でも、仕事の出来る人から頼りにされて、嬉しかった。出来るだけ応えたいとも思った。頼まれた事は、全部引き受けた。ひとつも断るという事をしなかった。

 結果、自分の許容量を超える事になった。

 それでも、自分の許容量を超えた事には、気が付かない振りをしていた。出来ない奴だと思われたくなくて、必死になった。

 いや、正直に言えば、出来る奴だと思われたい、という欲も、やっぱりあって、見栄を張ってしまったところもあったと思う。

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 私の上司になった管理職は、同じ部署に居る人だった。でも、私の担当している業務については、一切の知見が無かった。

 全部、やりたいようにやってくれて構わない。責任だけは取る。と、言ってくれたのは、ありがたかった。

 ありがたかったけれど、最初にそう言われた時、日々の細かい業務について、具体的に動いてもらえる事は、期待出来ないな、と、思ってしまった。

 困った事があれば言ってくれ。とも言われた。でも、自分が何に困っていて、何を負荷に感じているのかを、うまく説明出来なかった。説明しても分かって貰えないだろうと、最初から諦めていた。

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 その頃は、日本中の景気が悪くて、リストラが激しくなった時期だった。

 私と同じ様な状況の人は、きっと日本中に居たと思う。恐らく、私よりもずっとずっと、きつい状況に置かれた人達も、たくさん居たに違いない。

 それでも、他の多くの人達とは違って、私の場合は、もしも音を上げて助けを求めたら、ある程度、状況は変わったのかもしれない、とは思う。

 上司も同僚も、私が大変そうにしている事は理解していて、心配もしていて、評価もしていたと思うから。

 だけどそれは、私があの頃の同僚や上司の年齢を、超えたり近づいたりした今だからこそ、ようやく分かる事かもしれない。

 当時の私は、音を上げる事が出来なかった。音の上げ方が分からなかった。そして、自分を過信していた。

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 勇ましい女性が好きだ。

 生まれて初めて読んだ漫画が、手塚治虫の「リボンの騎士」というところが、既に片寄っている。

 漫画ではないけれど、アーサー・ランサムの「ツバメ号とアマゾン号」のシリーズも大好き。

 特にアマゾン号の姉妹、女海賊のナンシイとペギイが大好きで、小学生の頃は、妹に女海賊ごっこを強要して、よく嫌がられていた。

 人に「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」のシリーズが好きだと言うと「ああ、カントリー趣味なんですね」なんて言われる事があるけれど、違うの、私が好きなのは、そこじゃないのです。

 自分の髪の色を馬鹿にしたギルバートに、石板を叩きつける、アンの勇ましさ。家族の助けになりたい、と、たった十五歳で、教師として、自分よりも年上の生徒の心を掴むべく奮闘する、ローラの勇ましさ。そこに強く心を惹かれるのです。

 大人になってからもその傾向は変わらず、「少女革命ウテナ」のアニメには衝撃を受けたし、最近では「あさがきた」や「トト姉ちゃん」といった、朝の連続ドラマにもはまった。

 そう、勇ましい女性に憧れがあるし、出来れば私もそうなりたい。

 実際の自分が、ちっとも勇ましくないのを、良く知っているから。

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「清水さんは『漢』ですね」

 そう言ってくれた後輩は、素直にそれを誉め言葉として使っていた。多分、頑張りを評価してくれていたのだろう。ありがたい話だ。

 もしかしたら、私が理想としてきた「勇ましい女性」に、少しは見えていたのかもしれない。

 ありがたいし、嬉しいと思った。

 でも、素直には喜べなかった。「いやあ」と曖昧にごまかした。

 他にどんな受け答えをすれば良かったのだろう。

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 素直に喜べなかった理由は、その時はうまく言葉に出来なかった。

 二十代の終わり頃。多分、当時はこんな事を、漠然と感じていたと思う。

 勇ましい女性が好きだ。

 もしかしたら、私も、勇ましい女性に、少しは見えているのかなあ。そうだったら嬉しいなあ。

 でも、勇ましい女性だ、という事を、「漢」という言葉で括られてしまうのだとしたら、それには抵抗を感じる。

 黙って自分の運命を受け入れ、耐えて、何も言わずに背中で語る、時に背中で人を率いていく、それは確かに美しいし、格好良い。ステレオタイプかもしれないけれど、私が「漢」という誉め言葉を聞いて感じたのは、そう言う事だった。

 それは、男性の特性として語られる事が多い。でも、女性がそうであったっていいじゃない。

 どうして「女」は誉め言葉にならないの? という、素朴な気持ち。

 ……いや、それだけだろうか。「漢」と誉められて感じる、この、しっくりしない気持ちは……。

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 四十代も終わりに向かおうとする最近になって、気がついた事。

 私がなりたいのは、黙って自分の運命を受け入れ、耐えて、何も言わずに背中で語る様な人ではない。

 自分の置かれた状況が、理不尽だと感じたら、素直に声を上げる。これは美しくない事だろうか。格好悪い事だろうか。いや、これだって勇ましいのではないだろうか。とても勇気が必要な事。

 自分の心にまっすぐに、素直に声を上げられる人は、勇ましい。男性だとか、女性だとか、そんな事は関係なく。

 素直さは、私の取り柄の筈だ。でも、実はまっすぐじゃない。捻れてる。自分の本当の気持ちに蓋をする癖がある。ちっとも勇ましくない。

 心にまっすぐになりたい。

 石板を叩きつけたアンの様に。

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 あの頃と今は時代が変わっているから、そもそも「漢」とか「勇ましい女性」とか、そんな誉め言葉は、時代遅れかもしれない。

 でも、「漢」と褒められて感じた気持ちは、これからも覚えておきたい。

 驚きと、否定しても否定しきれない嬉しさ、そしてその嬉しさに対する違和感と、若干の苛立ち。自分の爪先がどこに向いているのか、自分へ改めて問いたくなった、あの気持ちを。

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 仕事の状況が変わったのは、私が勇ましく声を上げたからでは無かった。

 数年後には、再び同じ事業所の同じ部署で、業務に知見のある上司や同僚と、一緒に仕事が出来るようになった。でもそれは、景気が上向いて、再び大きな組織変更があったから、と言うだけの話だ。

 あれから二十年くらいが経つ。IT化もだいぶ進んで、業務も随分効率化された。私自身も、頼るべきところは人に頼る、と言う事を覚えた。

 今、思い返すと、よく体も心も壊さずに(壊しかけたりはしたけれど)、あの時期を乗り切ったな、と思う。幸運としか言いようが無い。親身になってくれた周囲の人々には、感謝しか無い。

 許容量が狭い私の許容量が広がったのは、あの時期を乗り越えたからだと言う事は、否定出来ない。仕事をしていく上で大切な事を、幾つも学んだのも確か。

 だけど、次にもし、同じような事が自分の身に起こったら、素直に声を上げたいと思う。勇気を持って。

 頼りにされた事は嬉しかった。応えたくて、自分の器以上に見栄を張った。だけどやっぱり辛かったのだと、今は認められる。あの時は、辛いと言う気持ちに蓋をしていたけれど。

 そして、これも認めなくてはいけない。怖かったのだ。

 こちらから頼りにしたら、無下にされるんじゃないかと、怯えていた。実際は、頼りにしたら、応えてもらえたのかもしれない。でも、人を信じる事が出来なかった。怖かったのだ。

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 今でも本当は弱虫だ。
 でも、勇ましくなりたい。

 心にまっすぐになりたい。

お目に掛かれて嬉しいです。またご縁がありますように。