鬱で高校留年したけど全日制高校を卒業した話(前編)

こんにちは。さみや綾です。

今回も過去話します。
今回の更新は高校卒業まで、と終わりが明確なのでタイトルでネタバレをしていくことにしました。
発達障害の心理学科の話には興味あるけどそいつの過去話、どうでもいいな、って人は飛ばしていいと思います。しかも長い!1回で収めるはずだったのに2回になってしまった!

今回のテーマはこれだ!

\鬱で高校留年したけど全日制高校を卒業した話(前編)/

……マジでこの1行なんだよな、高校生活……と思ってます。
前提として、全日制高校にて人より長い4年間を過ごしていますが、うつ状態で過ごした3年間の濃さがすごい。
(前回のノートでは精神科にかかった話をしています)

無事高校2年生に進級しました。
学校の計らいがあったのでしょう、担任を1年次と同じ女性教師が務めるクラスに入りました。

4月はほぼ順調に行けていたのですが、5月から調子を崩しました。学校に行けるのは週に1回の保健室登校と担任との面会、6月に至っては家を出ることもできなくなり、6月に教室に入った時間が2時間、という有り様。

薬の調整が行われていましたが功を奏さず、中学時代からの自傷癖が悪化したのもこの頃でした。

7月、自傷で25針を縫いました。

そんな有り様だったので、学校から「10月の修学旅行につれていく許可が出せない」、と言われ、また進級が危うくなり始め、8月9月はお守りにスカートのポケットに剃刀を忍ばせ、薬入れには絆創膏を入れながら学校に通いました。
(普通に銃刀法違反です)(危険です)(絶対真似しないでください)

この頃から、スクールカウンセリングと並行して病院でもカウンセリングを受けるようになりました。

担任から修学旅行への参加の許可が降りたのは1週間前、条件は剃刀などの刃物すべてを置いていくこと、体調が悪くなったら親に迎えに来てもらって即帰ること。

修学旅行は班の友人に事情を話し、安定剤を飲んでなんとか乗り切りましたが、同じ月の部活の遠征は見送らざるを得ませんでした。

11月は大分安定して通えるようになりましたが、時既に遅し。12月の始めに留年が確定したことを担任、学年主任、父親、わたしの4者面談で伝えられました。わたしが泣き崩れたこと、親がその場で「どうして事前に私に話を通さなかったか」とキレたこと、帰りの車の中でふたり、「これからどうしようか」と話をしたことを今でも覚えています。

高校に入ってから薬剤師を目指してきましたが、この頃から、わたしは進路の方針転換を考え始めました。

成績が足りなかったこともありますが、

「自分のことを詳しく知りたい」
「鬱だからこそ患者さんにできることがあるのではないか」


と思い始めたのです。

1、2、3月は誰にも留年したことを話さないまま、安定した日々を過ごしました。

最終日、担任の口からクラスへ留年が伝えられたときのことを、わたしは忘れることができません。

「このクラスは全員で進級できません。さみや綾さんが体調不良で留年することになったからです」

そのとき、わたしは泣いたような気がします。同じ部活の友人が抱きついてきて、色んな人と写真を撮りました。

そうして、わたしは2年生をもう一度やることになったのです。

受け入れる側は用意周到でした。クラス替えの発表が行われたと同時に学校から連絡があり、新担任、新学年主任、父、わたしの4者面談が組まれ、顔合わせと今後の方針と単位の取得条件や出席条件の確認がされました。

引き継ぎもあり、また新担任と養護教諭でわたしの通う病院を訪れたりしたそうで、新担任はわたしのことをほぼ正確にわかっていたようです。相談室も対応してくださり、スクールカウンセリングなどのや相談体制の維持が約束されました。

初日、クラスで、

「体調不良で留年したさみや綾さんです」

と紹介された上で新体制がスタートし、クラスに馴染むこともでき、わたしは進級条件の『全科目75%出席』をギリギリクリア、成績こそ最下位だったものの自力で3年生へ進級しました。

この間に自立支援を取得したり、病院の心理士さんの都合により病院のカウンセリングが終わったり、北海道の大学を調べたり、悪化する病状に「自分を知りたい」「鬱だからこそできることがあるのではないか」という心境が固定された結果、志望を私立大の心理学科に変更することに決めたりしました。

また鬱について調べる中でADHDの存在を知り、「もしかして?」と思い始めたのはこの年の10月頃だったと思います。

卒業まであと1年を残したところで、わたしは学校の新方針に巻き込まれることになります。

3年次進級でのクラス替えの実施が、留年して入った学年から始まったのです。

新しい担任の先生が悪かったわけでは決してないのですが(重要)、クラスに見事に馴染めませんでした。
昨年同じクラスでなかった生徒はわたしのことを何も知らないし、数少ない親しい友人とは選択科目でクラスが離れ、結果、わたしはクラスで孤立しました。

それは精神状態の悪化を引き起こしました。

学校の、クラスのハードルが高くて、行けなかったり、行けても早退したり保健室や相談室で1時間を過ごしたり、遅刻することが多かったです。

精神状態の波がひどく、買い物依存状態になり、てこ入れで薬剤を変更するも躁転するなど、治療もうまくいきませんでした。

当然成績も振るわず学年最下位で、個別指導塾で少しは勉強はしていたものの、模試の判定もE判定以外とったことがなかったです。

結局12月までにほぼすべての単位が落ちました。
わたしは学校から診断書の提出を求められ、診断書を出したところ、職員会議で特例措置が認められ、単位補充を受けることになりました。

……ここで後編に続く!

タイミング悪くない!? とわたしも思う。1回で収めるつもりだったのにまさか書いてて単位補充して卒業するまでの2ヶ月間が文章として結構なボリュームになるとか、思ってなかったよね……。

というわけで次回は「高校留年したけど全日制高校を卒業した話(後編)」です。
過去編がダラダラ続くのもアレですし早く次に進みたいしあらかた書いた上で前編後編に分けたのでもしかしたら来週火曜日を待たずにアップするかもしれない。あと説明を追加したい箇所もあるけど端折ってしまったのでリンクを追加したいと思います。

最後まで読んでくださってありがとうございます!
ではまた!さみや綾でした!

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