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片言の日本語に敬意を持てない私のメタ認知力

ある海外の方とのやり取り

先日agodaのサイトの登録しているメールアドレスを変更することにした。アドレスの変更はサイト上で簡単に登録できるところが多いが、なぜかagodaは電話をしないと変更できないようで仕方なく電話をすることにした。
そこで対応してくれた方はおそらく海外の方と言われる、少し片言の日本語の方だった。もちろん大きな企業の電話オペレーターをしているので多少片言であるとはいえ充分上手(私の20年勉強しても全く話せない英語とは雲泥の差)なのだが、私はそこで不安を感じてしまった。「テツヅキシマスノデ、少しお待ちください」と言われて、数分後間待たされる間、仕事中に時間を作りせっかく電話して待ったのに変更できなかったら嫌だなと私はイライラしていた。数分後、メールアドレスは無事に変更された。

自分のメタ認知のなさを痛感

この出来事の後、自分はすごく自分を恥ずかしく思った。なぜなら自分は普段海外の人とやり取りをする中で、片言の英語で会話をしてなんとか相手に慮ってもらってこちらの言うことを理解してもらいながら仕事をしているからだ。ひどいときは英語で説明できず、会議が終わってしまいその後メールで何とかするということさえある、自分はできないことを相手に求めるという人としてあり得ないことをしているととても反省した。

メタ認知力を上げるには

どうしたら自分のことメタ認知できるのか。それはやはり「内省」の時間を持つことが一番であると思う。どうして自分はそう思ったのかを深堀し、それを他者視点でみたらどうなるのか、それを繰り返すことでしか自分のメタ認知力を上げることはできないと思う。さらに年を取るにつれて経験からできることが増えてしまい、どうしても自分はできるという思い込みを持ってしまう。それを防ぐためにも「内省」の時間や自分が出来ないことに挑戦していくことが必要だと改めて感じた。