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カオスを受け入れイタリアワインの楽しむ

イタリアワインはこの30年近くでものすごくイメージや価値そのものを上げている。南北に伸びるイタリアのテロワールはモザイクのようで、土壌や気候の多様性はある意味フランスより豊かではないか?くわえて土着のブドウ品種も多い。
そんなイタリアワインを手にするたびに、ふと思うことは・・・
イタリアのワイン法では最高層のDOCGワイン"キャンティ"が10ユーロ以下で手に入る中で、最下層のテーブルワインのカテゴリーに100ユーロをゆうに超えるワインがゴロゴロしている。このカオスな現実を受け入れて楽しむことがイタリアワインの正い愛で方なのか?


世界のワイン法には各国のお国柄が出るー旧世界代表フランス編

もともと今のワイン法の始まりは、フランスのAOC法だ。AOCはAppellation d'Origine Controlee (アペラシオン・ドリジヌ・コントローレ)の略称で、原産地呼称のこと。ぶどう品種や栽培方法、醸造方法などにそれぞれ固有のスタイルがある。そんな産地の個性を守るための法的な規制で、正式に制定されたのは1935年。
貴族社会の名残が色濃く残り、今でも階級社会のフランスはワインでも上下関係もしっかりしている。上位にいくほど栽培条件が厳しくなり生産量も少なく品質も上がり値段も高くなる。しっかりしたピラミッド構造になっていて、とてもわかりやすい。原産地がどこかがわかると、そのワインの味もある程度想像がつく。

世界のワイン法には各国のお国柄が出るー新世界代表アメリカ編

新世界のワインのラベルにはブドウ品種がわかりやすく明記されている。

一方、新世界のワイン、例えばアメリカのワイン法はAVA(American Viticultural Areas アメリカン・ヴィティカルチュラル・エリア)の略称で、「アメリカ政府承認ぶどう栽培地域」を指す呼び名で生産地域に上下の差がなく全部平等。極端な言い方をすると「どんな栽培方法でどんな葡萄を育ててもいい」だ。自由の国アメリカらしい。フランスとうってかわってラベルにはブドウ品種が記載される。新世界のほとんどがこのスタイル。これによって普通の人々も自分の好みを、ブドウ品種を目印にワインの味がわかるようになった。ワインの民主化だ。この功績ははかりしれない。
今ではスーパーに行けば、好きなブドウ品種をもとにワインを選べる環境が整った。

問題のイタリアのワイン法

フランスもアメリカも、スタイルは違うが彼の地のワイン法ははっきりしている。困るのはイタリアだ。新世界ワインの追い上げもあるがイタリアワインの流通量は世界市場でフランスに次ぐ2位。ブドウ品種も多く2000種類ほどのブドウがあり、そのうち300種は常に作られてる。お世辞にも全ての品種がいいとはいえないが、これらをうまくアレンジするといいワインができる。近年ではピエモンテやトスカーナ以外でも品質的に大きく進歩している。そんなイタリアでのワイン法は、フランスのそれをお手本に階層構造になっている。
ただ問題は冒頭にも述べたように、最高層のDOCGワイン"キャンティ"が10ユーロ以下で手に入る中で、最下層のテーブルワインのカテゴリーに100ユーロをゆうに超えるワインがゴロゴロしている。この逆転現象が"カオス”なのだ。結局、飲んでみなければその素晴らしさがわからないことになる。

イタリアのワイン法は無視して良い?

愛すべきカオスの中のイタリアワインたち

今まで何人ものイタリア人に「イタリアではなぜDOCGとDOCの2つのカテゴリーに分かれているのか?」と問いかけてみたが、明確に答えられる人に会ったことがない。答えは・・「よくわからな」ばかり。
世界的に有名なワイン評論家のロバートパーカー先生も、「イタリアのワイン法は無視して良い」と明言している。そもそも一番の問題は、イタリア人の性格を無視してフランスのワイン法を真似したのだから、カオスに陥るのは・・必然?
「DOCGとは・・コントロール(C)されて、それをギャランティ(G)している?」・・ならば「DOCはギャランティーされていないのか?」と何度もツッコミ入れたくなった。

「ザ・トップ・100・ワイン」で世界1位を獲得したオルネライアも当時の格付けは最下層だった。

テーブルワインの品質がどれも低く、DOCGやDOCの品質が高かった時代は
それでよかった。今は借金だらけの貴族や、ホームレスの億万長者がいるような多様性に満ちた時代だ。イタリアのワイン法は大混乱してる。
ただ、イタリア人にとってはカオス(混乱)は悪いだけじゃない。逆に混乱している方がうまくいくことが多かったりするのがイタリアの愛らしさだ。

ワイン法の例外を作ったスーパートスカンの功績

"LOVE" キャンティクラシコ!

自国のワイン法にとらわれず、法律的には格下になっても自由な発想で高品質なワインを造ろう!  そんな生産者によって生み出され、確固たる地位を築いたスーパータスカンは、その後のイタリアワイン界に大きな影響を及ぼす。
1968年にトスカーナでリリースされたサッシカイアは、当時上位のDOCGやDOCが認めているトスカーナの固有品種以外のブドウも使用したために原産地呼称を名乗れなかった。ただそのクオリティが突出していたため、トスカーナの規定を超越したという意味でスーパータスカンと称された。
代当時のイタリアのワイン法では指定土着ブドウ品種を使ったワイン作りをベースに厳格に格付られていたが、あえてそのルールを無視。カベルネ・ソーヴィニヨンやメルローのような外国品種を使って、一番ランクの低いVdT(Vino da Tabola=テーブルワイン)の格付けに甘んじても、気にせず自分の創造力と想像力を自由表現することを良しとするイタリアのワインが世界を驚かせた。

トスカーナの名門ワイナリーがその名を世界に知らしめたティニャネロもカオスから生まれた。

アメリカを中心とした海外でも評価が高まり、1994年「ボルゲリ・サッシカイア」という新たなDOC呼称を得て、単独のワイナリーがDOCとなった初のケースとして、イタリアワインの歴史を変えた。

フランスのAOC法は全てがカチッと決まっている。イタリアのような柔軟性はない。
美味しいからと言ってムートンにシラーを混ぜたらただのテーブルワインの格付けになる。だからムートンはやらない。ある意味フランスのワイン法は厳格で完成しているのだ。だから斬新な実験はできず、びっくりするような新いスーパースターは生まれない。
世界のワイン愛好家からは呆れられているイタリアのワイン法。ただイタリア人からしたら、その自由性とカオスこそが自分たちらしさだと胸をはる。
それこそがイタリアの国民生なのだ。イタリア人のDNAにある「カオス(混乱)」要素。これがないと落ち着かない人たちなのだ。

20年ほど、イタリア人とビジネスを通して付き合っているが、彼らは法律をリスペクトはしているが、誰も守ろうとしない。なんなら裏をかこうとする。まるで法律は障害物のようなもので、それをうまく避けてすり抜けることに生きがいを感じているようだ。だから法律という障害がないとイタリアらしさが出ないようだ。
例えば、イタリア人の友達の運転で最高速度は130キロの高速道路を走っている。性能がまちまちの色々な種類の車が走っている。そんな中出「一律130キロを守れなんて、馬鹿げてるだろ?」と考えるのが多くのイタリア人。制限速度を守るつもりもないし実際に守ろうとしない笑
決められた法律はリスペクトするが、法律が全ての人に同じである必要はない?
まるでイタリア人にとっては、カオスな状態こそが不完全な私たち人間のあるべき姿なんだ・・と言わんばかりに。

Photos by @Shinji MURAKUMO

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