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フィリピン人の母の目に映るもの

「不安で電話しちゃった。ごめんね。聴いてくれてありがとうね。」ってフィリピン人の母は言う。不安なことがあって誰かに話したくなって、私にテレビ電話をしてくれたらしい。

最近たまに考える。母が見ている景色ってどんなだろうって。
だって日本語はカタコトだし、読める漢字だって少ない。日本に来てもう少しで30年になるけど、日本の文化に馴染めない部分があることだって私は知っている。だってそりゃそうだよ20数年間は母国で過ごしているんだもん。彼女の生き方の基盤はフィリピンで培ったものだもん。母だから庇っているんじゃなくて、人として純粋にそう思う。

思春期の頃はさすがにこんな寛容じゃなかったから、母に対して失望したり嫌悪感を抱いたこともあった。分かるように伝えたつもりでも理解してもらえなくてイライラすることもあった。伝えることを諦めることもよくあった。悪いことをしたと今になって省みる。

外国人ってだけで惨めな思いをしたことが少なからずあっただろうし、そんな中で、父が病死してから家族の生活のために必死に働いて、たくさん苦労したろうなって思う。
でもそれでも、ブレずに、頑固なくらい強い意志を持って、いつも笑顔だった。そしてなにより、私や弟に毎日愛のある言葉をかけてくれた。愛してるよって。あなたが大切だよって。
勘違いされやすい性格かもしれないけれど、根はとても温かい。温かい人なんだって私は知っている。

以前、10年以上帰省していない母に、フィリピンに帰らないの?って聞いたら、日本が大好きだから帰らなくて良いって言っていた。日本には良い人がたくさんいるし、食べ物は美味しいし、自然や四季の移ろいが美しいと。初めて雪を見た時は、綺麗で、嬉しくて、とてもはしゃいだらしい。
日本語にも関心を持ち続けていて、初めて聞く言葉をノートに書き留めておいて、あとでどんな意味か聞いてくる時がある。20数年住んでいるのに、いまだに学び続けている。凄いと思う。

母の目に映るもの。それは希望だと思う。
困難を抱えながらも、自分のために、家族のために、明るく生きていきたいという希望。
そんなエネルギッシュでポジティブな母を私はこれからも尊敬するし、味方でありたいと強く思う。

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