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はじめまして、どうぞよろしく。

近頃、私の周りではちょっとしたベビーラッシュだ。
命の芽生えや誕生といった明るく喜ばしい報せを受けると、こちらも嬉しくなる。
と、同時に、自分が子供を産んだ時の気持ちを思い返す。

今私の目の前にいる3歳児は、アンパンマンとトーマスをこよなく愛し、お気に入りの車のトレーナーばかり着るこだわりの人。よく喋り、よく怒り、よく泣き、よく歌い、よく踊る。

そんな3歳が、生まれた時。
今ではクリクリのお目目がまだ開いていなくて、髪だってほやほやで、真っ赤な顔をして泣いていた、生まれたての赤ちゃんと対面した時、私の中に生まれた気持ちは、「へえ、あなたが……」という少しよそよそしくもある感想だった。

母親は、十月十日を胎児と共に過ごす。だから「生まれた時から愛情ホルモンが出て云々」という定説がある。けれど、少なくとも私は、生まれたての赤ちゃんを目の前にして、ドラマや映画で見たような、涙して喜ぶ感動も、愛しさを爆発させるような感情も湧き上がらなかった。

我が子はお腹にいる時、とにかくよく動いていた。しゃっくりも多いしやたらめったら蹴るし、そんなに子宮って広いのかしらと思うほどグルグル回転していて、そのせいかわからないが妊婦検診のエコーで顔が捕捉できたことがほとんどなかった。たまに撮影に成功しても「どこが、顔?」くらいの感じで、エコーの段階で「どっちに似てるね」なんて会話を交わすのは、まぁフィクションの世界だけなんだなと思っていた。ところが姉が残していた姪っ子や甥っ子のエコー写真を見て、そのあまりにも「そのまま」映っている様子に驚いた。うちの主治医があんまりお上手でなかったのか、我が子がシャイすぎて顔を隠し続けていたのか、どちらかはわからないけれど、とにかく、妊娠中にその容貌を感じ取ることはできなかった。

そんな我が子とやっと対面できる出産の日を、私はとても楽しみにしていたけれど、同時にものすごく不安でもあった。
胎児である我が子と、妊婦である私は、医学的に正しいのかどうかはわからないけれどまさに「一心同体」だった。けれど、生まれてしまったら、当然ふたつに分かれてしまう。
妊婦の状態ならば、出かける時も身一つと変わらないし、私自身が危険を避ければ胎児も守られる場面も多いのだけど、これが乳幼児となれば、相応の荷物を持った自分と、もうひとつの命を同時に守らねばならない。そんな器用な真似がこの鈍臭い私に果たして可能なのか、正直全く自信がなかった。一方でお腹にいる間、私は我が子の健康状態を真に感じ取れるわけではなく、それはそれで不安だった。お腹にいるのも、出てくるのも不安。妊婦の気持ちというのはどうにも不安定なものである。
そんな母の気持ちを汲んだのかどうか、我が子は十月十日の40週を超えてものんびりと腹に居座り、陣痛など来る気配もないまま41週を迎えた。

私も夫も、それに親も、なんの根拠もなしに「自然分娩で産めるだろう」とタカを括っていたので、38週、39週とジリジリ予定日が迫ってきても、「まぁ初産ならそんなものか、頑張って歩くしかないな」と思っていたのだけれど、これが一向に痛みが来る気配がない。別にさほど信じていたわけでもないけれど、陣痛が来るというジンクスがある食べ物、ピザとか焼肉とか、そういったものは大抵口にし、「なかなか来ないもんだね」と呑気に構えていて、いよいよ41週に差し掛かる前に医師に「待ててあと3日ってところかな、それで来なかったら促進剤入れよう」と言われた時も、まぁ最悪促進剤入れれば自然なお産というのが可能なんだろうと思っていた。

そして、41週と1日で我が子を出産した。
帝王切開だった。

あと1日2日様子見できるものと思い込んでいた私に、NSTで胎児の様子を検査していた、多分助産師さんは、真剣な顔で何度か私の腹を揺らしたあと、「先生を呼んできます」と言った。ほどなくしてやってきた先生は、やはり真剣な顔で私の腹を揺らして、「旦那さんに連絡つく?」と聞いた。
能天気な私にも、何かまずいことが起こっていることはわかった。待合で待っていた夫を呼んで、先生は、前日のNSTのシートと今のNSTのシートを並べて、胎児の動きが少ないこと、外からの刺激にも反応があまりないこと、41週という週数を考えても、もう出した方が良いということを説明した。私も十分頭が真っ白になっていたけれど、呼ばれた夫はもっと動揺して、なんなら突然の事態に少し怒っているように見えた。「それ(手術)でいいの?」と問われ、私は、そりゃあ自然に陣痛が来てお産が進んで出産することばかり考えていたから、陣痛の痛みすら感じない今の状態で「これから手術して出しましょう」というのは正直不本意だ、という本音をその場では口にせず、「赤ちゃんが危ないなら、仕方ないよ」と、多分そんなようなことを返した。後に夫は「本人が1番落ち着いていた」とうちの親などに話していたけど、それは少し違う。真っ白になった頭で、それでも「自分のわがままで胎児を危険に晒してはいけない」と、理性が訴えていただけのことだ。
産前にうっかりドラマ「コウノドリ2」と「透明なゆりかご」を見てしまっていた私は、「母子共に健康な出産」というのが誰しもに約束されたものではないということを、なんとなく知っていた。医師が手術と言うからには、それが多分最善なのだ。

こうして緊急手術になった私は処置室へと連れていかれ、手術開始までの1時間ほどで目まぐるしく準備を進めた。書類を確認し、手術着に着替え、導尿や点滴など必要な処置を進めていく過程はほとんどタイムトライアルで、なんならいくつかの処置を複数の看護師さんが同時進行している場面もあって、この辺りで私は笑い始めてしまった。手術なんて初めての経験だったので、ちょっとハイになってたのかもしれない。「事前に分かっている予定帝王切開の方は、朝からじわじわ準備しても開始時刻は変わらないから、そっちの方が緊張するかもね」と、私の様子を見ていた助産師さんは言った。
そしていよいよ手術が始まるという時、「はい、じゃあ手術室まで歩いてね」と言われて私はびっくりした。テレビドラマで歩いて手術室に入る人なんて見たことなかったからだ。そして中に入ってさらに驚いたことに、「そこの台のぼってね」と言われた。手術台に自ら上って、さっき着た手術着をひん剥かれ、麻酔を入れられながら、なんだか想像よりずっと滑稽なんだな、と思った。
ドラマのように緊迫感のある音楽がかかるわけでもなく、静かに手術が始まり、ほどなくして私のお腹から、赤ちゃんがとりあげられた。

元気な産声を聞き、小児科の先生たちが健康状態を確認する気配を感じ取りながら、ああ、生まれたのか、と思った。
「お母さん、大丈夫? ほら、赤ちゃんよ」と私の横にそっと置かれた赤ん坊の方を、私は横目でチラリと眺めた。
近すぎて顔なんてよく分からなくて、そんなことより感覚のないお腹より少し上、胃の辺りが酷く気持ち悪く、「感動の対面」はすぐに終わった。助産師さんの手によって赤ちゃんと洗面器が交換されて、私は感極まったのか情けなかったのか、吐きながら泣いた。
ああでも、無事に生まれてくれてよかった。本当に。

術後しばらくしてやっと手術室を出られた後、私はベッドに縛りつけられてるのかと思うくらい、身動きができなかった。麻酔もまだ効いていて下半身の感覚はないし、寝返りは数時間許されないらしく、頭もうまく上がらない。
就寝時刻までは母子同室だったが、赤ちゃんが泣くたびに病院のスタッフが飛んできてミルクをあげてくれて、私はただ「なんだかあの辺で赤ちゃんが泣いている」と言うことしか認識できなかった。初日の夜のことなんて、お腹の上でタップダンスされてるくらい痛かったことしか思い出せない。
だから私が生身の赤ちゃんとちゃんと対面したのは、出産の翌日のことだったと思う。

朝になって部屋に運ばれてきた赤ちゃんを見て、まだベッドのリクライニングを駆使しないと身体も起こせない私は、「これが、私の赤ちゃんなのか」と不思議な気持ちがした。
10ヶ月も一心同体で過ごしたとは思えないくらい、「知らない顔」をしていて、泣くと糸みたいに細くなる目も、ヒョロヒョロの頼りない手足も、真っ赤な顔も、全部ひっくるめてほとんどエイリアンみたいで、仮によその赤ちゃんを連れてこられても、わからないだろうなと思った。きっとお互いに。だって赤ちゃんは、ミルクをくれるなら私でも看護師さんでも一向に構わなさそうだし、本当にお腹の中で気持ちよく動き回っていた子と同一人物なのかと思うくらいよそよそしかった。
「そうか、君はこんな顔をしていたんだね」と、素知らぬ顔の我が子に思う。

はじめまして。
わたしがあなたのお母さんです。
わたしはあんまりできた人間ではないから、立派な親にはなれないかもしれないけれど、それでもあなたの未来が明るく続いていくためのお手伝いをします。
だからどうぞ、よろしく。

そうやって始まった我が子の人生も、もう3年を過ぎた。

エイリアンみたいだった赤ちゃんは、夫そっくりの乳児期を経て、今は私の幼い頃とそっくりの幼児期を迎えた。お世話してくれるなら誰でも良さそうだったのに、いつのまにか「おかーさんが、おかーさんの、おかーさんだから、おかーさんだって、おかーさんなんて」と「お母さん五段活用」をして、私に何かを訴えたり、怒ったり、笑ったりするようになった。時々「おかーさんだーいすきー」と仕込んだかのようなセリフとともに抱きついてきてくれることもある。

母歴3年を過ぎた私は、やっぱり立派な親とは程遠くて、公園遊びにもあまり行かないし、毎日怒って、喧嘩して、しょっちゅう泣かせてしまう。腹が立って仕方ない日も、涙が出る日もある。人間としてもまだ道半ばの私が、この幼い命を正しく導けるのかと不安になることだって、ある。むしろ、育児の不安は毎日更新されてなくなることはないし、親に向いてないと落ち込むこともしょっちゅうだ。
それでも、間違えたら正して、傷つけたら謝って、情けなくても未熟でも、この子が少しでも笑顔多く過ごせるように努力するしかない。
それは「親だから」仕方なくするのではなくて、私自身が、「親でいたいから」するのだ。

あの時よりずっと大きくなった、けれどまだまだ小さな我が子の手を握る。

これから君の過ごす一生の中で、私が手を繋いでいられるのはあと何年かわからないけれど、

これからも、どうぞ、よろしく。

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