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改めて自分について振り返る【自己紹介;23年と半年分の日記】


初めまして。そうでない方は、いつもありがとうございます。くまと名乗っておりますが、大隅絢加です。


最近過去や未来についてノスタルジックに書いていることが多いので、改めて自己紹介をしつつ自分の経歴について振り返りたいと思います。


異常な幼少期;囲碁との出会い

1997年10月2日、京都府で生まれました。2021年4月現在23歳です。一人っ子です。

幼稚園の頃は、問題児でした。年少の頃勝手に年中の部屋に行ったり年下の男の子と喧嘩したりしていた記憶があります。


小学校では通信教育を真面目に受けていたので成績はよかったです。ただ、体育や図画工作は嫌いでした。小学校からいじめかイジリか分からない扱いをされることが多かったです。

小学校2年生の時、今の実家に引っ越しました。私の部屋がなかったことやいい物件があるという話を聞いてマイホームへ引っ越しました。そこから、近くの図書館に友達とよく通っていました。図書館に通う中で、何故か囲碁や将棋といったゲームの入門書を手に取りました。そこが囲碁との出会いでした。その後、親が買ってきたヒカルの碁のゲームを家でずっとやっていました。

小学校3年生の時、祖母の友人の紹介で囲碁教室に通い始めました。そこから囲碁をずっとやるようになります。大会に出たり、合宿に行ったりしてどんどんハマっていました。ちなみに、習い事はピアノ、スイミング、体操教室も通っていました。小学校4年生の時から公文の書写・習字教室にも通っていました。

小学校4年生の頃から、「中学校で囲碁部に入りたい」という意味のわからない理由から中学受験を考え始めます。一番賢い学校はレベルが高すぎる、といったことから公立の中高一貫校である洛北高等学校附属中学校を目指すことにしました。無事合格し、中学から6年間同じ校舎で生活することになりました。


目の前のことしか頑張れなかった;中高の6年間

中学校では囲碁将棋部に入る!と面接でも言っていたのですが、先輩が1人(しかも将棋強い人)であるといったことから大会だけ参加することにし、小学校6年生の時にしていた陸上部に入部しました。種目は800mでした。また、中学校では最初は周りが優秀といったこともあり大人しくしていたのですが、生徒会に立候補し、生徒会副会長になりました。

高校生になり、囲碁部に入りました。興味を持ってくれた友達や囲碁教室で一緒だった先輩もいたので、団体戦は全国にいきました。1年生の終わりは女子団体で4位に入りました。しかし、高校2年の時に予選で私が反則負けをして、全国に行けず先輩を引退させました。1週間以上泣いていたし立ち直れませんでした。その後、個人で頑張らないといけないと思い、近畿大会で2位になり個人でも全国大会に出場しました。

高校からは勉強もあんまり好きじゃなかったので成績は悪かったです。授業もほぼ眠気に耐えられずほとんど寝ていました。高校はSSHだったので大学の研究室に行けるといった取り組みから理系を選択しました。数学と物理は苦手だったのに受験もそれで頑張ろうとしたらセンターで大コケしました。なんとしてでも現役で合格しようとした結果、同志社大学の文化情報学部に合格したので入学しました。


出逢いを広げ続け、ようやく精神的に成熟してきた大学生活

大学ではよさこいサークルに入り、ほとんどをその活動に費やしました。高知県、東京の表参道、大阪、神戸、浜松など全国のお祭りに参加しました。また、自分たちのチーム以外とも積極的に交流しました。交流のために名古屋まで行ったりフェリーで北海道に行ったりしました。いろんな人と交流する中、自分たちのチームとの熱意の差や演舞のクオリティを考えるようになりました。よさこいは1年間踊るテーマを、衣装・振り付けまでほとんど自分達でやります。私は踊りが苦手だったので、MCというセリフを考えて会場を盛り上げるといった活動をメインにやっておりました。

アルバイトは、通っていた囲碁教室のスタッフとして初心者の小学生のスタッフをしていました。それに加えて和食チェーン店の接客アルバイトをしていました。不器用すぎてよくグラスや食器を割っていて、いつも怒鳴られていました。それでも、手土産の寿司を1日に15本とか売れるようになっていました。かなりブラックでしたが、そこでの経験はかなり自分を成長させたと思います。

これまでの経験やよさこいでのMCの制作を通して、自分の作ったもので誰かに影響を与えることに喜びを感じ、TV局や広告代理店の就職活動をしました。OB訪問もめちゃめちゃしました。東京と京都を夜行バスで何度も往復しました。

結果、新卒入社で今の会社に入社します。広告というよりはweb制作のディレクターになっています。今は提案資料の作成やプレゼンなどを行っています。


より人生について真剣に向き合い出す;社会人1年目の終わり

仕事を進めるにつれ、クリエイティブへの関心が強まり今年1月から前田デザイン室というオンラインコミュニティへ入会しました。そこで何故かデザインの勉強ではなく広報やテキストといったライティングをしていきます。

そんな中、プライベートでの悔しさや広告業界への未練もありながら応募した第58回宣伝会議賞で協賛企業賞を受賞しました。お題が「広告人に送るコピー」だったから受賞できたと思ってます。自分がコピー書けるなんて思えてないです。ただ、このチャンスは絶対に無駄にできないと思い、さらに自分の人生を賭けた挑戦を進めていく決意をしました。そこで、タイミング良く開講されたTHE CREATIVE ACADEMYというクリエイティブディレクターを目指す若者が集まる講座を見つけ、超実践コースに応募し、今通っています。


あとがき

さて、23年と半年を振り返ってみましたが、割と濃密な人生を送っているかなと思いました。ただ、自分がどういう人生をここまで送ってきたのか?自己満足で書きました。23年と半年分の日記ですね。

これからは読む人に何を伝えたいか意識して書いていきたいと思います。1年後にはこの文章が黒歴史となるくらい上達してほしい。


ここまで私のよくわからない人生を読んでくださった皆様、ありがとうございました。


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