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長岡花火とおばあちゃんの記憶(防空壕のはなし)

今年も地元の夏の風物詩、長岡花火が終わった。

県内外から2日間で30万人が来場したという。長岡市の人口はおよそ25万人。すさまじい人の数だっただろうな。

私は、もう何年も間近では観ていない。会場まで行かずとも、今住んでいる家(築30数年の安アパート)からよく観えるのだ。“フェニックス”の全景が見渡せる、ちょうどいい距離である。

ここに引っ越してきてからは、小さな子どもと夕ご飯を食べながら打ち上げ番付を片手に鑑賞するのが、すっかり定番になった。会場の混雑に巻き込まれることなく、程よい音量で長岡の花火を楽しめるのだから、なかなかラッキーだなと思う。

前置きが長くなったけど。

長岡花火は、第二次世界大戦の長岡での空襲で亡くなられた方々への慰霊と、復興に尽力した先人への感謝、恒久平和への願いが込められている。

死んだおばあちゃんは、長岡の空襲を経験した。爆撃にあった長岡の市街地からは離れた場所に家があったけれど、夜に空襲を知らせるサイレンの大きな音がして、近くの山の防空壕に逃げたそうだ。炎で長岡の街の空が赤く染まっていくのが見えたと、一緒にお風呂に入りながら教えてくれた。

おばあちゃんが逃げた防空壕は、当時もまだ存在していて、戦争を知らない子どもたちの間では、ちょっとした肝だめしスポットだった。防空壕から東の山に目をやると、広大な田圃の向こうに市街地がよく見える。戦闘機が飛び、猛烈な勢いで街を燃やし尽くしていくのを、どんなに怖い思いで見ていただろう。

おばあちゃんに戦争の記憶を聞いたのは、その時が最初で最後だった。今となっては、もっといろんな話を聞いておけばよかった。

ガザで今まさに起こっている不条理な惨劇をSNSで知ってから、私の中での恒久平和への願いはより切実なものになっている。他人事とは到底思えない。

世界中のすべての爆弾が、花火だったらいいのに。誰ひとり、無情な悲しい思いをしない、やさしい世界を子どもたちに残したい。

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