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外で食べるおにぎりはごちそう


早起きして、
ぱっと身支度して、
作りたてのおにぎりを持って、
いざ出陣。


今日はそんな勢いで、幼いころからの思い出の川原へ行ってきた。


自分の中に普遍の法則があるとしたら、
「外で食べるおにぎりはごちそう」
というのが間違いなくそのうちの一つ。


特に朝の澄んだ空気と、あらゆる自然が織りなすヒーリングミュージックの両方を堪能できる秋の川辺バージョンが最高だ。


幼いころは私たち姉弟三人分のおにぎりを母が一人でこしらえてくれたっけ。
そんなことをぼんやりと思い出しながら、久しぶりの母娘水入らずで川辺を散歩した。


思えば母は、まだ寝ぼけ眼の私たちを連れてよく外で朝食を食べた。
「外で食べる」というと、どこかでモーニングを食べるような朝食を思い浮かべる方もいるかもしれないが、我が家で外で食べる朝食といったら文字通り「外」、つまりそれは、家のベランダだったり近所の公園だったり、今日みたいに川辺で食べる朝ごはんのことだった。

そんなときは決まって母と私、弟二人でおにぎりを持って身軽にでかけた。
たまにプラスで卵焼きかゆで卵がついたり、季節の果物が添えられることもあった。

たったそれだけなのに、外で食べるとなんでこんなにおいしいのだろう!
小さい頃、この秘密の魔法の味を占めてしまった私は、大人になった今でも唐突に我が家の「おそとごはん」が恋しくなる。


だからこそ今日、ひさしぶりのおそとごはん、しかもおそとでの朝食というチャンス到来に、それはもう思いっきり童心にでんぐり返ってわくわくした(おそとごはんの中でも朝食は特に別格の威厳を放っている、というのもまた普遍の法則かもしれない)。

川辺を歩いて朝食にありつくころには寝ぼけ眼もすっかり引いて、夢中でおにぎりを食べた。


ああ おいしい。
なんて幸せなんだろう。


ただひとつ、今日のおにぎりを作ったのが私だということを除いて、
そこにあるのは幼心に感じた特別な情景そのものだった。


流れる水の音を聞きながら、
何気ない日常を特別な非日常空間に作り替えてしまう魔法を教えてくれた母に心から感謝した。

近所の公園で朝焼けを見たり、
川辺の岩や公園の木に登ったり、
蝉のぬけがらを観察したり…

こんなモーニングのセットメニューを考えられるなんて、もしかしたら母こそが朝活の先駆者なのかもしれない。


目の前の母にそんな空想を描きながら、私の特別な朝食はゆんなりと幕を閉じた。




Peace.

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