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自分を愛してくれる人、自分が大切に想う人にフォーカスして一週間を過ごした結果

「名言のように生きる1週間」チャレンジを自分に課すと決めてから最初の一週間が経過した。

先週のテーマは、ずばり「愛」

一見重いテーマのように感じるものの、釈宗演の名言:「多くの人があなたを愛している。そうでない人に注意を向けるのはやめなさい」を意識して生きる一週間は思いのほかすがすがしかった。

そんな一週間の行動をざっと振り返ってみる。


・会いたいと声をかけてくれた何人かの友人に会った

ちょうど「会いたい」と声をかけてくれた大切な友人との予定が入っていたこともあり、身近な愛へ意識を向けやすかったように思う。
一人は大学時代の友人で、会うのは実に卒業式ぶりだった。心待ちにしていた再開に、このご時世もあり少々ためらいつつもハグ。
本当は換気の良い公園で青空ピクニックをする予定が、なんとその日に限って休園日だった。
代わりに入ったカフェで熱い話に何時間も花を咲かせ、彼女の変わらないみずみずしさと竹のようなしなやかさから、マイナスイオンをたくさんチャージさせていただいた。
なんと彼女、noteに移行する前のブログからずっと読んでくれているとのこと。まさかの告白にそれだけで嬉しびっくりドギマギを隠せない私に、印象に残っているエピソードを含め感想を詳細に語ってくれた(心の底からじ~んとしながら平静を装うのがこんなにも大変だとは…!)。
私も心からのエールを送ったつもりだけれど、口下手な分、この場を借りてもう一度。
離れていても、いつも心の底から応援しています。

もう一人は高校時代の友人で、今は9ヶ月の子供がいる。
実は彼女に子供が出来たと分かった日の朝、私が彼女の家に泊まっていたこともあり、お腹にいるときから現在までの成長ぶり(母子ともに)を見ていることになる。女性は特にライフイベントを通して付き合う友人が変化するというけれど、幸い彼女とは今でも程よい距離間の交友関係を保てていてとても幸せだ。
一児の母として奮闘する彼女の姿からも、そして生後9ヶ月の彼女の娘からも、いつもたくさんのことを学ばせてもらっている(実際に彼女と会った次の日には、noteを3つも更新してしまった)。
自分にとって未知の世界で時間を重ねる友人の姿はたくましく、でもどこかやわらかい。
「守るものが出来るってこういうこと」と背中で語ってくれているようだ。
私はいつも、そんな彼女の背中を見て慌てて自分の背筋をしゃんと伸ばす。
子育てで忙しい中、私と会う時間を作ってくれてありがとう。いつか私がママになる日が来たら、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


・弟と普段話せないような話をして、手紙を書いた

わたしには弟が二人いる。昔からあまり自分のことを話すことのない弟たちだけれど、今回はどういうわけか自分たちから語り掛けてくるではないか…!
これまた心の中で喜びを爆発させつつ(なにせ親バカならぬ姉バカなもので)、平静を装って(二回目)熱心に聴き入った。
ふたりとも、弟とは言えもう十分立派な大人なのだ。
20歳を過ぎた大人の男が自分の心の内を話すというのは、きっとそれなりの勇気がいったに違いない。ただの人間でしかない姉がただの人間目線で言えることは限られているので、とにかく精いっぱい話を聴いた。話すうちに、私の知らないところで各々たくさん考えて、自分の殻を少しずつ破ろうと敢闘する弟たちの姿を垣間見た。
相変わらずその場で気の利いたことを言えない私は、そんな彼らの話から考えさせられたことを文章に書いて渡した。

わたしにとって、この世で一番大切なふたり。
もがきながら、時には休憩しながらでもいい。これから精一杯、自分だけの人生を生きてほしいと思う。


・普段だったら言わないような本音を、あえて相手に伝えてみた

愛する人と真剣に向き合うというのは決してきれいごとばかりではなく、時に体力や気力の要ることでもある。そんな事実を身をもって体感した出来事だった。
詳しいことは書けないけれど、今まで心の中でくすぶったまま言えなかった本音をあえて相手に伝える機会があった。自分にとってはすごく勇気のいる行動だったけど、自分を守るための小さな一歩を踏み出したことへの後悔は一切していない。
距離の近い人間同士というのは、時に甘えが生じるものだ。
心地よい関係の中で「超えてほしくないライン」をあえて明確にすることは、簡単なことではないと感じる。でも、どちらかが不満を抱えたまま続ける関係はサステイナブルではない。
いつか小さなわだかまりが大きな嵐となって、必死で保ってきた平穏を奪っていってしまうかもしれない。
だから私は「NO」と言う決心をした。自分の境界線を守ることが、二人の今後の関係を守ることにもつながると信じて。


・家族と積極的に時間を過ごした

母とプチヨガタイムに挑戦したり、淹れたての緑茶を飲みながらたくさんの話をしたり、家族で何年かぶりのカードゲームに挑戦したり…普段の一人暮らしの日常ではなかなか経験できない、お腹の底から大笑いする感覚を久しぶりに味わった。
いつもだったら「どうしよっかな」と一瞬迷ってしまいそうな誘いにも積極的に乗ってみた。
ただ一つの名言を意識しただけで、「この時間は今だけなんだ」という当たり前のことが感覚としてはっきりと自分の中によみがえった気がする。
歳を重ねれば重ねるほど、家族そろって過ごせる時間というのは貴重になる。ここぞという瞬間を逃すと、次に会えるのは何か月後というレベルになってしまうからだ。

以前、こんなショートビデオを観たことがある。
一人暮らしのおじいさんは、いつかまたみんなで一緒の時間を過ごせる日が来ることを願って、ホリデーシーズンが訪れるたびに自分の家族にカードを送り続けている。しかしカードに返信こそ来るものの、一向にその時が来る気配はない。
見かねたおじいさんは、ホリデーカードの代わりになんと自分の嘘の「訃報」を家族に送る。
訃報を受け、今までの自分たちの行動を悔やみ、泣きながらおじいさんの家へと集まる家族。そこへ元気なおじいさんが登場、ついに念願かなって家族全員での時間を過ごすという内容だった。

人はなぜか普段、目の前の相手がいつまでも生きていることを前提に時間を過ごしているように思う。
まるで、目の前の関係や時間が永遠のものかのように錯覚してしまうこともある。

時間は有限だ。

しかし、限られた時間をどう過ごすかだけは、唯一自分で選択出来る。

だとしたらやはりこれからも、私は大切な人のためにそれを使いたいと思う。


・SNSアプリをケータイから削除した

特にここ最近めっきり減っていた「現実世界での人との交流」によって、日常にいきなり色が渦巻いているような感覚に陥ったものの、それが驚くほど不快でなかった理由の一つがこれかも知れない。
時に不快な色となって日常を支配しがちなSNSアプリを、週の早い段階で携帯から一掃してしまったのだ。
このSNS断捨離は、投稿するときにインストールし直してはまた削除したり、ネット環境からログインしたりと面倒な作業が発生したものの、本来愛する人に割けるはずの時間を改めて意識するきっかけとなった。
もともと携帯の通知を電話以外オフにしているので、SNSを見る時間が減ると携帯の画面を見る時間が一気に減る。
無駄な雑音も入ってこないので、心もすっきりクリアになった。

これにより、SNSで垣間見る大勢の「他人の生活」は自分にとって全く重要でないということを再認識した。

・自分が心から大切に想う人、自分を愛してくれる人にフォーカスするということ

この一週間を振り返ると、自分が心から大切に想う人や、自分を愛してくれる人にフォーカスすることは、結果として自分自身を大切にすることだと感じた。
不思議なもので一度そういう人たちに意識を向け始めると、そうでない人への興味が途端に薄れていく。それはひょっとすると、自分はこんなにも大切な人たちに囲まれている、という感謝と誇りが自然にそぎ落としてくれるものなのかもしれない。
感謝誇りが心のスペースをめいっぱい支配するので、無駄な雑音が心の弱みに付け入る隙はほとんどなくなってしまうのだ。

釈宗演の言う「そうでない人に意識を向けるのはやめよ」という部分をわざわざ意識せずとも、最初の「多くの人があなたを愛している」にフォーカスするだけで、案外そのあとは自然とついてくるものなのかも知れない。


・来週の名言

“Books are the quietest and most constant of friends; they are the most accessible and wisest of counselors, and the most patient of teachers” – Charles William Eliot

「本は最も静かで不変の友である。最も利用しやすく賢いカウンセラーであり、最も我慢強い教師でもある」

- チャールズ・ウィリアム・エリオット

7月は読みたい本に出逢う機会が多かったこともあり、なんだかんだで読書は毎日の習慣になりつつある。そこで、来週はこの習慣をもう少し強化してみたいと考えた。

今週思い切って断捨離したSNSアプリは引き続き携帯から削除したまま、
画面を見る時間 < 本を読む時間 としたい。

ちょうど実家にも本を4冊持ち帰ってきているので、朝30分早く起きて読書の時間に充てるのも良さそうだ。

来週は平日にまとまった時間を取れる最後の期間のため、引き続き身の回りの人との時間も大切にしながら、空き時間に思いっきり読書を堪能しようと思う。


Peace!

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