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エッセイ~どこかの家の猫、きなこ

知り合いのひとのおばあちゃんが
飼っている猫がある晩帰宅した。
すると出かける時には、していなかった
首輪をして帰ってきたそう。

きっと他所の家では別の名前で
可愛がられているに違いない。

わたしも猫を飼っている。
きなこ、というおばあちゃん猫だ。
ちなみに歯が無い。

何年も玄関前の小屋にいたのだが、
他の猫にいじめられて
居場所がなくなり、
ついに猫の額ほどの二階のベランダに来るようになった。

去勢手術をしてからというもの
ずっと家を怖がっていたのだが、

ある日を境に
きなこの、その恐怖がピタッとやんだらしい。

二階のベランダの窓からしきりに部屋を覗く 。
肉球でとんとんと窓をたたく。

「入るか?」というと
入るといい。

何度か家の中で暴れ狂ったことも忘れて、
しれっと毛繕いなどしている。

このまま家で飼うことになるのだろうが、不審な点がある。
あまりエサを食べないのだ。
決して病気ではなく、
とても肥っている。 どこかで食べているのだ。
そして身体もいつも綺麗なのだ。

身体を拭いても汚れていない。
きっと近隣の家では別の名前でかわいがられて、
飼われているに違いない 。

夜になると、いそいそとベランダから外へ出ていき
朝まで帰ってこない晩もある。

誰かに飼われている 。

それがどこの家かはわからない。
何を食べさせてもらっているのか?
どんなところで寝ているのかもわからない。

ただわたしは、
ダンボールでベッドを作り。 布団をそこに敷いてやって、
きなこの居場所を作ってあげている。

いままで何匹も猫を飼ってきたが
雌猫を飼うのは初めてだ。

性別で違いなどあるまいと思ったが、
雄猫の大抵はエサを食べると、
さっさと自分の部屋に行ってしまっていたのに対し。
きなこときたら。

その重い身体を
わたしの胸の上にまるまると乗せて来るのだ。
重くて仕方がない 。

ごろごろと喉を鳴らし、
毛繕いのついでにわたしをなめてやると、
首もとのにおいをかぎながらざらざらした舌でなめる。

やめなさい!と、どかすのだが
黒い瞳を輝かせ必死になってまた胸に這い上がり、そこに居座る。

困った猫だ。

どこかの家に入れられて、
それで家に慣れたに違いないのだ 。

近隣のひとのどの家にいついるのか?

「うちのきなこ見ませんでしたか?」と、
たとえ聞いて近隣を訊ねたとしても
呼び名が違う 。

写真も何枚かとったのだが
なんの変哲もないトラネコだ。

きなこが帰ってこない晩は
楽だ。
どこかの家の中で別の名前で
可愛がられていることだろうから。

もし知り合いのひとのおばあちゃんの
家の猫のように首輪をして帰ってきたのなら
それもいい。

わたしの行けない近所の家の中に入り込む、きなこ。

どこかの家庭のこたつにでももぐっているのだろうか?

きなこは
基本的に人懐っこい。

どこでも可愛がられるはずだ。

きなこが幸せであればいいと思う。

幸福を与えるということは誰かを救うことではない。
そんな大それたものではない。

きなこは色々な家庭を訪問しているに違いない。

きなこを救ってくれている家庭もあるし、
わたしもきなこを助けてきた。

でもきなこは誰にも救われないでも
それなりにしあわせでいられたのだろう
猫には猫のしあわせがある。
わたしは大したことはしていない。
きっとどの家も。

ただ皆、お裾分け程度のしあわせを、
きなこに分けてやっているだけに違いないのだ。

ご飯を用意して待っていると、
きなこがベランダから帰ってくる。
用意したごはんに見向きもしない。
お腹を触るとパンパンに膨れている。

後は寝るだけ。

その状態で帰ってきてわたしの胸で寝て、
わたしが詩を書いているのを邪魔をしては、
ふざけ。

やがてわたしも眠くなり電気を消す。
するときなこは自分のベッドへと向かい 。
丸くなるといびきをたて始める。

そうやって何げないしあわせを運んで来てくれている
きなこ。

幸福をどこからか、
きなこが運んできてくれて
その幸福を与えられているのは
わたしの方なのだ。

居てもしあわせな
きなこ。

居なくてもしあわせな猫
きなこ。

今夜はまだ帰ってこない

誰も救わなくてもいい。
その存在が幸福を呼ぶのだ。