どこにも所属しない時間
転勤先の、とある離島に住んでいた頃
平日の早朝にドライブをしていた。
30分程ではあったが、一日の中で唯一
一人になれる時間だった。
晴れていれば窓を開け、雨の日は雨音を聞き
対向車がほとんどいない道を何も考えずにただ走らせる時間は、これから始まる一日のために必要な時間だった。
ドライブを終えたら、自分にスイッチを入れる。なんとなくどこか、何かを無理しているような気がしながら、それでも社会人の一日を全うする。
その島は
空気は穏やかで、地域の人はのんびりと優しく、美味しい店もたくさんあった。
抱えている問題に日々「チクっ」と痛みながらもなんとかなったのは、島全体に散りばめられていた救いのおかげだった。
それでもやはり
早朝ドライブは、なくてはならない時間だった。
会社員でもなく、家族の一員でもなく、
どこにも所属しない自分になるために
一人の時間はほんの僅かでも必要だ。
あの当時の「チクっ」は、小さな傷跡にはなったが、消えてはいないし時々痛む。そしてチクっどころではない、「ズキっ」くらいの出来事も起きている。
生きている限り、無傷ではいられない。
それをやっと受け入れられるようになったのはごく最近だ。
早朝ドライブが快適にできない都会にいる今、
家からも駅からも程よい距離があり
見晴らしも風通しも良くて、知り合いには会わない公園を見つけている。
その公園が今、あの時の車と同じ
サードプレイスのような場所になってくれていることを有り難く思っている。
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