転勤先の、とある離島に住んでいた頃 平日の早朝にドライブをしていた。 30分程ではあったが、一日の中で唯一 一人になれる時間だった。 晴れていれば窓を開け、雨の日は雨音を聞き 対向車がほとんどいない道を何も考えずにただ走らせる時間は、これから始まる一日のために必要な時間だった。 ドライブを終えたら、自分にスイッチを入れる。なんとなくどこか、何かを無理しているような気がしながら、それでも社会人の一日を全うする。 その島は 空気は穏やかで、地域の人はのんびりと優しく、美味し
親の付き添いが必須である子供のイベントには いつもだいたい行きたくなかった。 子供達が幼稚園〜小学校低学年くらいまでの間 恒例のハロウィン行事が特にしんどかった。 地域の、幼稚園の、仲の良いグループの、、 様々な単位の親子参加型ハロウィン。 イベントは単に当日行けば良いわけではなく、事前準備の会合に参加することから始まる。 可能であれば参加をお願いします、ではなく やります、全員集合!の強制参加スタイル。 飾り付け作り、ランチ兼買い出し、丸一日だ。 苦痛だったのは 「マ
美味しいものを誰かと食べた記憶は強い。 あの人と食べたあの時のあれ、美味しかったなー、という幾つもの記憶。それはどんなに古い記憶であっても、その時の「料理と人と空気」は、くっきりと思い出すことができる。 朝まで飲み続けられる体力があった頃 時々行くバーがあった。だいたいいつも夜の12時頃から入店していた。 都心のど真ん中にあるその店は、マスターが同郷の人で、ハイボールが他の店よりも際立って美味しかった。 心折れるような日には特に、ふらりと行きたくなる店だった。 日頃の悩
「酒と本に金惜しむなよ」という父の教えをずっと忠実に守っている 父は「世間一般」とか「普通は」という言葉の真逆にいるようなタイプであった。世の中の、幸せの形を押し付ける風潮や上っ面の調和みたいなものをことごとく嫌っていた。酒と読書が好きな昭和頑固親父だった。 「酒は好きです。借金してでものむつもりです。」 結婚を決め、母の両親に挨拶に行った日に父はキッパリと言い放ったそうだ。 この時くらいは世間一般に倣うべきだったのではないか? そして、そんな発言を胸を張って言うような
進学で上京し半年ほど過ぎた頃、喫茶店で斜向かいの2人がけに座っていた中年男女の女性の方が、男性に水をぶっかけて無言で立ち去るという現場に遭遇した。 22時以降のドラマでしか見たことのない瞬間を生で見て「東京ってすごい!」と失礼ながら胸が躍ったが、そんな刺激的な現場にはそれから一度も遭遇しないまま東京にいる。 日中の飲み物はホットじゃなくてアイスだな、ってくらいの ちょうど今頃のような季節だった。 胸躍る衝撃の後に、少しヒンヤリとした感情が残った。
修学旅行から帰った子供から、旅の写真と動画をいくつか見せてもらった。 「キン○マ」というあだ名の男性教諭が些細なことで男子生徒にガチギレしている動画が面白かった。 怒鳴っている人は、自分の思い通りにならないことに癇癪を起こしているだけで、出来事そのものは大したことない場合がほとんど。 キン○マの怒号はむしろ彼らの青春の1ページ。 ありがとうキン○マ。 これからも彼らの青春のページ数を増やしてあげて下さい。 どの写真も動画も、撮りたい瞬間をスッと撮った感じがして、構図も
求めていないアドバイスをくらってしまったら、心のシュレッダーにかけて めでたしめでたし