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池袋暴走事件の判決が出た。

一年以上ぶりの投稿になってしまいました…

日記代わりに。

池袋暴走事故の損害賠償請求の判決がようやく下された。遺族である夫 松永拓也さん他4名に対して、飯塚受刑者に約1億4660万円の賠償が命じられる結果になった。
2019年4月に起きたこの事故は、痛ましく、幼い命と母親の命を一瞬で奪った。しかし、それだけではなく、現受刑者である飯塚氏が社会的立場のあった人物でありながら、遺族に対して一言の謝罪もなかった。そのことで、更なる悲しみを広げた事は有名な話。

今回、民事で被害者遺族に対する判決が、請求金額の満額とはいかないけれど、それに近い金額で決着した事は「勝訴」としてみれる。以前の私なら、「松永さんよかった。これからは幸せな時間が戻ってくる」と思っていたと思う。しかし、今の私はそう思わない。これから、遺族は本当の意味で試されていく人生が待っている。と考えてしまう。

私自身、3年前、被害者として刑事事件に巻き込まれた。何度も、何時間も、何日も刑事課に伺い、供述してきた。そして、その後、民事訴訟も経験した。刑事事件は被告に対して懲役1年執行猶予3年が下し、有罪となった。裁判の間、相手からは、親族に対しての脅しと嫌がらせがあった。池袋暴走事故の松永さんが受けてきた脅しや嫌がらせに比べたら、かすのような程度だけれど、精神的に疲労したのを覚えている。

事件を起こした相手は、最初から最後まで、私に一切の謝罪をしなかった。刑事事件は、コロナ禍ということも重なり1年半の時間を有した。

民事裁判は、同じ相手で別件を戦った。この裁判も、先方が調停を蹴ったため、裁判に移行せざる終えなかった。こちらの主張を通すために、争い続けることはできたけれど「彼らとは、関わらない新たな人生を歩みたい」と決意し早々に切り上げた。示談となったが、最後には裁判官が約1時間にわたり、先方に対して説得に当たるという、あまり無いケースで幕を下ろした。

両裁判が終わってからも、狂わされた人生が私の手元には残った。

心の苦しみは続いたけれど、「これで良かった」と思える人生にする。
と心に決め、前進を決意した。

裁判が終わっても癒えない心の傷というものは残る。本当の意味で対峙していかなくてはいけないのは、変わってしまった運命。それを受け入れる方法を探すことを、助けてくれる人は誰もいない。
戦う相手をどこに見つけ、「自分たちの正義をどこに見つけていくことが正しいのか」を探していく旅が始まるのだ。

松永さんに
この事件があったからこそ…
と思える人生が待っていることを心から祈った。そんなニュースだった。