”旅”に出られないから”旅”について考える
気軽に海外旅行に行けていた当たり前の日常が異次元世界のように思える昨今。自分が生きている間に、こんなに世界の様子が目まぐるしく変化するなんて、思ってもみなかった。でも、割に淡々と生きている自分がいて社会があって、大きな変化を感じながらも順応している自分に気づく。
歴史を辿ると世界情勢や常識は都度、変化をしている。その時代を生きてない人たちは、歴史的な出来事や変化をとてもセンセーショナルにまるで映画のストーリーか何か別物の様に感じるが、日常はきっとあったのだと実感する。悲劇的に語られる戦時中を生きた人たちもきっと、渦中にいる時には、じわじわと移ろう価値観や生活の在り方の変化の中に、私が思うよりも冷静に身を置いていたのかなとふと思ったりする。
海外旅行は、数年前まで私の日常だった。仕事も海外旅行の手配をしていたし、海外へもよく足を延ばしていた。しかし、”旅”は私の非日常になった。大きなフラストレーションは特に感じてはおらず、まぁ仕様が無いかと構えているのが私らしいと言えば私らしい。
それでも、海外の未だ訪れたことのない土地の写真や映像をついつい見てしまう。すっかり日課になったInstagramに投稿された世界各国の景色を眺める作業をしながら、随分前に親戚のおばさんが放った言葉を思い出した。
7年くらい前の冬の日、一緒に鍋を囲みながら世界の旅紀行的な番組を大画面のテレビで見ていた。おばさんは、「わざわざ行く必要はない。だって今の時代、テレビで何だって見られるし、感動できるから、私はこれで十分だわ。」独り言の様に呟いた。
お金もかかるし、労力もかかる、危険な目に遭うかもしれないしってことかなと、思った。まぁ高齢のおばさんにはそうだろうなと、心の中で思ったことを覚えている。肯定する感情も否定する感情も芽生えなかったが、今まで覚えているということは、何かしら引っかかる気持ちがあったのかもしれない。
わざわざ、”旅”に出る意味。
画像や映像には、立体感や重層感が圧倒的に足りない。土地が自然が纏う何かを削ぎ落としている気がするのだ。そこで生活を営む人々が放つ風土も嗅ぎ取れない。料理で言うなら、スパイス。色で言うなら、グラデーション。
私が”旅”に出る意味は、見る知る経験ではなく、感じたいからだと思う。
感じ、酔いしれる。その感覚を求めている気がしてならない。その心地良さを知ってしまったから、私はやっぱり、わざわざ”旅”に出ることにするのだ。
Smiycle
Smiycleとは、smileとcycleをかけ合わせた造語。笑顔は幸せの連鎖を作る。笑顔のサイクルを作りたいという思いから、浮かんだ言葉です。笑顔をプロデュースする活動や記事を続けていきます。サポート頂けたら、幸いです。https://twitter.com/smiycle