見出し画像

マリアンヌの夢

『マリアンヌの夢』はキャサリン・ストー著のイギリス児童文学書である。これは単なるファンタジーを越えた子供の精神世界を描いた名著である。今日はこの本を読んだ感想を書きたい。

病気になり寝たきり生活を余儀なくされたマリアンヌが家で見つけた鉛筆には不思議な力があり、その鉛筆で描いた絵がそっくりそのままマリアンヌの夢として現れる。マリアンヌは何の気なしに描いた少年と夢の中で出会い、物語は夢の中の世界を舞台にマリアンヌとマークを中心として展開されていく。

以下本の内容は知っているものとして話を進める。

結局マリアンヌの病は何だったのか?

この物語はマリアンヌの誕生日から始まる。マリアンヌは2つの理由から10歳の誕生日を特別に楽しみにしていた。1つは10歳で2けたの年になること。もう1つは乗馬を始めること。乗馬に関しては前々から望んでいたみたく、何度も乗馬をしている自身の姿を想像してきたことが述べられている。内容は概ねマリアンヌが凄い騎手で周りからちやほやされるというものだった

この物語の面白いところはマリアンヌの病気が何なのか一切説明されない事だ。ただ医者からは寝ておかなくてはならないとだけ言われる。いささか理不尽である。だけどトリガーは分かっていて、それはマリアンヌが10歳になったことである。マリアンヌは実際に誕生日に乗馬をしてみて、想像とは異なり自分が凄い騎手では無いという現実を突きつけられたのではないだろうか。それはマリアンヌには向き合わないといけない現実があることを示しているように思える。

マリアンヌの病気を読み解くのに家庭教師のチェスターフィールド先生の誕生日に起きた出来事を取りあげる。その日、マリアンヌは用意していたバラの花束よりも何倍も大きな同じくバラの花束をマークが先生に渡したことを知る。それに対してはマリアンヌは怒り、マークに対して憎しみの感情を抱くようになるのだが、その日かかりつけ医のバートン先生からは次のようなことを言われる。

だがね、いいかい、それをけっしてほんもののかんしゃくにしてしまっちゃいけないんだよ。かんしゃくを起こしそうになったらね、そんなことをすると百年も病気のままでいなくちゃならないぞとでも、死ぬまでベッドにしばりつけられていなくちゃならないぞとでも、自分にいいきかせるんだよ。

癇癪とは子供が泣きわめいたり大声を出して騒いだりすることを一般的に指すが、それをしていては病気のままでいなくてはならないと言うのだから、マリアンヌの病は精神的に大人へと成長できないことを指しているのかもしれない。この病はマリアンヌにとって大人の世界に入る際の、ある種のイニシエーション的な役割を果たしている。

また癇癪とは、自分の思い通りに事が働ないことに対しての子供なりの怒りの感情表現の一つだともいえる。これは癇癪から抜けきれないマリアンヌが自分の描いた通りになる夢の世界からの脱出を経る事で大人になることを描いた作品なのかもしれない。これだけでも良くできた話だなと思える。

マリアンヌは病をどうやって克服したか

病が上で述べたようなものであるなら、病を克服することは儀式を正しく終えて、精神的に子供から大人へと成長する事になる。夢の世界でマリアンヌとマークが家からの脱出へと向かうと同時に、現実世界では回復の兆しを見せ始める。では家からの脱出は何を意味するのだろうか?

脱出するためには足の悪いマークが歩けるようになることが必要である。ここでマークが歩けるようになることは、まさに自立して「自分の足で」人生を歩んで行くことを意味しているのではないだろうか。マリアンヌ自身が歩けるようになるのではなく、マリアンヌはあくまでもマークが歩けるようになるのを支える側に回っている点に注目したい。マークはマリアンヌがいなければ寝たきりのままだったし、マリアンヌの時折見せる優柔不断な姿を知っていると、彼女もマークの強気な引っ張りを必要としてた。二人が一つになることで家からの脱出が実現したように思える。灯台へと向かう途中、倒れたマークがマリアンヌに一人で行くように勧めるも、マリアンヌが二人で灯台へと向かうことを頑なにやめなかったことがそれを示している。

最後にマリアンヌはマークに鉛筆を渡すことに決める。マリアンヌが鉛筆を手放すことにはどのような意味があるだろうか?鉛筆で絵を描くことでマリアンヌはマークのいる夢の世界へと入ることができる。だから鉛筆を手放して夢の世界に置いていくことは、その夢の世界との決別を意味するだろう。この決別と同時にマリアンヌとマークは夢の中、現実世界の両方で海へと向かう。ここで夢の世界と現実世界がすべて一つにつながるのである。どこまでも広がっている海はまさにマリアンヌとマークがこれから長い間歩むことになる大人の世界そのものである。この海への新たな旅立ちをもってして、夢の世界と決別を果たすのである。

最後に話を通じて納得できない事を述べて終わりにしたいと思う。それは家からの脱出には自転車を使い、海への旅立ちにはヘリコプターを使うことだ。どちらも道具に頼っている。まるで家出すると決心して必要となる道具を全部ドラえもんに出してもらうのび太のようである。本当の自立を描くなら最後は筏を作って海へと旅立っても良かったのではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?