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コミュニケーションツールとしてのダンス。

音楽、ダンス、講演など…
これまでの人生、
どれだけ舞台に立ってきただろう。

そもそも小学生ですでに
「自分は裏方の人間だ」
と確信した訳のひとつは
『自分は、ステージに立つ度量がある人間ではない』
と明らかに認めたからである。

表に立つことに
それほど恐怖や諦めがありながらも
憧れを捨てきれず、何かを求め
上がってきたいくつもの舞台。

小さな教室から
満席の東京ドームまで。

そのどの舞台よりもプレッシャーを感じていた今回の
「障がい者施設でのダンスワークショップ」
誤魔化しの効かない裸の勝負。
自分との勝負。

初日。

ここまで話を引っ張っておいて
結果どうだったかと言うと

めちゃめちゃ楽しかった!
のです。

実はあまり覚えていないんです。
と言うより
「事柄としての記憶」よりも
「細胞が喜んでいる記憶」の方が優って
感覚の方が、強く蘇るのです。

もちろん、改善できる点は沢山ある。
まだまだ未熟。

でも、
 誰も見てくれない
 やってくれない
 拒否られる

そう覚悟して臨んだ時間は

予想外に楽しかったのです。

●ハグニケーション紙芝居
●ハグニケーションダンス
●振付ダンス

蘇るのは皆さんの笑顔で、共振し合えている感覚がありました。

ワークショップの中で、一番心配で全く自信がなかった
『その場を自然界に変え、みんなを導く即興ダンス』
師匠香瑠鼓さんに、やるように言われた私の一番苦手なこと…

お家で何度もやるけれど、正解がわからない。
自我が抜けない固い舞なのだけは、痛いほどわかり
本当にこの課題から逃げ出したかった。

でも、皆さんを目の前にしたら
自然に見せたい景色、
一緒に感じたい景色が浮かんで
連れていきたい
って身体が自由に動いていた。

マザーさと子さんが、言ってくださった。
「あの即興ダンスで、泣けちゃった。途中、リコちゃんに抱きついてきた女性、泣いていたんだよ。何か通じたんだね。」

言葉のやりとりができず、
すぐに倒れてしまうので頭にはヘッドレストを常につけている女性。
踊りの途中で私にハグしてくれた時
「香瑠鼓さんだったら、彼女を活かすように一緒に踊るだろう」
って必死にやってみたものの
結局、しがみついて離れてもらえなくて
うまくいかなかったな
って思っていたけれど
まさか涙していたなんて、気づかなかった。

とても
とても
嬉しかった。

私の即興ダンスのレベルが高かったのではない。
きっと、荒削りだけど私の「気持ち」が届いてその全てを受け止めてくれたのだと思う。


これまでやってきたのは
決められた振付を
決められた場所で
決めつけた「上手さ」の価値観の中で磨く
「披露する」ダンス。


それにずっーと違和感を感じて、模索してきたけれど、
少しだけ自分の望むダンスを味わえた気がした。
「人と人が心を通わすコミュニケーションのツールとしてのダンス」

ーーーー今日の一枚ーーーー

ハグニケーション紙芝居。
紙芝居…じゃないか…。
本番前Budou cafeにて。


名古屋から東京へ、月に一回修行に行っています。 カリスマ振付家であり、バリアフリーメソッド「ネイチャーバイブレーション」発案者の香瑠鼓さんの元で学ばせていただいています。 サポートいただけましたら、修行に充てさせていただき、うんと学んで参ります‼︎ 世に還元いたします‼︎