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まとまってないまとめたち:3年秋学期

たった四ヶ月。されど四ヶ月。
初めてのヨーロッパ。新鮮なことばかりだったが、自分の順応も早く、とにかくぎゅっと詰まった素敵な一学期だった。忙しくて、充実し過ぎてて、幸せすぎて。すべて文字にするのは不可能だけど残したいことをできるだけ。

一ヶ月以上前から書きたいと思ったことを忘れないようにリストアップして少しずつ書きためていたもの。
全部読んで欲しいとは言いません笑。でも短編集みたいになってるので、何か気になるタイトル見つけたらちらっとみてあげて下さい。ここ好き、共感とか、異議ありって部分があったら教えてくれたら嬉しい限りです。やはり私の思想ってはちゃめちゃだなと、改めて思いました笑。読んでるあなたのライフアップデートもぜひ聞きたいです!

1日の始まり

ご飯は1日3食、しっかり食べたい派の人間だ。

朝起きてキッチンでわざわざ朝ごはんを作っていたのも最初の一ヶ月半くらいが限度だった。結局ギリギリまで寝て、慌ただしく家を出る。(たまに大切すぎるパソコンのチャージャーを入れ忘れることがあったくらいには急いでた。笑) 基本的に研究をしていた大学のキャンパスまでは徒歩10分。魅力的な距離である。公園を抜けなければならないため、強制的に朝の散歩をしざる負えないのだが、これがとっても機能的で、素晴らしい具合に私のマインドセットを新しい日設定へとリセットしてくれた。

オフィスに着く前に地下にあるカフェに寄って行く。ここでマイカップにラテマキアートを注ぎ、チョコレートパウダー的なのをふりかけて、クロワッサンを片手にレジへ。Guten Morgen!クレカとカップ持参用のポイントカードを取り出す。スタンプを押してもらい、11杯目はタダでコーヒーがもらえるポイントを稼ぐ。レジの人が少し怖いおばさんの時もしっかりとDanke schönとお礼を言う。 ビルに入るまでずっと上り坂の通学路だからなのか、室内が暖かすぎるのか、またはその両方かもしれないが、だんだんと身体が火照ってくる。地下から2階までの階段が長く感じる。それでも私のモチベーションは両手のコーヒーとクロワッサン。そそくさとオフィスに入ってMorning と挨拶。リュックを置いて、パソコンを取り出して机にセット。ここでようやく大きく呼吸する。朝が苦手すぎる私には登校が重労働である。登校完了、ではでは。

美味しくいただくコーヒーとクロワッサン。毎朝の至福のひとときだ。この学校のクロワッサン。信じられないほどに美味しい。周りカリッと中柔らかくてシンプルな味が心に染みる。毎朝食べても飽きるどころか、むしろやみつきだ。週に何回クロワッサンを食べていたのか数えられない。身体の1/10はクロワッサンで出来ているよねと友達に指摘されるくらいにはクロワッサンをいただいてた...。

なんだかんだの幸せすぎる朝ごはん、コーヒーとクロワッサン。ありがとう。必ずと言っていいほど欠かさない朝のルーティンを慌ただしさと共に記録しておこう。

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(学校のクロワッサンはこんなに映えない笑)

不意に恋に落ちた瞬間

それこそキューピッドに射抜かれたのではないかって思うくらい…。

スイス留学は場所で選んだのではなく研究プロジェクトで選んだため、特別スイスに興味があったわけではなかった。とりあえず軽めのガイドブックは日本で買って、全く下調べせずに飛んできた。かなりフッ軽だ。チューリッヒ。来てみたらすぐに好きになった。こんなちょうどいいサイズの街で、欲しいものは手に入るし、交通は便利だし、基本的にどこでも綺麗だし。特に期待してなかったからか、期待以上の場所に出会ってしまい街を歩くのが楽しくて仕方なかった。個人的には大学のメインキャンパスの建物が好きで、最初の2週間のドイツ語集中講座の時期は毎日綺麗な建築を見るのが嬉しくて。ヨーロッパにいるんだなって実感が湧いてウキウキしていた。

そんなスイスに完全に恋に落ちてしまうことになった。この国は本当に、本当に、本当に美しい。言葉でも写真でも伝えることができないほどに。そう、それは自然。山、湖に、滝。何もかも忘れて、その壮大な自然に囲まれる。全てが洗い流されて浄化されていく。息をするたびに軽くなっていくしがらみ。この瞬間から私はリセットだ。そんな感覚を週末のたびに感じられたらどんなに幸せか。

気づいたらスイスの山に行きたくなってしまうんだ。惹かれていく本物の自然の美しさ。普段パソコンとばかり向き合ってる私。そんな人間が作り出しているテクノロジーというものに興味がある私。そんな私のちっぽけな悩みたちよ、おさらば。自然に勝るものは無い。しかしなぜ人はこんなにも自然に癒されるのだろう。それでも人工物は増えていく。自然を守ろうという動きも人工的なのである。同時に、文明のおかげでスイスの山まで来れていることも事実だ。この時代に生まれたことを嬉しく思いながらも、たまには自然に浸ることも不可欠なのだ。現代っ子なのに変わりはないし、スマホなしでは生きられない。そんな私がのこのこスイスにやってきたのは、きっと運命で意味があったのではなかろうか。

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(Firstという山に登った時の写真。この日からアルプスの少女になった。)

天気の力

今年の夏に公開された映画「天気の子」。普段日本にいない私にとって、公開当日に見ることができた喜びと言ったら…! とにかく今年は天気について語るのにタイムリーなのだが、天気の影響力は凄まじい。台風の影響や大雨だったりと日本もたくさんの被害が出ている。自然被害だからどうにも回避することができないのがもどかしい。同時に人間の無力さについて考えたりもする。

スイスの天気予報…これがなかなか当たらない!全然信用できないのだ。来週ずっと雨じゃんって思っていたら、思ったより晴れてたよねって後から気がついたりすることも珍しくなかった。だから山に出かける予定を立てるのが簡単ではなかった。結局毎回行っていたけど笑 行ってみると恵まれるもので。とにかく山の上は、天気の気まぐれがすごい。この天気の自由奔放さと言ったら、まるで私のようである。そんな私のテンションは割と天気に左右される。晴れている日は、朝から澄み切ったように元気に生きられるし、逆に太陽が出てない曇りの日は明らかに光合成不足だ。だから今日はうまく行かなかったなって日に空を見上げる。曇っていたら「仕方ない」って割り切って、晴れていたら「よっしゃ頑張ろ」って切り替えて

でもどうしても冬になると日が短くなる。日の入りが異常に早い。校舎を出た瞬間から長い夜が始まる。夏が恋しい。半袖短パンで身軽に太陽と共にはしゃげる夏が好きだ。でも冬は暗い中灯るライトが可愛くて。綺麗だ。寒い分息をするたびにスッキリするし、すごく心地よい。結局雨じゃなければどちらも好き。

天気の与える影響は大きい。だけど必ず雨は降る。雨の日があるから晴れの日もある。人生もそんなもんだ。いい日もあれば上手くいかない日もある。自然なこと。だからじめじめした雨の日には、てるてる坊主でも作ってさ、お願いしよう。あーした天気になーれ

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(コーヒーを飲みながらここの反射をみてからドイツ語の授業に行くのが好きだった。)

不思議と落ち着く理由

新たな場所、人、学校….全部新しいのに何故か妙に心がソワソワって感じが少なかった気がする。この人誰かに似てる、みたいなことが多々あったり(ドッペルゲンガーみたいな現象多すぎて少しこわいくらい笑)、なんだか落ち着いている自分。その主な理由はおそらくスイスと日本が似ているからなのかもしれない。チューリッヒに来て強く思ったのは、日本人が好きそうな街だなって。治安も良くて、安全で、交通の便も良くて、システムもサービスもきちんとして、でもところどころオールドファッション。日本の現金社会や郵便局とかなんだかんだシステムが少し古い部分がスイスも似ている。

人々も勤勉で日本人に似ているけど、日本人よりも週末や夜の自由時間を家族や恋人などと楽しくリラックスしながら過ごしている感じ。トラムの中などであんまりストレスを感じないのは、みんなそれぞれ余裕を持っているように見えるから。物理のレクチャーもレベル高すぎて難しくて意味がわからないのに、スイス人の子達はいつも悠々としているように見える。その場で焦っても仕方ないということなのだろうか。いや、間違いないんだけどね?そんな周りの落ち着きに影響を受けたのか私もパニクることが少なくなったように思う。

街中もバーとかカフェとか外でみんな楽しそうに人と過ごしているのが印象的で、なんか生きているって最高だなって思うんだ。生き急ぐ必要なんてないんだよって落ち着かせてくれる。そんな風に常に妙に落ち着いている自分である。

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(チューリッヒの街にある橋。ノンフィルターにしてはかなり味のある写真ではないか!)

都会っ子だったはずじゃ...

広い平地。車窓から見えるのは、すべてトウモロコシ(より少し背が低かったら大豆)畑。というのがアメリカのインディアナ。二年間みてきたその景色も美しいのだけれど、スイスの山や湖など正反対の迫力ある自然は反動からなのか大好きだ

自然豊かなスイスにあるチューリッヒはこの国の中心都市だ。もちろん今まで暮らしてきたアジアの大都市やNYCなどと比べると規模はかなり小さい。しかし好きな街ランキングはかなりの上位である、私の中での話だが。インディアナで過ごしてから田舎の良さを知った。東京に帰るたびに人ゴミに疲れてしまう私は、もう少しゆったりと生きていたいと願っていた。でもやっぱり地球の反対側の大都市で育ってきたもので、インディアナほどの極度な田舎ではたまに辛いものもある。全てを考慮した上で、チューリッヒの適度な小ささや便利さが私にはとってもちょうど良い。便利すぎるくらいに交通の便は良いし時間通りに動く。そして大きすぎないからどこに行くにもそんなに時間はかからない。歩いても色んな場所にアクセスできる。人々は忙しいだろうが、東京よりも歩く足取りは軽い気がしている。東京にいると物に溢れているように感じる。それもなく、全てが適度。日本食品も高価ではあるが手に入る。困ることはない。

電車に乗って少し行けば自然。街に住みながらも自然と共に生きていけるスイス。理想の環境すぎる。老後の自分がこの国に帰ってくるのがイメージできてしまった。元気にスイスで山登ってるおばあちゃんでありたいな。

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(カッコつけてるつもりな写真。自分入ってない写真が結局一番いい笑)

こまったさん

小学生の頃読んでいた、こまったさんわかったさんシリーズが懐かしい。という話は置いといて。

ほぼほぼ良いところしかないように伺えるこの留学生活にも、不便なところがゼロなわけではない。でも、軽いツッコミくらいの気持ちでいればストレスは貯まらなくて済む。

まず知らなくて困ったのが、日曜日にお店が閉まっている文化。買い物などはすべて土曜日までに済まして置かなければ日曜日は中央駅まで行かないと行けない。おまけに土曜日はほとんど朝からお出かけしていた私は残った平日に買い物をうまいことしなければならなかった。しかし一日八時間は学校にいた私にはなかなか簡単ではなかった。食べ物の買い出しはまだ良いのだが、普通に洋服などの買い物が至難の業だった。しかし物欲が特にあるわけでもなく、そこまでの問題はなかった。

もっと大きな問題はトイレだ。夏は日本で過ごし、アメリカではほぼキャンパスで過ごす私にとって公共のトイレがなかなかないことはかなり不便だった。あっても有料なのがかなり厄介だ。なぜなら私はコインを持ち歩かない。そして生理現象になぜお金を払うのか納得出来ないからお金を払うと負けた気がしてしまう。そう、切実に日本のトイレが恋しい。ウォシュレットと言う名の天使が舞い降りてほしい。

そのほかに困ったモーメントがあるとしたら坂であろう。とっても坂が多いチューリッヒには、太ってる人がなかなか居ない。良い感じにみんなスリムだ。しかし、坂が割ときつい。通学路は基本上り坂だから朝から息が上がってしまう。何階かがわかりにくい坂の上にある学校ではフロアの数えかたがアルファベットだからわかりにくい。徒歩で街の散策するとなかなかの歩数になる。こっちにきて歩く量がかなり増えた。

言葉の壁もやはりあって、頑張ってドイツ語で話してみるは良いものの、帰ってきた答えがドイツ語だと全然聞き取れない。悲しい。でもこの人生、言葉の壁を体験しすぎて肝は座っているなと自分では割と思う。人に聞いたりとか話しかけたりするのが抵抗なしにできるし、知らない人と仲良くなることも多い。一期一会の出会い。この地球で、その瞬間に同じ場所にいてコミュニケーションを取るという奇跡。すごいことなんだよね。

困ったなぁってなる節々はあるけど、かなりポジティブに物事を捉えることができている。何かとうまくいく。楽しく行こう。人生は

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(この景色を拝むだけの日曜日のお出かけ)

冷戦状態の共同生活

広い一人部屋。たった二人でのシャワートイレ共有。最高の暮らしが待ってると思ってた。でもキッチンシェアが大きな問題だった。これまた、たった四人でのキッチンシェアなので問題なんか起こるわけないと思いたかった。

しかし生活開始1週間で、割と私的には、みんなそれぞれちょっとキッチンに汚れを残していく感じに違和感。この違和感が段々と不快感になっていった。フラットメイトの中で一人どうしてもびっくりするくらいに毎回色々散らかしていく人がいた(ここではAと呼ぶことにしよう)。人参とか玉ねぎとか破片がいっぱい残ってて、お皿も洗わないままずっと置きっ放しにしていて、洗っても綺麗になってなくて、生ゴミの量が半端じゃなくて、人の買ってきたものを聞きもしないで勝手に使って自分は何も買わなくて。思わずつらつらと悪口を書いてしまったが、共同生活でこれらが問題にならないわけがないのだ。まずコバエの大量発生が起こり、それに対して誰も何もしないのが信じられなくて、もったいないがとりあえず私の日本から持ってきた貴重すぎる味醂で対処。たくさんのコバエが命を落とした。すまない。御愁傷様です…。そして、問題の因果関係の原因を潰さないと再発の可能性があるため、とりあえずゴミ捨てのシステムを変えるために、自分の交通カードのゾーン外のIKEAまでわざわざ生ゴミ用のゴミ箱を買いに行った。そこで生ゴミの捨て方を変えることに成功したためとりあえずコバエ問題は潰した。しかし次の問題はこのゴミを捨てる人が私しかいないこと。みんなゴミの処理が出来ないのだ、なぜか。これはアメリカの時もそうだったのだけど、みんなゴミに対して自分は捨てたくないけど排出はするよってスタンス笑 日本人としてはこれはなかなか耐え難い。そして冷蔵庫の中。むき出しで食べ物置くのはどうかと思うのです。はい。

なんだかんだ小さい問題が私をイライラさせていたのは最初だけで、後からはもう失望に変わり、そして許容するようになったくらいの頃。パリに向かう電車に揺られていた時に始まったのが軽いオンラインチャット戦争とでも言うべきか。それは前週に掃除・ゴミ捨て当番だったはずのAくんに投げかけられた、「先週掃除したの?」という質問から始まった。Aくんはゴミを二回出したと言う。そして掃除をどう見てもしていなかった彼は、みんなそれぞれ使うたびに綺麗にしていれば掃除当番など必要ないと主張した。しかし彼の散らかした汚れを掃除していたのは言うまでもなく他の人たちだと言うことをわかっていてほしい。そこまでは優しくみんなで責任を持って汚れは仕方がないから順番にフェアな方法で綺麗にしようよって言う会話だった。しかし彼の放ってしまった一言で凍りつくこととなった。彼はキッチンなどの汚れをeveryone else’s shitと言い放ち、それを自分が掃除する意味がわからないと言ったのだ。そこで私以外の二人の堪忍袋の緒が切れたのか、二人とも私に個人連絡。私はもはや呆れてしまって、笑ってしまった。そこで私がトドメを刺そうと、どう見ても君が汚くしたものを私たちがいつも綺麗にしてるんだからと言い切ったが、彼には刺さらず。相手は強し…僕じゃないよお」っと返されて終わってしまった私の攻撃。なぬ。その後もう一人の子が写真付きでまだ汚れているお皿をちゃんと洗おうねと注意したところで終戦…ではなく冷戦状態に。みんな部屋に引きこもりがちなのは割と最初からだったが、それぞれにAくんには会わないよう生きていたり。私も3週間くらい彼の生存確認すらしてなかったら、久しぶりに下半身はパンツだけのAくんに遭遇。突っ込みどころしかないが、お互い会話は特にせず挨拶のみ。もう後何週間かでお別れって思うと嬉しく感じてしまう自分にびっくりしてしまいながら、急いで部屋に帰る自分であった。

冷戦状態にあるとお互いピリピリしていることで逆にキッチンの衛生状態は向上する結果となった。私としてはかなりありがたかった。

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(入居したばかりの使われてなかった綺麗なキッチンの様子。泣けてくる...)

コンディって何者、アルティメットとの再会

元気なスポーツ少女 & ガリ勉。それが中国で高校生していた私のアイデンティティ。毎日勉強を夜中までしながらも学校ではバスケ、サッカーを中心にほぼ毎日運動をして週に少なくとも二回は試合がある生活だった。当たり前だったスポーツを全くしなくなったのはアメリカに渡ってから。ただのガリ勉になってしまっていた。それも二年間も。

この二年間のブランクは凄まじく、太ったりはしてないけど、体がどんどん衰えていくのを実は感じていた。でもチューリッヒに来てありがたいことにとっても健康的な生活を送ることになった。根本として、歩く距離が増えたことや外に買い物しに行ったりと普段の生活から良好だ。それだけではもちろんない。チューリッヒ大学と工科大学の生徒たちは無料で色々なエクササイズを受けられる。そのキャッチコピーもまさに、For brain, body, and soul。これがなかなかに素晴らしい。スポーツセンターやジムがキャンパスごとにあって、無料で使える。ここで最初にキックボクシングなど試した私がバカだった。初心者OKと書いておきながら本気でパンチとキックされる恐怖。思い出しただけで鳥肌です。

アルティメットフリスビー。サッカーやバスケとともに高校の時に一応やっていたスポーツ。他のスポーツと比べて背が低いのが不利になりにくいかなと思い行きたいなとは思っていたけれど、踏み出す勇気がなく…。そんな時に日本人のグループでアルティメットやってる人がいたので、一緒に行くことにした!この人は日本の大学でアルティメットをガチにやってる自称アル中だ笑 きっかけに感謝!久しぶりのアルティメットはとても楽しくて周りもいい人たちで。毎週通うことはできなかったけど、行くたびに自分はエネルギッシュになって、ハッピーになってこの上ないほど幸せな疲れを感じてた。一緒に参加してた仲間たち、ありがとう(読んでるかな笑)!アメリカ帰ってもアルティメットは続けたい!

しかしアルティメット以上に、私はこのKondiとの出会いを語りたい。Kondiってなんだよ。私もそう思っていた。でもとりあえず調べて動画を見た感想は、え、やばそう、カオスじゃん。でも一回は行ってみたくて、挑戦。これがハマってしまった!音楽に合わせて、体育館の真ん中にいるインストラクターと同じ動きをするだけ。みんなが真ん中のステージを囲んでいるので怪しい宗教みたいになっている。でもノリノリでリズムに合わせて体を動かすといろんな筋肉がストレッチされて腹筋の鍛え方もなかなかだ。最初はきつい運動だが、最後三十分は床の上でやるストレッチなども組み込まれておりよくできているプログラムだと毎回感心。インストラクターはSすぎるスマイルでみんながきつそうに動いているのをニコニコ見ている笑 かなりきついけど、終わってみると身体全体が喜んでいる感覚。自然と笑顔になる自分。楽しい!疲れていても元気になってしまう。中毒性高し。出来るだけ毎週通うこととなった。このコンディ文化をぜひ持って帰りたいと思う笑。

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(高校の時の青春はスポーツだったなってたまーに思い出す。)

教育における相異

帰国子女ということもあって、今まで色々な教育システムを目にする機会があったが、スイスは教育水準がとても高い国であることが日々の生活から常に感じられた。今学期はドイツ語の授業(つまり周りもインター生のクラス)と2つの物理の授業(スイス人が多くいるレクチャー)を受けていた。これらを体験して、全体的にとても高いself-displineを求められている教育システムだと思う。

スイス人には入試がないらしく、行きたい大学に行けるらしい(そもそも大学進学する人の高校がある)。その分毎回生き残っていくのがなかなかに厳しいらしいのだ。そもそも大学に上がると決める人の割合が多くない。そこから大学でふるい落とされていく。教授もTAもある意味放任主義である。すべてやるもやらないも自己責任。しかし、やらない人にはチャンスはないよってシステム。だからみんな自ら学ぶ。その習慣がきちんとできている。レクチャーでもみんなきちんとわからないことを質問をする。TAに個人的にわからないところを教えてもらいに行くところもよく目撃する。アメリカでいうオフィスアワーのような感じ。教授やTAは生徒のことを思っているかどうかはよくわからないが、授業のことについてはよく話し合っていて、授業の向上を目指している。レクチャーの内容もエクササイズのワークシートも全部オンラインで手に入るため、来ない人は来ない。それでもしっかりと課題はこなす。とにかく自己管理。

しっかり勉強をしているんだろうが、学校の図書館は夜8時までだったり、夜な夜な勉強をしている印象はあんまり受けない。真面目にやるときはやって、そしてちゃんとゆっくりするときはゆっくりして。そしてみんなエクササイズも欠かさず行っていて。スケジュール管理能力ハンパないな…。完全夜型人間の私は変わることができたのか…。答えはNOだ。ただフルタイムで研究することと、自由な時間の多い学生とでは、比較対象にはならないのが事実。来学期は夜遅くならないでやることをこなしていたいな。

正直言うと今学期は遊んでばかりだった。研究自体は時間をとるけど、ガリガリ勉強しているわけではないからアメリカの大学にいるときのように自分を追い込んで課題を終わらせるような生活はしていなかった。結果的に勉強できる時間を冒険や一生に一度の経験であろうものたちに使った。後悔はしていない。しかしもう少し効率よく使えただろうなっていうダラダラした時間もあったのが事実。必要だった人生の休息だったんだとみなすことにしよう。20年間頑張って生きてきたからね。それでも来学期からは学業に完全復帰することにしよう。2020年。キリも良いし心機一転頑張って行きまっしょい。

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(大学のキャンパスはとても素敵なのです。)


できないと言う勇気

こんなこともできないのか。他人に失望されることが、正直怖い。だからいつも、知ったかぶりをしてしまう。分かってますってフリをするとその分影で努力してそこのレベルまで自分で持っていかないといけなくなる。大学に入ってから、背伸びして、わかってるフリをして授業が終わったら死ぬほど苦しむことがよくあった。しかし、今回のリサーチに至っては一人で向き合うのは難しく、壁にぶち当たった。

素粒子物理において、私は無知すぎた。私のスーパーバイザーはポスドクの人で、とても落ち着いていてあんまり感情的にならない人だ。この人のことを最初の方知らなかったこともあるが、私は少し話しにくいと感じていた。お互い色々探り合いの状態だったのだろう。接し方が難しくて、いつ質問をして良いものなのか、どんなレベルの質問をするべきなのか。これがなかなか掴めない。しかし、自分がわからないことが多すぎて行き詰まり精神的にそろそろきついぞって時に、ついに、私ってこんなもんですよってさらけ出すことに成功したら、ふっと軽くなった。スーパーバイザーも気のせいか少しずつ優しくなっていった。自分が書いたコードが正しいことをしているかがわからなくて、でも聞くに聞けなくて、ちょうどチェックしに来てくれたスーパーバイザーが「やってることの意味がわからない」って言った時に溢れ出てしまった涙。とまらなくて、ずっとわからない間にフラストレーションを溜めてしまっていたようで、全部溢れ出て。でもその時から自分が出来ないのを自覚してるってこと、スーパーバイザーも私を今まで以上に理解しようとくれるようになって、その分逆に自分のすべきことも理解できるようになっていった。

大切なのは、コミュニケーション。ポスドクにとって簡単でも私みたいな学部生にとっては難しい。エキスパートと赤ちゃん。この違いは当たり前のことだ。過ごしてきた年月が違う。だから、自分は今この段階です、期待はずれだったら申し訳ないけれど、教えていただけるとありがたいですっていう姿勢。頑張ろうとしていたら相手も応えてくれるから。できないことはできない。でも、できることはやる。そしてできないことは出来るようになる。みんな一歩ずつしか進めない。でも確実に前に進んでいけるんだ。

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(研究室?オフィス?たまに一人だったから歌ったりしてた笑)


平和とは何か

スイスのジュネーブに行った時に、中学受験勉強の時からよく教科書やテキストでお目にかかる国際連合の支部を目の前にした。国際連合と平和の結びつきが小さい頃から自分の中にあった。スイスにいると日々平和に生きていられるため、自分の危機感など薄れていく一方だ。しかし、スリのような犯罪が多いパリに旅行に行った時など、自分の荷物を常に目に見えるところに肌身離さず持っておくようにしたり、街中では細心の注意を払って歩くようにしなければならぬ状況のこともある。日本や犯罪率の低い大都市で育ってきた私は危機感を持って生きることに疎い

そんな中、今学期は日常的にずっと心が痛いニュースが入ってきていた。香港のデモだ。大事な小学、中学生時代を過ごした香港という場所は私にとっては大きい存在だが、同時に長年中国で育ってきたこともあり、なんとも言えない状況だ。ニュースを調べるたびに、心がきゅーっと苦しくなって一気に食欲が失せる。同世代の学生たちが香港のために戦っている。そんな中こんなにのほほんと生きている自分が情けなくなるものだ。私が過ごしていた頃の香港は平和で、今のようになることを全く想像できなかった。実際に起きているのが信じられないほどに現実味を感じないのは、自分がこの目で見ていないからなのだろうか。

心苦しくなるのはそれだけではない。ウイグルやチベットの状況も香港の情報を探すのと同時に入ってくる。胸が痛いなんて言葉では表せないほどの苦しい内容が目に入ってくる。同じ人間なのに、どうして人権を無視するような扱いができるのだろう。ミュンヘンに行った時にヒトラーが得た力について考えさせられる機会があった。どうして人間は他の人のコントールや支配をするのだろう。同じような歴史を繰り返すのだろう。アフガニスタンで先日亡くなられた中村医師は自分以外の人のための活動をして生きていたのに。なぜ銃撃で狙われなければならなかったのか。韓国のアイドルたちはなぜ自殺をするのか、ファンのために他の人のために自分の自由を失ってまで笑顔でいてくれたハラのことを思うと心が痛い。人は人を攻撃する。平和、とは。なんなのだろうか。

私は以下の文章を二年前に書いている。

「宇宙開発は世界平和に繋げることができると思う。冷戦がきっかけとなって宇宙開発、探査は進むこととなったが、今となってはたくさんの国が協力し合い宇宙の謎を解明することに尽くしている。なぜなら宇宙という特別な存在は私たち人類だけでなく、動物、植物、海などこの地球自体の存在意義に繋がる。人種、国なんて関係なく、宇宙は人間にとって特別であり、大切なのだ。私たちは地球にいる限り、この内輪での喧嘩をしてしまう。しかし、本当に大事ことは外に出ないとわからなかったりするものだ。日本を海外から見るのと同じようなものだ。国境なんてない、丸く青く美しい地球を見れた暁には、どれだけその価値を感じるだろうか。膨大な宇宙からみたちっぽけな地球で起こっている小さな争いがくだらなく感じるのだろうか。」

私の夢である世界にポジティブな影響を与えることへのステップとして宇宙開発をかがけていた私。国際協力といえど、すべての国が一丸となっているわけではない、むしろ一部だけなのである。宇宙開発ができるのはそこに予算があるからであって、宇宙に行きやすい時代が来たとしても、裕福な人たちからの機会になるであろう。それはむしろ世の中に格差を広げているのかもしれない。だとしたら、ポジティブな影響と同時に来るネガティブな影響のリスクやコストも考えどころだ。もちろん私が平和について考えても世界が平和になるわけではない。そこまでの影響力を求めているわけでもない。ただ、平和に生きさせてもらってるが故に、みんながそう生きられるわけではない現実が痛くて仕方ない。歯がゆいのだ。しかし自分の恵まれた環境に感謝して強く生きていこうって決意した。

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(感動すごかった。日本の国連で口パクで歌ってた小学生は今こうやってスイスに辿り着いたという...)

日本人からの刺激

学歴にこだわりたくなくて、なんとなくどちらにしろ知名度の低いアメリカのリベラルアーツの大学を選んだ。日本人からしてみれば、どこだよって大学に通っている。それでもこの大学に行きたいと確かに思ったのだ、高校生の私は。だから間違えたとは思ってない。それでも今学期確実に劣等感に繋がった部分はある。チューリッヒで出会うインター生達はそれぞれの国のトップの大学に通う学生たちだ。やはり日本人のみんなも高学歴で、学校名って強いなと感じずにはいられなかった。アメリカの大学に行ってるっていう違うベクトルでも、名の知れた大学に通っていたらよかったのだろうか。私の父は不思議だったらしい、私が俗に言う「名門大学」に全く行きたがらなかったことが。この子変わってるって思ったらしい笑。いや、私も不思議だ。ランキング上位の大学に通いたいと思わなかったから。日本に帰るんだったら東大か筑波大、とか謎に思ってたのに。逆に知ってる人が誰もいないアメリカに行く時に特にこだわりはなかったし、むしろ学歴社会とか息苦しいって思った。私はそう言う周りのジャッジとか気にしたくないって、敢えてよく知られてないリベラルアーツを選んだのかもしれない。ネームバリューが全てじゃない。何をやるかだって。社会に歯向かうようにね。実際教授たちは素晴らしい授業とケアをしてくれる大学に行けて、とても恵まれたと思っている。

それでも今学期は大学って大事かもとも思った。どこの大学から来たの?って言う質問。それでジャッジしないでよねって思う。そしてチューリッヒ大学、工科大学で学べていることを幸せに思う自分。大切なのは大学の名前じゃないって自分が信じていたのに。妹が今年受験生で有名な大学を受験しているのも、姉としては誇らしいが同時に自分に対する不安が半端じゃない。弱い人間だ。

そんな私は、大学名はもうどうにもならないけど、自分が得たものだったり持っているものについて考えて自分を勇気付けることに成功した。それはやはりバランスの良さであろう。勉強じゃない部分。人とのコミュニケーション能力、文化的理解、生活能力…など。アメリカに行ってから特に伸びた強み。誇りに思えば良いってこと。逆に勉強はやれば少しずつ追いつけるじゃんって。大丈夫、きっと私にも私の良いところがある。そうやって自分が自分を認めてあげないとね。

スイスに来てからまた日本人としてのアイデンティティが強くなった。やっぱり私日本人なんだ。そう日々思うのだ。やはり言語どうこうではなく文化なのだ。背景にある文化が自分を形成している。アメリカ人しか周りにいなかったドイツで過ごした三日間で見つめ直したアメリカナイズされてない自分。違和感というのか、これを。日本人といるときの方がシェア出来るものが多い。それは親が私を日本人として育ててくれたからなんだと気づく。食も音楽もファッションもお笑いも。全部日本ベース。確かに常日頃から日本のメディアに目を通す。アメリカのニュースはほぼ見ないのに。そんな自分を無理やり他の文化に押し遣る必要はない。ただ視野を広げてもっと他の文化を受け入れる器を大きくしたい。

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(日本の田舎も好き。田んぼとか山とか。)


変わっていく家族のカタチ

常に遠くから見守ってくれている親。なんだかんだいつでも会いたくなってしまう兄妹。そんなみんなと離れているからこそ思うこと。

親は良い意味でずっと放任主義を貫いてくれた。基本的にやりたいことをやらせてもらっていたし、怒られることもそうそう無い。私が何をやってるのか興味がないわけではないのだろうが何も聞かれないし、特に何かを押し付けて来たりもしない。良い成績をせっかくとってもそんな褒めてもらえないし、ほっとかれてる感じがするけど、それだけ信用されているということなんではないだろうか。二十歳になるまでこんな風に不自由ない生活をさせてもらって本当に感謝でいっぱいだ。夫婦はとても仲が良く、家族みんなが仲の良い友達のような関係だ。そんな家族が恋しくて、できればスイスに遊びに来て欲しくて、聞いてみたら、母が言った言葉。これが深イイ。

「私が20万円使って遊びに行くくらいだったら、その分あなたが使った方がイイと思わない?そっちの方がずっと価値があるよ。」

思わず、なんてよくできた親なのだと言葉を失った。そうやって今まで私たちの教育費に回してくれたんだなと。だから私はこれらの経験を絶対に無駄にしない。いつもありがとう。

離れてる間に妹が努力家になっていた(昔はダラダラしてたのに、テキパキと行動する勤勉家に…)。高みを目指して突っ走っている感じに数年前の自分を重ねたり。大学に行くのがすごく楽しみなようだけど、受験生の今は大変そう。でもその頑張り、応援しています。今では私の方がだらけている。お姉ちゃんも頑張るよ。いつも連絡したら忙しいのにお話してくれてありがとうね。会うたびに爆笑できて、本当の意味で理解し合えるのはこの子だけなのかもしれない。大切な存在。

そして兄は人生の転機を迎えていた。長い間離れて暮らしているけども、兄のことがとても大切だったから、兄が彼女のことでいっぱいになるのが正直いうと寂しくて。素直におめでとうと言えない自分。自分のことばっかで、最低だ私。でも大きな決断をその若さでした兄のことを尊敬せずにはいられない。四年後に私はまだ自分のために生きている気がするよ。だから責任を持って生きてること、心からすごいと思う。これからも優しい兄でいてください。で、たまには妹のことも思い出してください笑。

いつもみんなが世界のどこにいるのかよく分からない。そんな家族。でも心の繋がりはかなり強くて、一緒にいるかはもはや関係ないんだなと。会った時にHOMEって感じる家族のカタチ

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(活気がすごい上海。毎回この国すごいわって思う故郷です。)

まだ二十歳なんですが

規則正しい生活。その定義を教えて欲しい。

よく考えてみたら高校生の頃から夜中の2時に寝るのはもはや定番だ。それでも徹夜はほぼしたことがなくて、出来るだけ3:00には寝るようにしている。このような生活は慣れていて、夜遅くまで起きていることに全く抵抗がない。しかし身体には確実に負担をかけている。老いを感じるのだ。疲れがなかなか取れなかったり。体が持ちこたえられてないことが多々ある。ポーッとしたり、めまいを感じたり、まっすぐ立てなかったり。こういう現象があると寝不足を感じるので数日間休息に徹する。睡眠が短い分、寿命が短くなっていると思う。しかし、いま元気に動ける間に将来動けなくなった時の年数を失うなら別に構わないというのが私の考え。生き急いだっていいじゃない。早死にするかも知れないけど、その分若いうちに色々詰め込んでおきたいと思ってしまうの。

自分の顔は好きじゃないからできるだけ避けるけど、ふと鏡に映る自分の顔。あれ、老けてる!笑 大学に入ってから確実に、顔が二年分ではなく五年分は老けた。顔や目から輝きみたいなのが消えている。若さが…ない。二十代になるというのはこういうことか。去年ひとり旅していた時に、19歳と言ったらかなり驚かれた。十代にしてはしっかりしすぎていると。それでも私は今年二十歳になった。この19と20の差がかなり大きいのだ、なぜか。

時の流れの感じ方は不思議だ。11月なんて秒で過ぎ去って行ったような気がするが、夏のことは遠い大昔に感じられる。一つだけ言えるのは、毎日ちゃんと生きていれば後悔しないだろうということ。これから先の人生が長いか短いかは分からない。「まだ」二十歳なのか「もう」二十歳なのか。どちらでもいい。いつ命を落としても悔いがないように。ただそれだけ。

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(この美しさを目の当たりにすると、ここで命を落としても本望とか思う。)

目が足りない冒険

出来ることなら旅人になりたい。去年一人旅を終えてからずっと繰り返し言っている。見事に数年ごとの引越しを繰り返して生きてるうちに定住できない人間が出来上がってしまったようだ。

割と保守的でリスクを取るのが苦手なビビリ。これが実は私の本質。それでも一回そとに出てみれば、出来るじゃんって自信。失敗するのが怖いけど、一回の成功でかなり勢い付く単細胞。だからひとり旅が楽しすぎて、一人でいるのが好きになった。ヨーロッパは未知の世界だったけど、なんとなく来てみたら、世界がグッと広がったような気がする。今まで見てきた東南アジアとか中国とかの現代発展とは真逆で、中世の歴史が詰まっている。アメリカは歴史が浅いけど、ヨーロッパは人間の文明の発展が目に見えるいかにも西洋!って場所だ。絵本の中の世界が本当にあるのかって。てかこれ全部夢なのでは。

スイスは小さい国で、スイス内の移動はとてもしやすい。Geneve, Luzern, Lausanne, Interlaken, Bern, Basel…etc. 主要な都市や色んな山などまわりまくった。綺麗なんです、とっても。海外の都会は汚いことが多くて、幻滅することの方が普通だと思っていたからスイスは天国のように美しい。
スイスの地理的に、周りの国にもアクセスしやすいので、たくさん旅をした。パリ、ミラノ、フィレンツェ、ミュンヘン、ウィーン…そしてこれからまだまだ回る予定だ。今はなんか目で見て肌で感じて、インプットが多すぎて。全然整理できてないのだけど。こんな経験人生で二度とないと思うんだ。後から振り返った時になんて生活してたんだってきっと思うはず。だって週末のたびに新しい場所に行って刺激を得ているのだもの。贅沢な人生だ。本当に。十時間のバスや電車だって、この経験の価値を考えたらへっちゃらさ。

Googleマップを見ていると、まだまだ行ってないところばかりで。一生旅人でいるんだろうなって思う。地球に生まれてきたからこそ、この地球上のいろんな景色を見てみたい。そして宇宙にも行ってみたいんだ。まだ知らない場所へ。

そうやって今日もまた、私は新たなところへと旅発つ。

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(イタリアフィレンツェ。なんか凄すぎて言葉も出ない。OMGしか言ってなかった旅。)

アメリカとの向き合い

アメリカの大学についてはあまり考えないようにしている。それは卒業するまで待っておこうと思うことが多いからだ。逐一記録するとすごい落差の激しいプロットが出来上がると思う。ただ、一回離れてみて感じるものは自分の中でプロセスしておきたいなと思うのでここで少しアウトプット。

まず、心の中でアメリカに帰りたいって強く思ったことが正直ない。というのも確実に戻ることが分かっているからなのだろう。そしてインディアナで過ごした二年間はすでにアメリカの田舎で勉強尽くしの生活を送る体験としては十分だった。新しいものが見たい、いろんな人と出会いたい、そういう違うものに惹かれていくヨーロッパでの日々。

アメリカの友達に会いたい人がいるのも事実だが、ありがたいことに、今学期は電話などを通して友達や後輩とお話をすることが多かった。離れているからこそこうやってきちんと話す機会を設けようとするもの。だから正直言うと電話できてお互いのライフアップデートをし合うのが十分に楽しくて、次会うときまでにまた話すこと増えてるなぁ、くらいの感覚なのである。離れてて寂しい、というよりは、離れているからお互いに思い出して時間を作ってシェアできているのが実は好きだったりする。遠くにいるほど自分にとって大切な人が見えてくる。だから思いの外さみしくないし、むしろ絆こんなにあったんだって驚いたりする。いつもありがとう。連絡してくれる人たちには感謝でいっぱい。

去年からアメリカを離れたいと思っていたが、ヨーロッパに来て過去の二年間はとても重要だったことが分かる。アメリカという国で自由に自分らしく生きれるようになったことを思い出す。アメリカで過ごした二年間がなかったら今のように図太い軸のある私はいなかったと思う。アメリカで培ったビジネス的なコミュニケーションの取り方や、カジュアルな表現の仕方など生きる上で必要な術を大学の最初の二年間で得た気がする。今学期ヨーロッパに来て良さが分かるのも、比べる対象があるからで、アメリカにいた期間が実は大役を果たしている

正直しばらく帰らなくてもいいかなって思っているのは事実なのだが、過去の大学二年間は濃かったし、今の私をここまで作ってくれたのもアメリカでの生活。アカデミック的にはチューリッヒが強すぎるが、私にはリベラルアーツが合っていたと心から思う。長所短所はどこにでもあって、いろいろ経験してることが私は楽しい。同じ場所目指していても、行き着く方法は一つじゃないから。
それではアメリカよ、また帰る時まで。

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(インディアナの広い空はとても素敵。)

初心を忘れずに

常日頃から人にドヤ顔で夢とか目標とかを語るタイプだった。そうやって目指しているものがあると頑張ろうって思えていたんだ。それでも気づいたら「現実」ってものに取り憑かれていて「夢」をみれなくなっている。少し前までは世界のために何かしてビッグになるっていう大きな光を掴みたくて。でも今の私は、自分自身がやりたいことを見つけるのに必死なのだ。自分が幸せでいたい。そのために生きる。有名にならなくていいし、世界を変えるような発明なんてしなくてもいい。自分が、そして自分の大切な人たちと笑顔で幸せに過ごしていたいんだ。一人一人が灯す光が小さくても綺麗だから。そう思うようになって、大きな野望みたいなのは失ってしまったのだ。そのおかげで丸くなったし、周りの人のことも大切にできるようになったし、取捨選択もしやすくなった。でも自分が大切にしてきた価値観と変化がうまく処理できなくて色々悩んでしまうんだ。

自分に自信を失うことが少なくない。例えば英語が下手だなって実感する時。素粒子物理が難しすぎて分からない時。でもこれらは初心を思い出すと原動力が湧いてきたりする。英語を始めたきっかけはハリーポッターのテーマパークに行く時にコミュニケーションを取りたいからだったなぁ。自分のお金で行くからまだ行かないって決めている。そのくらい自分の中の軸に今でもなってる昔からの決まりごと。そして物理に関しては宇宙を好きになって、宇宙兄弟のおかげで現実と夢を融合することができたからこそ取った選択肢。ただ進めば進むほど溢れ出る不安。最初のモチベーションを思い出して、自分は今何をしているんだと疑問に思う。自分に満足するようなレベルに達してしまったらそれは目指すところが低すぎただけ。不安になるのは、それだけ上を見ているということなのではないだろうか。

目指してるものがはっきりしていなくても、目の前にあることをこなしていれば点と点が繋がるらしい。まちがいない。というかそうやって生きてきたんじゃないか、これまでも。自分が遠くの点を見ているようで実は結局目の前にある点を打つのに精一杯なんじゃないのか。だとしたら今目の前にあることを目一杯にやって生きて行こうじゃないか。大きな夢を持つことは素敵なことかもしれない、でも必ずしも必要なものではない。彷徨いながらでも進んでればいいじゃないの。その足を止めなければ辿り着く場所があるのさ。その足を動かし始めた理由を思い出してみたら、不思議とまだ頑張れるかもしれない。

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(アメリカに行くことを決意した時のスマイルちゃん。初心忘るべからず。)

物理が導く道

私は好き嫌いが割とはっきりしている。人参は嫌いだからそもそも買わないし、大好きなものはモリモリ食べる。でもそれらは感覚的判断に委ねている(考えるのは後々)。今学期は正直、自分の中で物理に対する思いがはっきりしたのではないかと思う。本当の意味で物理が好きかどうかという判断がしやすい環境に居られたのではないかと思う。物理が好き。その気持ちは変わってないし、変わらない。ただ物理をどう好きなのか。これから先どうやって向き合っていたいのか。それを私の心が少し教えてくれた気がする。

ここではっきり言おう。私にとって物理は難しい。そして、多分どちらかというと苦手だ。内容が難しくなればなるほど自分の得意分野じゃないことが明確になってくる。しかし、この多少苦手なものに向き合って分かるようになっていく自分が好きなのだ。(苦手克服の大切さって日本的な考えな気がする?得意なこと伸ばす方が西洋の思想かな?)そして理解不能でも物理に囲まれてることで自分に負荷がかかるストレスがほぼない。だから、やっぱり好きなんだと思う。ストレスがたまる理解不能なものっていうのもやっぱり存在しているから。よくわからなくてもやっぱり楽しいって感覚は特別で。この不思議な感覚を与えてくれるのは物理ぐらいではなかろうか。向いているどうかは別として、知識やツールとして物理学的インプットを増やすことで私の世界の見方がガラッと変わる。そんな普通じゃない知識が得られる物理は単純に私の生きる楽しさUPの栄養源のようなもの。ただ、それを本質的に好きなのと一緒にするのは訳が違う。学問的に追求したいという衝動ではないのだ。研究をしていても、そういうことを疑問にして研究をするんだってこと自体に興味があって、その研究結果自体に興味が大いにあるわけではないらしい。数式や方程式を見ても、式は何を表してるかってことよりも、式自体はそのまま素直に受け止めて、その使われ方に興味がある。例えばコーディングしてみるとこう表されるんだなって。そして、なるほどねって自分で思ったら満足する。自ら考え深く真相を突き止めたいわけではないらしい。大きな器にたくさん知識を増やしてそれを使っていきたいタイプらしい。

ここまできて研究者になるのにいまひとつ違和感を感じている。一つのことにとことん集中できるタイプではないことが伺える。だって研究しなきゃいけない時に限ってこうやって文章を書いてしまう。逆にバランスよく色々なものをまとめていくのが得意だ。だから自分はGeneralistである、ということを断言しよう。その上で、だからこそSpecialistに憧れてここまで物理を追いかけていたことも理解しよう。そして楽しいことをいつも選んで進んでいたら今ここに辿り着いたことも認識しようさて、次はどうするのか。とりあえず、物理学から吸収できるものはまだまだあるから、大学卒業まではインプットに尽くそう。そして、そのインプットを無駄にせず自分のものにしていきたい。そのために物理の勉強続けます。だって、楽しいもの。来学期は交換(visiting)留学生みたいな扱いで物理や数学の授業取ることになる。研究尽くしの今学期とは感じることも違うでしょう!とりあえず、やりたいことなんだから、やってみようと思う。

結論:まだまだ悩むことになるんだろうな。

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(可愛すぎるマイ宇宙飛行士2号。みかんが良い仕事してる。)

未来の自分像

今年二十歳を迎えた。成人するというのは想像以上の重みだ。実際そんなに変化なんてないだろうって思っていたが、十の位が変わるとこんなにも違うものだなと。十代だった自分が異常に若く感じる。自分の中での区切りなのか世の中的になのかは定かでは無いが、確実に責任感が強くならざる負えない。考えることも変わってきた。今までは大学院についてしか考えたことがなかったが、就職という選択肢も見えるようになったのは、社会的な意味合いが強いのかもしれない。自分のことは自分で。経済的な面でも一人前になるには働くべきだと思うようになった。チューリッヒで出会う人たちは年上が多かったし、みんな妙に自分よりも大人な気がした。しっかりしないとと思わされた。

就職とか正直面倒くさいし、学生で居られるならそれが一番じゃんって思っていたはずなのに。今学期は真逆の思想を持つ自分。働くとお金を稼ぎながらも学ぶこともたくさんあって、莫大なお金払って勉強するより良いじゃんって。働きたい。この衝動は抑えるものでもないのだろう。それでも学校で学ぶことが大好きだった私がこう思うのはインターンの影響だろうか。
やりたいことがたくさんありすぎて。とりあえず今できることはどの道にも進めるように用意することなのではないだろうか。学生の時間もまだたっぷり残っているから、学生の間にやりたいことはしっかりやりたい

波乱万丈人生。まったく先のことが見えないけど、前に道があるのは分かってる。地図読めない方向音痴なんだから、とりあえず一歩一歩進んでいこう。そうすればきっと大丈夫。

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(ルツェルンを上から見たら美しかった。中国人観光客のいない場所を狙うのがコツ。)

まとまってないまとめのまとめ

こんな感じのまとめ(?)になりました。読んでいただいて感謝です!突発的に書きたい衝動に駆られて、その都度思いついたことを書いて、あとからまた付け足していった感じなので、ごちゃごちゃしてるかもしれません。でも私の思想がシェアできてよかったと思っています!笑 まだまだ考え方捉え方が未熟で。そんな自分を自分が客観的に見ていこうと思います。今年も残りあと少し。毎日大切に。楽しく生きていこう。

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