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本当は生きていたいんだよね

消えてしまいたい=生きることを諦める、のとは違う。本当は、生きていたい気持ち。「消えてしまいたいくらい辛くて苦しいから助けて」ってことなんだって気付く前のお話です。

義母からの攻撃で心がボキボキに折れてしまい、おこもり生活の始まり。

(義母登場の回はこちらです)

生きてるけど死んでるような状態で、薬を飲んで眠るだけ。前回と同じく、うつが悪化する前後の記憶はない

この時の希死念慮の威力は凄まじかった。あっち側にいくにはどうすればいいか。どの方法なら迷惑をかけずにすむのか。考えても考えても、誰かしらに迷惑がかかる。この頃には、私がいなくなって悲しむ人がいるという感情を失っていた。でないと、あんなバカなことはしない。

私は、今生きている。生きていてよかったと思う。でも当時は、私はこんなにも苦しいのに、あっち側に行かせてもらえないほど悪いことをしたのか?その罰として生かされているのか?と絶望していた。

主治医には見放された。「そんなことするなら、もう診れない」と軽蔑するような目で言われたことは覚えている。もちろんすぐに転院した。

うつが重症な時でも、”家事はやならくてはならない”という気持ちに縛られていて、それが苦しくて苦しくて、もう家を離れるしかないと思い、しばらくの間、実家のお世話になった。

自宅から離れることで、いくらか気分は落ち着いたけれど、気になるのは変わらない。どうにもできない。作り置きおかずを作っては、父に頼んで届けてもらった。

私がいないと家族がご飯を食べられない。その気持ちが、苦しいくらい強くあったのに、なぜ自らご飯を作ってあげられない状況にしようとしたのか。希死念慮とは、本当に恐ろしいうつ病の症状だ

今でも時々襲ってくるけれど、私は生きたいのだ、ということがわかっているので、なんとか折り合いをつけられるようになってきている。負けそうな時でも、両親と家族の顔が浮かんできて、毎度救われている。

私は、罰として生かされているんじゃない。堂々と自分の人生を生きよう。

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