見出し画像

十年ぶりのカラオケで感じたこと

ひさしぶりに行きました。

もう何年前か覚えてないくらいです。
ヘタしたら十年ぶりくらいかもしれません。

「どこへ?」かというと、カラオケです。

学生の頃は好きでよく行ってましたが、個人事業を始めてからはすっかり足が遠のいていました。
しかし、今日は今年になって知り合った友人5名と、ひょんな流れからカラオケ会となりました。

歌好きの人たちだったので、
往年のアイドル曲からブルース調の曲、yoasobiなど最新の曲まで幅広い選曲で、かなり盛り上がりました。

今日のメンバはたまたま、女子会の中に自分が男性ひとり紛れ込んだような会でしたが、かなり楽しめました。

以前の自分だったら、女子会にひとり男性、とか平日昼間にカラオケ、とかはどこか違和感があったり、参加するにしても変な気負いや恥ずかしさがあった気がします。

しかし、今日はまったくそんな気もちはかけらもなく、
「あ〜、よく遊んだ」とただただ仲間と楽しい時間を過ごした気分でした。

もちろんメンツが良かったからなんですが、
加えて以前なら抱えていた「枠」がどんどんハズレてることを実感しました。

よのなかには「枠」、つまり様々な常識や社会通念、観念があります。
「こうすべき」「これが普通」というような考えです。人の神経を逆撫でしないためには、知っておくとよい場合もあります。

しかし、それらが自分の行動や考えることの縛りや囚われになっていると、喜びや楽しみの邪魔をしてしまいます。高じて、人生の大切な局面で一歩踏み出すのにブレーキがかかってしまうこともあります。

今日は、そんな常識や社会通念による縛りや囚われが減れば減るだけ、楽しみや喜びが増える。それがあらためて確認できました。

かつての自分を振り返ると、幼い頃は様々なことに縛られていて、その反動で何でもかんでも反抗していた時期もありました。

でもある時、反抗も囚われの一形態と理解が進んで、
自分を縛ったり、反抗心が湧いたりする原因、囚われの根本原因である内面のわだかまりを解消してきました。

そのおかげで年を重ねるにつれ、楽しい時間が増えています。
そしてまだまだ枠が外れる気もします。


以前、晩年の一休和尚は子供のようだったと聞きました。
きっと枠やこだわりが無かったんでしょうね。

自分もそんな歳のとり方をしたいものだ、と思います。

あなたもそう思いませんか?
そう思う人がいたら、今度一緒に遊びましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?