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メンタルのお掃除

今朝、起き抜けに気がついたことがありました。

頭の中で声がしていました。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ、それじゃダメだ!」
「お前なんかなんの価値もない!」

そんな声です。

あれ?
なんか聞いたことある。
覚えのある台詞だな。
なんだっけ?

そうだ。。

そう、これは、かつて慣れ親しんだ台詞だった。
そのことを思い出しました。

これは、子供の頃、そして思春期、社会人になっても、
自分で自分にかけていた声がけでした。

発破をかけていたのです。
いや、そんなに生ぬるくなかったな。それ以上のものでしたね。

当時は、自分をシゴいて、多少痛めつけて、
それをモチベーション、行動のエネルギーにしていました。

なぜそんなことになっていたかと言えば、

子供の頃や思春期は、勉強を、
社会人になってからは、仕事を、

「自分がやりたい」と思う以上にやらなきゃいけない、
そんな環境に身を置いていたからでした。

「やりたくない」気分を脇において、
自分を勉強や仕事に向かわせなきゃいけなかったので、
その方便として。

やりたくないことを無理やり自分にやらせるために
当時はそうやって言い聞かせていたのを思い出しました。

今落ち着いて聞くと、非常に違和感がありますが、
かつての自分になりきって聞くと、大して感じません。

そんな馴染むほどに言い聞かせて、
当時の環境をサバイブしてきたんだなと思うと、
ちょっとジ~ンときます。


さて、
当時の自分は大変だったな、と思いますが、
なぜそんなに大変なことになっていたかと振り返ると、
設定、すなわち立ち位置の問題だったように思います。

当時の立ち位置は「やりたいことは自由にできない」でした。
または、「やりたくないことをやり続けなきゃいけない」でした。

この環境設定、立ち位置で生きていくのであれば、
冒頭のあの「言い聞かせ」、
精神的に大変ではありましたが、
サバイブするのに合理的なやり方だったと思います。

しかし、
「やりたいことができる。やりたいことをやっている」
という立ち位置に立つなら、

「ダメだ、価値がない」という声がけは、
全くナンセンスでしょう。
立ち位置と完全に矛盾しますものね。

昭和から令和へと時代が変わり、
世の中の空気や価値観はすっかり変わっていますが、
心の中にはまだ昭和が残っていたんだなと思いました。

現在いる環境によって、
何が機能して・何が機能しないか、は変わってくるわけですが、

内面の会話や心理的な立ち位置など、
メンタリティについては、意識化することがないと、
幼少期や思春期のものをいつまでも持ち続けていたりします。

時代や環境に合わせて、
心の掃除
も完了させようと思った出来事でした。



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