アラフィフからのアイドリッシュセブン35 和泉兄弟③ 和泉三月
2022年1月28日
「IDOLiSH7 LIVE BEYOND Op.7」DAY2のアーカイブ視聴
画面の中の和泉三月役、代永翼さんが言う
「ごめんなあ、完璧な三月じゃなくて」
見ていた娘が泣く。
「そんなこと言わないでえ…」
拙稿「Op.7 参戦記①」の巻頭をそのまま引用してきた。
完璧な三月ってなんだ?
男が惚れる男
抱かれたい男ナンバーワンが気に入る相手というのが和泉三月という男である。しかも新(御堂虎於)も旧(八乙女楽)もというのが面白い。
虎於は5周年ストーリーでアイドルというものについて教わり、楽は2部でこそ落ち込む三月にハッパをかけるが、基本的に三月のことを認めているからこそのハッパ。マウントを取るようなものでは当然ない。
楽について言うなら、Sugaoのラビチャで和泉兄弟と二階堂大和の話しかしてないのはどうかと思うぞ?
ラビチャの相手は紡ちゃんだぞ???
…と言うように、抱かいちまでもが認める男が和泉三月なのだ。
サブリーダー
「アイドリッシュセブン Third BEAT」2クール目のOPテーマソング「WONDER LiGHT」。
2番でメンバーが遊園地の中のゴーカートに乗って遊ぶシーンがあるのだが、
ここで一目散にゴールするのが三月。
多分アイナナのマネージャーなら、ここで一着になるのが三月というのに異論はないはず…
アイナナのサブリーダー(と、作中で明言はされてないが)である三月の、ここぞと言う時のギアの上げぶりに、メンバーもマネージャーもどれだけ救われているだろうか。
私が小学校の時には自然の家での合宿授業というのがあってオリエンテーションハイキングを行ったのだが、グループでの歩き方の指導のしおりを見て不思議に思ったのを思い出した。
サブリーダーを先頭に、リーダーは一番後ろに、その間にメンバーを配置。
リーダーは先頭じゃないのか?
子どもの集まりなので結局並びはバラバラになり、疑問を晴らすでもなく行事は終わり。
それから数十年、今になってそれが一番いい形なのだと気付かされたのだった。
三月が大和をリーダーに選んだのはもちろん最年長だからだけではない。
一生懸命になりたいのになれないという気持ちを見抜き、一人一人をよく見ているという態度をいち早く感じ取り、先へと突っ走りがちな自分を客観的に見た上で、落ち着きのある大和がリーダーに適任だと引導を渡す。
なんとクレバー。
筆者はスポーツの経験に乏しいので言及出来ないが、Re:valeのモモがサッカーの組織に準えて人間関係を見ているのと同様な目線を携えていると思っていいかもしれない。
「ダンスマカブル」で演じたライデンというキャラクターが脳筋キャラで、何も考えてないけどとにかく強いという場面が強調されていたが、戦うのに戦略も(自分も含めた)人の配置も考えなくていいというのは有り得ないので、それを当たり前にこなしてなおかつそれ以上は考えないという性質なのかと思っている。
そう、三月は当たり前に出来ることの幅が広すぎるのだ。
ブレない男
幼少時にゼロに会ってからずっとアイドルを目指し、家業がケーキ屋なので調理師免許を取り、MCとしての才能を持ち、スポーツ万能で喧嘩も強くて、ファンサとプロポーズはサクッとやれよと言う、おいそこの男子よ聞いてるかというイケメンぶり
でもって可愛い
努力で得た素質も含めて、当たり前の幅が広いのに、三月のキャラクターとしてはブレがないのだ。(きっと大和とめっちゃエロ話してるんだろうなあという健全な成人男性というのも含め)
それでいて、モンスターだらけのアイナナメンバー(モンスターなのは陸だけじゃないと思うぞ)の中では割とふつう感を漂わせてるのは両親が健在で弟の存在も公に見えててなおかつ苦労人というスタンスだからか。
それでも色々あるのがアイナナの世界なんだけれども。
(逆に、「一国の王子」というチートな設定のナギをアキバでたむろってるハーフのオタクという「ふつう」な青年に仕立て、王子というポジションに充分な説得力を持たせつつ、兄弟関係の悩みに話を落とし込んでしまうアクロバティックな演出を施すのもアイナナである。身分を隠してお忍びでというストーリーも昔からの定番ではあるが、手間暇かけて「六弥ナギでないと」いけない展開にしているのはさすが)
兄弟の絆
さて、可愛くて強くて頼もしい三月に弟の一織はブラコンぶりを発揮しているのだが、
IDOLiSH7のプロデュースをしているのを隠しているという事実を告げるまでには相当の苦悩の日々を送っていた。
4部の、ノースメイアからの生中継のおいての世界中への呼び掛けを、話術に長ける三月より、訴求力のある陸に任せるべきという「戦略」に、一織のコントロールの行方と、それを隠されている三月のぼんやりとした不安を感じ取って戦慄を覚えたマネージャーは少なくないだろう。
兄弟なら普通にして来るであろう喧嘩の場面が全くないことに、兄弟には妙な癒着があるのではと思っていた。
しかし、今年の誕生日企画「16 IDOL ALBUM」での幼少時からの仲の良さ、一織の利発すぎるがゆえの悩み、三月の無条件の弟のへの愛を読んでからの5部の2人のやり取りは、ああ、これがこの2人の正解なのだと思わされた。
2人に喧嘩の必要はないのだと。
欠点という欠点のない一織が唯一悩んでいたのが、最年少の人間がプロデュースという大それたことをしている、それを聞いた三月がどう思うか、平たく言えば嫌われてしまうのではないか、ということで、
三月は三月で、欠点だらけの自分という意識があり、それでも手放しで褒めてくれる(褒め方はともかく)弟まで自分に隠し事があるのかと不安がる。
他のメンバーの家庭環境と比べればごく普通の家庭に生まれ育った2人でも、これだけ別離を恐れるのかと改めて思ったりする
弟の、センターを守り立てることでグループを大きくするのだという理路整然とした説明を、兄は一生懸命聞いていた。弟は兄を贔屓するしないではなく、もちろん保身など考えず、自分が考える未来を切々と説いていた。
一織の「危ないと口で言うよりも行動に気をつけろと伝えた方が、その人のストレスなしに結果に結びつけることが出来る」という論理は的確で、自分も物凄く合点がいった。(こういった行動心理を言語化するアイナナは本当に素晴らしい。)
MCをそつなくこなす三月だが、一織の言うことをすぐには理解出来ないで、一言一言に驚くシーンがあった。
テレビ番組では常に集中力と機転を効かせる必要があり、それをこなしていることからも分かる通り、これは頭の出来不出来という話では無い。
兄が単純に感覚や自分の中の「当たり前」で過ごしていることを、弟は一つ一つ順序立て、問題と解決を試みている。
三月は、これまでそれらを理解することなく突っぱねて弟を傷つけていたのだと自覚するようになった。弟の考え方を受け入れる努力も出来るようになった。
不器用な兄弟の成長を、マネージャー各氏は見守ってきたわけで、もしかすると自分たちのきょうだいと照らし合わせて見ていた者も多いかもしれない。
きょうだいというのは、互いに話をしているようでしていない気がする。
私の歳くらいになるときょうだいは別々に暮らしていて当たり前だし、甥や姪も大きくなって年末年始にも顔を出すかどうか、という具合になっていく。
話し合いが必要になるとしたら、老いていく両親の心配になるだろうか。
逆に家業などで職場を同じくするきょうだいなどは、距離が近過ぎて、という感覚はあるかもしれない。
ただ、どういった境遇にあっても、話し合ってお互いのスタンスを見つけていく作業はなかなか出来ずに終わっていく気がする。きょうだいはきょうだいであって、それ以上でもそれ以下でもないのだし、話をするのも今更という気がするし。
ただ和泉兄弟に関して言うなら、
自分の世界を持つ兄と、その背中を追いかける弟、独り立ちする大人の兄と、まだまだ甘えたい弟。
4歳の差というのは絶妙なバランスを描いているような気がする。
近付きたいが近付き過ぎるのもお互いに困ってしまうだろうが、なんといってもまだ21歳と17歳。
2人はこれから適切な距離感を取り戻していくのかもしれない。
本当の兄弟
そんな三月に命を吹き込んでいらっしゃるのが声優の代永翼氏。
成長し続ける三月というキャラクターと出会ったのは、代永氏には非常に幸運だったと言ってもいい気がする。発声障害という声を生業とする人間にはある意味致命的な病気を抱えてなおもメインキャストとして名前を連ね続ける。並大抵ではない努力の賜物だろう。
ライブ「Op.7」で生歌を届けようとキャストもスタッフも最善を尽くそうとして、それが痛いほど伝わった。
壇上にいるあなたこそ完璧な三月です。
だから、そんなこと言わないでとマネージャーは泣いたのだ。
「ごめんな完璧な三月じゃなくて」
という挨拶の一方で一織を演じる増田俊樹氏は代永氏を本当の兄さんのように慕っているという内容の言葉を発し、「兄」・代永氏の挨拶の間は心配そうな顔をせず、前をずっと向いていた。
ああ、これが兄弟、家族なんだと。
冠婚葬祭でも横一列に並ぶのは家族だけだ。
血が繋がってても、なくても、IDOLiSH7は家族なのだと、
互いへの信頼があるから、心配をする必要はないのだと
あの挨拶の場面でそう思った。
頑張れ兄弟。
余談
「Op.7」のライブは新型コロナウィルスの蔓延を受けて同行者と隣同士で座ることが出来なかったため、同行した娘とは外で待ち合わせることにした。
すると、大号泣しながら娘が近付いて来た。
挨拶の辺りからずっと泣いていたのかもしれないが、最近はそんな泣き様は見たことがなくて驚いた。
私もついもらい泣きしてしまった。
人の居ないところへ行って、思い切り泣けばいいと移動しようとしたのだが、万人規模のライブの後で何処まで行っても人人人だった。
そのうちに涙が乾いてしまった。
さいたまスーパーアリーナは、帰る客を見送るように7色に輝いていた。
私たちは写真を撮って、笑顔でさいたま新都心駅を後にした。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?