僕はなぜ、訪日外国人(インバウンド)をやりたいのか?Vol.1

 2020年コロナウイルスが世界中を直撃しました。弊社でも経済打撃は甚大で年初は本当に厳しかった。特に訪日外国人事業は昨対比99%減とマーケットが完全に消滅。いまも尚(※2020年9月中旬)も復旧の目処が立たない状況です。

 それでも弊社では「インバウンド産業を未来の子どもたちに誇れる産業にしよう」というビジョンを掲げてます。こんな時だからこそNoteに残したく書きました。

■そもそも僕がやりたい理由(はじめての海外旅行@アメリカ)

 大学生のときに初めて海外旅行にいきました。初めてアルバイトで稼いだお金でパスポートを取り、最初に行った国はアメリカ。今では恥ずかしいですが、見るもの聞くもの全てが規格外。信号一つ渡るのも勇気が居るし、バスに乗るのも怖い、英語も片言なので空港でもビビってます。そんな初体験。

 そのときに海外で助けてくれたのが日本人。初体験のアメリカで開催してたのが第2回WBC(2009年)です、たまたま準決勝(日本VSアメリカ)、決勝(日本VS韓国)の開催地LAにいました、ドジャー・スタジアムに行くと当日券が取れました。そのシーンは今でも脳裏に浮かびます。決勝の韓国戦でイチローさんが決勝タイムリーを放った歴史的な瞬間です。

 当日(ドジャー・スタジアム)、僕の周りは熱狂的な韓国ファンだらけで、ビビリながらこっそり日本チームを応援してました。「異国の地で戦うってこんなに辛いんか」応援するだけでも居場所ないのに、戦ってる選手たちはどれほど孤独か。僕の中でこの試合は野球ファンとして一生の思い出となった反面で、初海外のほろ苦い記憶を呼び起こす記憶となりました。(今振り返ると普通に観光してただけの観光客なんですけどね。。。)


■そもそも僕がやりたい理由(海外旅行に目覚める@東南アジア)

 初めての海外旅行で器の小ささ、世界の広大さを痛感した後は、海外旅行に魅了されていきました。旅行目的は”非日常”の体験。ひとりでリュック一つで出かけるバックパッカー的なスタイルでした。

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 あまり記事には残したくはないのですが「タイの大洪水に直面」「中国での詐欺&逮捕」「フィリピンでの某事件」「オーストラリアで帰国困難」などなど、、、旅に出るたびにトラブルに見舞われました。

 でも旅でのトラブルは必ず解決しました。1人では絶対困難だった事でも、ヒトの出会いや、偶然の産物、火事場の馬鹿力。「可愛い子には旅をさせよ」というのは私なりに要約すると「旅をするとピンチに直面するから、その中で自身の無力さ、他人の尊さを学び人間力を身につけようね!」という事なんじゃないかな。僕はこの経験を通じて「自分一人の限界と、でも何とでもなる楽観視の両輪を実地で体験した」のが1番良い経験です。


■そもそも僕がやりたい理由(将来を考えはじめる)

 僕のひとり旅は暇(かっこよく言えば孤独)との闘いです。そもそもお金が無いので、散歩する→寝る→飲む→二度寝する、くらいしかやることが無い。だから1人で考える時間は沢山ありました。

 たぶんベトナムにいた時です。バイクタクシーのお兄さんが「おまえは日本人か?」と話かけてきます。客引きが鬱陶しいので適当に受け流してると、その方は僕が日本人だと知るや、嬉しそうにHonda製品に対する熱量あふれる愛を一方的に語り出した。〇国製品に比べて壊れにくい、全国民の憧れだとか。さすがに盛り過ぎじゃないかと思うほどです。

全然わるい気がしません。
むしろ初めて日本人であることに自信と誇りを感じた瞬間でした。

その彼とは酒も飲みました。ビール1缶=30円くらいです。貧乏学生の僕でも好きなだけご馳走することができました。現地の若者は「〇〇になりたい!なぜなら▲▲だから」と将来の夢を熱く語るんです、聞いてて恥ずかしくなるビックビジョン。当然ながら勉強もめっちゃしてるし、語学も堪能。

お酒をご馳走してるだけなのに、バイクタクシーの客というだけなのに、
ふっと想った瞬間、下にみてた自分が猛烈に恥ずかしくなった記憶があります。

僕自身には何の価値もない。
優秀だから、頑張ったからお金持ちなわけでなく、たまたま国家間で貨幣価値があったため。その貨幣価値は戦後経済成長を創った、起業家やサラリーマンの努力の賜物が、なにものでも無いアルバイト大学生を金持ちにしているという事実です。

当時はリーマンショック、東日本大震災の直後。
大手メーカーの業績悪化や、失われた20年などのネガティブなニュースが多く、新興国の突き上げもあり、戦後経済を支えるメーカーが軒並み苦戦してました。

自動車、電化製品のように、MADE IN JAPANの誇りと経済発展。
”ジャパン・アズ・ナンバーワン”の勢いは当時ありませんでした。

戦後の日本ブランドが経済牽引をしてきたように、将来を牽引できる産業に携わりたい。それが僕自身が謳歌できた恩返しにもなるし、未来の子供達に少しでも貢献できるだろう。このとき社会人になる前だったので異国の地でぼんやりと考えたのが始まりでした。

その中で選んだ事業が”訪日外国人向けの観光業”です。

「次へ続く」


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