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近況報告というの名の今の記録

⭐️始めに

みなさんお久しぶりです〜!!
もう多分ほとんどの方とお久しぶりになってる気がします。

あまり“場”に参加ができておらず、直接お会いしたり、お話したりはできておりませんでしたが、繋がりある方々の素敵な生き方を見て、勝手に元気や暖かさをもらっていました!

最近、何してるの?とかどこにいるの?ってよく聞かれるようになって、
ふと自分のSNSを見返したら、2022年4月からほぼほぼ近況報告っぽい報告もしていない&“場”にもあまり顔を出していない、、と気が付き、久しぶりにちゃんと発信用に文章を書いてみています。

ひとまず、完結に近況報告すると、私は相変わらず、自分の納得する生き方を模索しながら、ゆるっと生きてる感じです。

ただ、このnoteはいつかの私の為の記録の役割も兼ねているので、きちんとした現実の側面のお話と付随して最近感じていること等ツラツラ書けたらと思っています。

いつも通りの長文になりそうですが、お付き合いいただけたら嬉しく思います〜!

最近撮った桜🌸

⭐️2年間何してたの?

引きこもり

この2年間のうちの約1年半はほぼ引きこもっていました。
引きこもっていたという表現が正しいかは分からないけれど、間違いなくここ数年で最小限の人との関わりの中で生きていた気がします。

最初の半年は、自身の心の回復にかなり時間と労力が必要だったことに加えて、とにかくやる事が山積みだったので、引きこもりを選択していたというよりは、引きこもらざるを得なかったという感じでした。

出ないというより、出られない。

その期間と比較すると、その後の1年は自身の選択で引きこもっていました。
今考えても必要な時間ではあったと感じていますが、違う選択もできた可能性もあったなと思います。

まあ、たらればは後からいくらでも言えるので、具体的に何をしていたかというと、基本的には両親が亡くなったことで発生していた諸々を片付けたり、調整したり、あとは自分の気持ちと向き合っていました。

相続関係

元々父が亡くなった時に、人が亡くなるとどれだけの手続きが必要なのかは経験したつもりでいたのですが、相続人に未成年がいたり、配偶者以外が手続きすると少し複雑化するもの等があったりして、思ってた数倍はバタバタしました。

ただ、ここ数年の経験で、介護や相続についてはかなり詳しくなったなと思うのでなるべく経験はしてほしくないのですが、必要ある方いましたら、お役に立てることあるかもしれないので、お声掛けください。(笑)

メンタルケア

これは2年前の投稿でも軽く触れているのですが、私自身が思ってる以上に母の介護をすることが自身の日常となり、生きがいにもなっていたみたいで、母が亡くなったショックに加えて急に生きがいもなくなってしまい、同時に”人”との関わりが一気に薄くなったことで、自分の存在意義を見失い抜け殻のようになってしまいました。

まずは、私自身をケアしないとこれは取り返しのつかないことになるかもと思ったので、とにかく自分自身を大切にするってどういうことなのか、何をしたら自分を喜ばせられるのかに向き合いました。

数年以上の関わりがある方は、これが私にとってどれ程難しいかを察していただけるかと思いますが、本当にこれすごく時間のかかる作業でした。

家族

割と外に発信していた情報は両親のことが主だったのですが、実は母の介護と同時並行で祖母の介護もしていました。
(2021年の11月、母と祖母の病院を毎日往復100kmはしごしてた時が一番ピークにやばかったと思ってる)
なので、母の介護が終わったから全て終わりということもなく。

加えて、弟たちの引っ越し時期や大学入学等も重なってたので、全部が落ち着くまでは結構かかりました。

そして、これは想定外だったんですが、厄介なことに存在意義を見失った私と一人娘を失った祖母が共依存のような関係になってしまい、実際に祖母の介護関連で環境を安定させるために大変だったのも事実なのですが、双方がより意図的に大変にしてしまい、色んなことを落ち着けるのにめっちゃ遠回りをしました。

ここまでが強制引きこもり期間。


ここからは選択的引きこもり期間と脱却に向けたお話です。

⭐️脱却に向けて

引きこもり脱却(?)

そんな1年半の引きこもり生活脱却のきっかけは、引きこもって1年くらい経ったとき急に訪れた「何をしても楽しくない」というやばい詰み期でした。

私は何かを頑張った時に、自分にご褒美してあげる。で、一旦ちゃんと区切る。を、意識してて、何か頑張ったことがあったら、ご褒美タイムを挟むようにしています。

この時は、本当に大変だった相続が片付いた時で、まじで頑張った!!お疲れ私!!よし、ご褒美するぞ!!といつもよりさらに意気込んでご褒美に臨みました。

なのに、いざご褒美をしてみたらどれもイマイチ。そんなはずはない、どれかは楽しいはずと思って色々試したんですが、本当に全部ダメでした。

こんなに頑張ったのに、ご褒美が楽しくない。せっかく相続が片付いたのに、なんか地続き感があって、スッキリしなくて、めちゃくちゃもやもやイライラ。

割と病みかけていた時に、コーチに「もしかして、ゆめちゃんもう手札がないんじゃない?」と言われました。
最初は、?!?!、どういうことだ?と思ってたんですが、どうやら引きこもり期間だけでなく、その以前から母の介護に集中すると決めて自身の世界をより閉じていく方向に動いていた私は、知らず知らずのうちに、新しいものに出会う機会が減り、世界が狭まっていたみたいです。

だから、もう既存の手札ではご褒美になるようなワクワクするものがないのに、新しいものにも出会っていないから選択肢も持ち合わせていない詰みの状態。

ただ、これに気づいた時、それだーー!って解決に安堵した気持ちと同時に押し寄せたのは恐怖です。変わることへの恐怖。

変化への恐怖

その後も、原因には気付いたのにやっぱり変化が怖くて、動けず。

どんどんと楽しかったはずのことが、楽しくなくなっていく時間を重ね、
これは早めに引きこもりを脱却して、新しい選択肢を自分に与えてあげないと私の人生はどんどんつまらなくなっていってしまうぞ、、という実感だけが湧いていく日々を数ヶ月送りました。

基本的に考えてるうちに、考えることに飽きて動き出すタイプなので、結構苦しい日々ではあったんですが、ずっと閉じた世界で生きて、その世界が日常になってしまった私にとっては外にエネルギーを放ちながら、関わりを持ち始めるのはかなりの怖さがありました。

うだうだもだもだして、結局気付きから動き出しまでは半年くらいかかりました。

これ面白いことに変化を阻むように、怒涛に色々と起きるもので、上手な言い訳ができてしまったのも、良くなかったです(笑)
(おばあちゃん入院するし、4年以上放置されてた親族の相続動き出すし、色々。)

まあそのお陰(?)で、半年は逃げられたんですが、やっぱり行動しないと自分で自分にイライラするし、頭の片隅を新しいものに出会いに行かなきゃ!、変化するのは分かってるのになんでできないんだ、、!という声で支配されているのに耐えられなくなり、やっと向き合うことを決心しました。

これが半年くらい前。

ただ、新しい出会いをすると言っても何から始めたらいいのか、どういう方法が自分に向くのか何もわからない状態だったので、まずは自身の状態と状況を整理するところから始めました。

私の日常道

石垣島という選択

色々と整理して考えた結果、私は山梨・東京から離れないと家族を言い訳に逃げてしまうこと/全てを一新するくらいの新しい出会いをしないと手札を増やせそうにないことが分かったので、簡単には言い訳できない飛行機の利用が必要となりそうな場所で新しい出会いの候補地探しを始めました。

最初は、海外も考えたんですが、祖母の容体が万全ではなく、どうしてもそこまでは自分の気持ち的に踏ん切りがつかず、国内でいくつか候補地を出し、調べる日々。

ただ、条件さえ合えば、どこでもよかったので逆に決めきれずに迷ってしまい、、
またうだうだ期に入りそうなタイミングで、ひとつのお声掛けをもらいました。
お世話になってる方から、「石垣に私の友達がやってるゲストハウスがあるよ」と紹介をもらったんです。

石垣島自体には一度、循ゼミ(母の介護が本格化する前2021年前半までお世話になっていたコミュニティ)の合宿でお邪魔し、全体的にすごく素敵な場所だった思い出があり、特に合宿でお世話になった白保集落はいつか戻りたいと思っていた程でした。

そして、本当に運命的なことに紹介してもらったお宿が白保だったので、
もうこれは行かない選択肢はない。気持ちが消える前に!と、迷わず石垣行きを決めました。

幸い10月頃だったので、お宿が混んでおらず、すぐに3週間弱の宿泊が予約できたのはめちゃくちゃ幸運でした。
なので、お宿を紹介してもらってから、2週間後にはもう石垣島にいました。

(ちなみに仲良くなった今はめちゃくちゃ笑い話になってますが、まじで人と関わるの怖すぎて、紹介者の方にも紹介した宿に行くことを告げず、宿にも紹介のことには一切触れずに全部オンラインの手続きで、予約を取ったので、紹介者も宿のオーナーも驚かせました。)


そして、この石垣島を大きなきっかけとして、今は少しずつ引きこもりを脱却して、変化の日々です。

毎朝朝日チャレンジ


ここから文字通り近況報告に入っていけるかなと思います。

⭐️合宿

石垣島合宿

これはめちゃくちゃ偶然なんですが、お世話になっているコーチの合宿が今年1月に石垣島で開催があり、定期で行くのと重ねて合宿でも石垣島にお邪魔していました。

いくつかワークをしながら、今年の目標を定めるのが合宿の目的だったんですが、一つ私のワークが私に刺さりまくったので、まずはそのお話から。

合宿序盤にやった人生全体を7つに分けてそれぞれの現在の満足度を数値化するというワーク。

最初は、現在の体感で自分が思うままの数字を出し、2回目は理想の未来から逆算してそれぞれ数字を出します。

これがめちゃくちゃ面白くて、私の結果は、1回目はどれもかなり低い数値だったのに、2回目の理想の未来から逆算して数字を出した時には、かなり高い数値になりました。
これどういうことかというと、自分に全く自覚はないのに、もうかなり理想の人生に近づいていたということです。

この結果に、私が感じたのは喜びよりも戸惑いと恐怖でした。
私は自分自身が思っている以上に幸せなことに気付いて”怖く”なったんです。

多分なんですが、私は他者から、客観的にみて、“可哀想”だと思われる人生であるという自覚がきちんとあり、同時にそれをどう魅せたら自分が得をするか知っているんだと思います。
意図せず利用してる事が多いので、ちょっと他人事みたいな書き方になりますが、
今まで自身でも嫌だなと思いながら、どこかで無意識にも意識的にも利用していた部分がある気がします。
そうすると、人が助けてくれると知っているから。

同時に、元々自己肯定感が低く、自分が幸せになっていいはず無いバイアスを外すことをずっと苦手としてきている私にとっては、「私なんて、、」と思う位置に自分を置いておくことがすごく楽だったので、自分が幸せである実感を伴う数字が出てきたことはとても恐怖を感じるものでした。

ただ、他の誰でもない自分自身が出した数字で、自覚ができたので、今は面白がりながら自身の幸せと向き合っているところです。
(私の理想の未来は読む人を選ぶかなと思うのでここには記載してないのですが、隠すものでもないので気になる方はお会いした時に、お尋ねいただけたら語ります!)

合宿でルロチュス戻れました🫶🏻

仕事とシゴト①

このワークの中で、唯一1回目も2回目も数字がほぼ変わらず低いままだったのは仕事とシゴトでした。
ここで言う仕事とシゴトは

仕事=生計を立てるための対価を得るための働き
シゴト=有給無給に関わらず、自分がやりがいを感じる働き

これはどちらも私が大学卒業からずっと頭の片隅に抱えていたもやもや。
学生時代急に訪れた介護生活、逃した新卒就職、固定で働けない環境。
仕方のないことではあったし、自分自身の選択を後悔はしていないけど、周りを見ながら、ずっと抱えてた”仕事をしてない”事実。

ただ、どうにもできない部分も大きかったので、もやもやはしていたけど、放置していました。
でも、改めて数字で確認してみると、明らかに理想の未来に対して道を阻んでいるのはここでした。なので、今回良い機会だと思い、きちんと向き合うことにしました。

そして、見えてきたのは、武者インターン時代が割と私の働き方の理想の原点になっているということ。
(武者=海外ビジネスインターン武者修行プログラム)

惰性でオタク

ここで一つ別の話を挟むんですが、合宿中の別のワークで面白い気づきがあって、それが、”ここ最近の私は惰性でオタクをしている”ということ。

惰性でオタクのワードが気に入りすぎてるんですが、
常日頃、推しがいないと頑張れないを言い訳に熱しやすく冷めやすいくせに常に推しを見つけてはオタクをしている私。

ただ、ここ最近の私は、オタクをする為に、推しを探すみたいな手段の目的化を起こしていました。
これなんで起きたかというとどうやら私は、”夢中”になれる時間を探して求めていたっぽいです。

これが武者のインターン話と繋がってくるんですが、学生時代ってもっとフラットにオタクしてなかったっけ?って思った時に、思い当たったのが武者の営業インターンとCDでした。
もうだって、学生時代の一部はまじで武者に捧げたって言っても過言じゃないくらい夢中で必死だったあの時間。
本当に楽しかったんだよね。毎日みんなと全力で数字追ったり、自分と向き合ったり、夢を語ったり。

で、今私はそれの代わりになる時間を求めて、オタクをやってたみたい。

あと、母の介護期間はSNSも全部辞めてたし、全くオタクしてなかったので、暇潰しも兼ねてるんだと思います。
何かをしてないと怖いから、代替品にオタクすることを選択してたみたいな。

ただ、私ちゃんとオタクではあるので、暇つぶしと熱中できる時間の為に、惰性でオタクをやってるなんて推しに失礼すぎて自分が耐えられないので、この惰性オタクを卒業すると心に決めました。

仕事とシゴト②

で、話を戻すとどうやら仕事とシゴトを満足の形に持っていけたら、惰性でオタクもしないことに気付き、私にはもうここを底上げするしか選択肢がありません。

ただ、数年”働く”から離れていて、仕事にも割と抵抗感が強くなっていたので、働けばいいのは分かってるけど、嫌だな〜〜!!が正直な気持ちでした。

いつの間にか私の中で
働く=怖いこと
になっていたんです。

ただ、ここを上げないと私の人生全体に影響があるのは間違いないので、じゃあ何で働くの怖いんだろう?を紐解いていきました。

そして、見えてきたのは私の幾つもの働くことへの思い込み。

地元で働かないといけない、時間に縛られる、パーソナルな部分に踏み込まれる、嫌な人とも関係を築かないといけない、職歴資格がないといけない等々、、
めっちゃ色々仕事に対して”偏見”を持っていました。

でも、これ逆を返すとこれらの条件をクリアすれば、私は働ける事が分かりました。
なので、全部ひっくり返して、

⭐️パーソナルなことを聞かれない、既に私のことを知っている人や場
⭐️地元以外
⭐️時間に縛られない

で、仕事を探すことに。
でも、これ条件を見直して考えてみたら、生計をたてる対価を得るものという意味では、私は仕事だと思ってやっていないけど、既に私自身がやっている仕事はいくつもありました。

私は勝手に正式に給料が出る=仕事だと思い込んでいたので、仕事だと認識していなかったんですが、きちんと対価を得ているなら、それは仕事だと思うよ。と言われ、改めて考えてみたら、母や祖母の介護関係や弟の奨学金関連の手続き、祖母や祖母の友人の送迎、友人家族の引っ越し手伝い等は、日常で対価を得てor得る為にやっているものなので、“仕事”でした。

そして、新たに私にできそうな仕事の候補もいくつか見つかりました。

仕事とシゴト③

ってことで、今年の1月から、”日常で対価を貰いながらやっている役割の整理”と”繋がりある人伝てで仕事をもらう”をしながら、私は何が好きなことなのか、出来ることなのかを実験してるところです。

めっちゃ些細なことから、どんどんヒントを得られるので、めちゃくちゃ楽しい。

この前は、学生時代に全く同じ役割で働いていた同期と話してて、当時楽しいと感じていた業務が全く一緒で話がすごく盛り上がって語り合ったら、楽しいと感じていた業務内容は一緒だったのに、楽しいと感じていた要因は、全く違ってすごく面白かったです。

ちなみに今のところ、私は、

自分の知らない世界を見ることで自分の理解が深まること
何か明確に役割を与えられて場にいること
自分の気遣いが褒められる場
話す&文章含め言葉を活かせる場
家事や介護の経験が活きる場

が好きな感じがしてます。

具体で言うと、今はアーティストサポートのプロジェクトに事務局としてジョインしていたり、石垣の宿で宿のお掃除したり、市場でお弁当売っていたり、山梨で送迎バイトしたりしてます。

完全に実験中なので、対価と自分の納得感が一致すれば割と何でもやってるので、何か仕事紹介してくれる方いたらお話待ってます〜〜!!
ちなみに、仕事探してますって大声で言うようになったら、いろんな人がお話くれて本当にありがたい限り!!

石垣でお散歩お手伝いしてるお犬


これで割と二年間については話きった感じがあるので、

⭐️これからについて

拠点について

直近の拠点は、山梨と石垣島と東京になるかなと思っています。

一度行ってみると、石垣島って意外と気軽に行ける場所だと気が付き、ここ半年で4回、毎回2週間から3週間行ってます。ただ、山梨でやらなきゃいけないこともあるので、山梨にもいます。
そしてありがたいことに都内でも繋がりが増えたり、再びご縁繋がるものもあり、都内にもいます。

どこに帰っても「おかえり〜!」と声かけてもらえる人生、幸せすぎる!

あと、個人的に好きなので神奈川方面も結構行っています。

そして、こんな生活を始めてみて、私は移動が苦痛じゃないむしろ好きだという気付きがありました。

学生時代から武者のオフィスにお世話になりまくりながら、半分山梨半分東京みたいな生活して、武者生に会いに日本中飛び回ってて、色んな人にフッ軽って言われ続けたけど、自分ではフッ軽って感覚が薄くて、全然普通じゃない?と思ってたんですが、どうやらこれ好きなことだから、普通に出来るんだと今更実感してます。

本当に楽しい〜〜!!

石垣で素敵な出会いをしすぎていて、既に今年中に、名字以外何も知らない老夫婦に会いに山口に行く予定と宿で出会った美味しそうなドーナツ屋さんのオーナーさんに会いに北海道行く予定と素敵なお姉さまたちに会いに神戸に行く予定と今年の石垣島の豊年祭には絶対に行く予定が立っていてすごく楽しみ。

(あと、最近は長野の松本が最高すぎてる気づきを得て、今お気に入りの駐車場探し中です。)

波照間ブルー

仕事について

上記で書いたように、今は一旦働き方の実験をしてみる期間にしています。
一旦はアーティストサポートのお仕事と石垣でのお宿の手伝いと引き続き家族関係がメインになりそうですが、色々実験して行きたいので、何かワクワクするお話あったら待ってます◎

最近、山梨で電気工事の現場の手伝いと石垣で知り合いの知り合い伝てにマンションの塗装のお仕事もしたんですが、普通に楽しくて、今しか絶対こんな経験できないと思っているので、私にできることなら何でもチャレンジしていきたい所存。

ただ、”私に出来ること”なので、ちゃんと向かない案件はきちんとお断りもして、なんでもかんでもやってみるではないので、良いバランスをとりながら実験できているかなと思っています。

最初にも書いたんですが、このnoteは私の記録も兼ねているのでここからはまだまとまってはいないけど、最近考えてることについてつらつらと。

⭐️最近考えてること

家族について

これ私にとってはずっと課題だけど、より顕著に問題見えてくるようになってきて、もしかして私の家族に対する執着って異常?!と思って考えてたんだけど、最近1個の仮説が立って。

多分私、今の家族を”人生で最後の家族”だと思ってるんだよね。

よく結婚願望がないって言うと驚かれるんだけど、本当に皆無。
面白いことに私外見判断的には、めちゃくちゃ結婚願望ありそうに見えるらしい。笑

ただこの結婚願望皆無に関しては、まだもうちょい揺るがない気がしてる。
いつか向き合っていく問題なんだろうけど、この前弟とも話して、改めてこれはかなり根源的なものだと再認識したので、解決にはまだ時間が必要そう。

そうなると、これから家族を作る予定のない私にとって家族って今いるおばあちゃんと弟だけだから異常に執着しちゃってるんだと思う。

3人がいなくなったら、私の家族がいなくなる恐怖。

だから、割と外から見たら3人が私を頼りすぎてる構図になってるんだけど、私も多分何かを求めて3人に執着しちゃってるから、これ色んな意味で紐解いていくの大変かもと思ってる。

弟たち

居場所について

私にとっては家族の問題について考える上で付随してくるのがこの居場所問題。
多分ここがふわっとしてるし、私の中でずっと揺らいでるから安定しない。

ずっと目指している考え方は、学生時代に読んだ生きる技法という本に書いてあった依存先を増やす形の自分の居場所づくりなんだけど、できた!と思ったら、いや違ったかもを繰り返していてなかなか難しい。
でも、最近感覚として掴んできている感じがあるの。

元々この考え方には大納得してたし、目指してたのに上手くいってなかったのは私の人間関係は長く続かない。いつか切れるという思い込みだったっぽい。

保育園小中高と本当に薄い人間関係の築き方をした自覚があって、広く浅くだったから、卒業したらさよならの繰り返し。
だから、人間関係はいつか終わるものって思い込みがあって、連絡を取らないとか疎遠になったら大体自然消滅。二度と会わない。って思ってた。

そうすると、一時は依存先が増えたり、安定したりするんだけど、フェーズや興味が変わると既存の場所と疎遠になるから、また依存先を探さないと!と思ってた。

でもここ最近、別に人間関係って切れないってやっと気づいた。
切れると思うのはこっちの思い込みだし、切れたと思って連絡を取らない選択を自分がすることで、切れてるんだなって。

これ本当に面白くって、私2年前の時に病みすぎて2度と会わなそうな人SNSブロ解したのに、ここ一年くらいで10人くらいまた繋がり直してるのね。
まじで思い込みでしかないっぽい。普通にきっかけさえあれば再会する笑

Facebookの歴代ヘッダー(高校の同級生)

お金について

めっちゃ難しい問題だなと思ってて、これ私ずっと考えてるのに未だ最適解がわからない。

割と私は自分をお金に執着ある嫌なやつと思って生きてきたんだけど、なんかどうやら違いそうな感じ。

執着強くなってたのは、ここ数年のゴタゴタで知識が全くないのに、収支とも大きな額を動かしてただけだった。
収入そんなないのに急にさ、口座から20万とか30万消えると怖くない?焦るくない?
だから、焦ってどうにか支出を減らさなきゃ!って焦りから、どんどん訳わかんないままケチになったりしてたんだけど、ちゃんと整理したら諸々問題ないことが分かったので、それ以降は割と健全に向き合えてる気はする。

ただ、稼ぐことには興味がないんだよな、、あとなんていうかお金そのもの自体に興味がない。
でも、お金という対価を払わないと手に入らないものを必要としてはいるから、何なんだろうって感じ。

前からずっと言ってるのは、「自分の大切な人に何かあった時に躊躇なく動けるだけのお金があったらいい」なんだけど、普通にやっぱ物欲も湧く訳で、自分のやりたいことにもお金かかるから、あればあるだけいいはそうなんだけど、なんかしっくりきてないかもと思ってる。

生と死について

多分ここがお金に興味がないのと深く繋がってると思うんだけど、私割とずっと最悪死という選択肢があるしなと思って生きているのと、まあいつ死んでもいいかなと思って生きていて。

それを今までは、絶対良くない考えだ、どうにか改めないとと思って生きてきたんだけど、最近は一旦まあこの考え方でもいいかと思って生きてる。

これから楽しみなこととかあるし、別に死にたい願望がある訳ではないけど、すごく生に執着があるって訳でもない。

あと、長生きするのにめっちゃ抵抗ある。普通に自分が年取るの怖くない?

割と昔からおばあちゃんっ子で、おばあちゃんの家にいること多かったから、お世話になってた人が亡くなるとかよくあったし、両親の死とか恩師の死とか”死”というものが近い人生で、すごい命とは向き合ってきた方だと思う。
し、遺された側なので、まじで命を粗末にしたいとかではないから、ここの言語化難しいなと思ってるけど、多分だから老後への蓄えとかキャリアとか関心が薄いんだろうなとは思う。

毎日みんな色んな悩みや葛藤を抱えながら必死に生きてるだろうし、私もそうだから生きてるだけで偉い!!は同意なんだけど、生きてる事が正しいは違う気がしてる。
ニュアンス伝わる?

これパパの死からぼんやりは思ってたけど、2年前ママが全く延命治療しない選択をして、3姉弟と親戚が大揉めした時にめっちゃ思った。
ママが延命治療したくない旨を周りに伝えたら、子供達で説得しろってまじでやいやい言われて、意味分からんすぎた。

そりゃママに生きてて欲しいに決まってるから、私たちだってママを説得しようと思ったし、なんなら、自分がママをこの世に留める理由になれなかったことにめちゃくちゃ絶望したけど、ママが生きてるの嫌だなと思いながら生きてる方がもっと嫌だったんだよね。

でも、周りからは生きてるだけで丸儲けみたいな考えめっちゃ押し付けられてすごく不快だった。

普通にママが望んでないのに延命治療して、生きててもらっても嬉しくなくない?本人が幸せな選択が一番じゃん?

実際何回確認しても、ママの意思が揺らぐことは無かったし、最後意思を尊重してくれたこと感謝もされたから、まじで選択的死=悪ではないと思うんだよね。

生きてる事が正義ではないと思う。

まあ、誰にとってとかどの立場とか難しいんだろうけど。

⭐️最後に

ここまで読んでくださった方がもしいたら本当に感謝しかありません。
私とつながり合ってくださってありがとうございます!!!

私昔から、人に恵まれてるって言い続けてるんですけど、もう本当に素敵な人に囲まれてるなと最近改めて実感しています。

お前まだ語るんかい!って感じなんですが、やっぱり再び人と繋がり合っていくと、自身の特徴が見えるという意味では、マイナスな面もたくさん見えてきている日々で。

たまにミスしすぎて落ち込んだりもしてるんですが、みんなそれも含めて私だと受け入れてくれて、時間を共にしてくれるのが本当にありがたいです。

ちなみにここ最近でいうと、再び忘れ物や失くし物が増えてて、あれがない!これがない!の大騒ぎだけど、みんな慣れたみたいに

あそこじゃない?とか、探しに戻る?とか言ってくれるし、何ならお店とかで私の忘れ物確認してくれたりとかして、もうラブです!

また段々と再会もしていきたいので、お気軽にお声掛けもください。
再会できる日を楽しみにしております。

⭐️追記

自然災害

これを書いている現在もこの半年で4回目、計5回目の石垣島なのですが数日前、朝から地震と津波で私自身すごく考えさせられる時間を過ごしました。

日頃きちんと訓練をされている島の方々の動き、助け合いを肌で感じて、自然と涙が出ました。

本当に何事もなくてよかったです。ただ、やっぱり日本にいると身近に意識する問題ではあるなと再認識しました。

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