見出し画像

生い立ち

死にたい。
死ぬ以外の選択肢はODと自己表現しかない。
薬を買うお金は無くなった。

自己表現すっか〜!
今日はあたしの生い立ちを教えるね。
ちょっと長いけど、暇だったら読んでいって。
一番古い記憶から、始めるね。

最古の記憶

あたしの最古の記憶は2歳だか3歳だかの頃。
あたしのママとあたしのお父さんが取っ組み合いの喧嘩をしている。
あたしは愚直に真ん中に突っ走って、ふたりの喧嘩を止めようとした。
だけど無力!お父さんの蹴りがクリティカルヒット。
ママとお父さんは離婚した。

ママの再婚

その後ママは別の男の人と結婚した。
あたしが4歳の時、弟が爆誕して、ママ、継父、あたしの4人での生活が始まった。
継父のことを『パパ』と呼び始めた日のことはよく覚えている。
だけど、あたしがこのパパのことを、本当の父親だと思ったことは今までにだって一度もない。
このことはあたしの心に大きな罪悪感となってまとわり付いてる。
「育ててもらったのに」「優しくしてもらったのに」「パパだって父親になろうと努力してたはず」こんな感じで。

継父のことを少し教えるね。
継父は不機嫌を全身で表現する。
ドアを思いっきり閉める、足音をドタドタとそれはもうバスドラムみたいに大きく立てる、物を投げる…。
「怒らせたらいけない」これは我が家の暗黙のルールだった。
ママがあたしに目配せするの。「早くお風呂に行きなさい」「早く寝なさい」「早く謝りなさい」

こんな毎日だから継父がいることは『緊張』になった。
継父が仕事を終わらせて帰宅する時間帯、継父の車のマフラーの音、継父がドアを閉める音。継父の気配が我が身に近づいてくるのが憂鬱だった。

繰り返す引っ越し

そんな毎日が続く中、あたしたちは継父の実家に引っ越すことになった。
その時のあたしは小学4年生。
転校は明らかにあたしの性格に影響を及ぼしたと思う。
誰よりも人見知りを自負するあたしが、新しい環境に馴染めるわけもなく…。
継父の母、つまりおばあちゃんとも仲良くなれない。連れ子のあたしは正直嫌われてたと思う。ここの記憶、書いてて苦しいな。

継父と継父の母は、あたしにはわからない大人の事情ってやつを抱えてた。
あたしが小学6年生の頃、あたしたち家族は継父の実家から追い出されることになった。今でも理由はわからないまま。
継父の実家を離れ、以前住んでいた土地に戻る。
この土地にはママの実家があった。

再開した家族4人の生活。
ママと継父の仲は、最悪。増える夫婦喧嘩。
今度はママ、弟、あたしの3人が家を追い出されることになった。
身を寄せた場所はママの実家だった。
継父とママが仲直りをしたら、元の家に戻る。
こんな行ったり来たりを小学6年生から中学3年生までの間に、3、4回は繰り返した。
学校の友達と年賀状を交換しあっていたんだけど、毎年あたしの住所が変わってたの、気づいてた?

エンカウント、希死念慮

この家庭環境はあたしの心をぶっ潰すには十分すぎるぐらいで、希死念慮からくる自傷行為はこの頃から頻発するようになる。

中学1年生の夏休み、あたしは死ぬことに決めた。
下調べも遺書もなし。家にあった風邪薬を100錠、お風呂場で体を洗うついでに飲み干した。
お風呂から上がる頃にはふらふらで、継父に「おやすみ」と行って自室に向かった。
最後の言葉になるつもりだった。

目が覚めた時にはICUだった。
死ねなかったことは苦しかった。
退院した一週間後ぐらいにもODを試みたけど、死にかけたあたしの体は薬を見るだけで拒絶反応を起こすようになった。

あたしはなんのために生まれたのかな、と陳腐なことを考える。

ママの離婚

あたしのこの自殺未遂が、ママと継父の間に大きな亀裂となって残ったんだと思う。
あたしが高校1年生になる前の3月、ママと継父はついに離婚した。
継父のいない生活は、緊張から解き放たれたみたいで…とにかく気が楽だった。こんなことを思うのも苦しいけれど。
継父の苦悩はわかってる。継父も継父なりにあたしの父親になろうとしてくれてたはずだから。心を開けなかったことは申し訳ないと思ってる。

だけど、継父から離れられてもあたしの希死念慮は消えなかった。
高校2年生の頃、ODを再開。
精神科の閉鎖病棟に入院したのは高校3年生の頃。
不登校と入院のおかげで高校卒業は絶望的。
合格した美大にも進めず、あたしは全日制の高校を辞めて通信制高校に転校した。

漫画

通信制高校を卒業して、通信制の芸大に入学した18歳の頃、漫画を描き始めた。
小さい頃から絵を描くことが生き甲斐だったけど、漫画を描いたことはなかった。
この時描いた漫画は某少年漫画誌の月例賞でちっちゃい賞をもらったよ!

タイトルは「あした一緒に笑えたら」


漫画を描くことがアイデンティティになった。

漫画、ここで読めるからよかったら読んでみてね。

大学、退学、今

そんな中、お金も気力も無くなって通信制大学を中途退学。
何も長続きしないね。
でも漫画は描き続けてる。描けなくなった時期もあったけど、やっぱり漫画が好きみたい。
23歳になった今だって何者にもなれてないけどね。

人生ってどうやらこれからもずっと続くらしい。
生きるのつらいけど、みんな頑張ろうね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?