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音楽レク【横浜・港】

6月2日は横浜港が開港された日。
それは安政6年(1859年)。
今から160年以上前のことです。

今回は「横浜港」「横浜」「港」をテーマにしたプログラムです。
それにしても横浜に関連する歌はたくさんありますね~。


赤い靴 

野口雨情作詞 本居長世作曲 大正11年

「横浜の波止場から船に乗って」という歌詞がありますね。
赤い靴を履いた女の子は、なぜ異人さんに連れられて行っちゃったのでしょうか?
その後どうなったのでしょうか?

この歌詞についてはこちらをお読みください。

赤い靴の女の子像(山下公園)


青い目の人形 

野口雨情作詞 本居長世作曲 大正10年

アメリカから送られた青い目の人形たちが横浜港と神戸港についたのは1927年(昭和2年)、この歌ができたのは1921年(大正10年)ですから、歌の方がずっと早いのです。

写真の人形はアメリカから送られたもの、童謡が先にあったので「青い目の人形」と呼ばれるようになったそうです。

意外な事実ですね。


港町十三番地 

石本美由紀作詞 上原げんと作曲 美空ひばり歌 昭和32年

美空ひばりが20歳の時の歌。
美空ひばりは横浜出身。


別れのブルース 

藤浦洸作詞 服部良一作曲 淡谷のり子歌 昭和12年

喜ばれる歌です。
懐かしいと言われます。

横浜港が舞台の歌。
歌詞に「メリケン波止場」という言葉が出てくる。

淡谷のり子はブルースの女王と呼ばれ、ブルースと名の付く歌を多く歌いました。

最初は「本牧ブルース」という曲名にするはずだったそうです。


港が見える丘 

東辰三作詞作曲 平野愛子歌 昭和22年

この歌も皆さんお好きです。

写真は港が見える丘公園から見た横浜港。

桜の散る季節でなくても歌えると嬉しいです。


かもめの水兵さん 

竹内俊子作詞 河村光陽作曲 昭和12年

作詞の竹内俊子さんが横浜港でかもめを見たことが作詞につながったそうです。

水兵さんはセーラー服を着てましたね、と言うと「そうそう」と笑顔の反応があります。


憧れのハワイ航路 

石本美由紀作詞 江口夜歌作曲 岡晴夫歌 昭和23年

横浜港からハワイ経由でサンフランシスコにまでの船が出ていたそうです。
ハワイまでは9日、サンフランシスコまでは2週間くらいかかったそうです。

ハワイに入ったことがある方は多くいます。
どんなところだったか、美味しいものはあったか、など聞いてみましょう。みなさん、笑顔で答えてくれますよ。


ブルーライトヨコハマ 

橋本淳作詞 筒美京平作曲 いしだあゆみ歌 昭和43年

港は出てきませんが横浜が舞台の曲です。
昭和40年代の歌ですが、みなさんよく歌えます。
よほど多くの人に親しまれていたのでしょう。


上海帰りのリル 

東条寿三郎作詞 渡久地政信作曲 津村謙歌 昭和26年

「ハマのキャバレーにいた」という歌詞から横浜が舞台だとわかります。
リルさんのことは知りませんが、どうしているのだろう、と心配してしまう歌ですね。

下の動画をご覧ください。タンゴのリズムの曲です。


みなと 


この歌は広島港が舞台だそうです。

写真は広島ファンクラブさんのものを拝借しています。
お取り扱いにご注意ください。

歌のとおり春のようににぎやかな港の様子がよく写っていますね。

そして日本で初めての3拍子の曲だそうです。

参加者の認知レベルによって、ベルの旋律奏またはをしました。

楽器活動については会員登録の上「Smile Musicのヒント!」をご覧ください。


マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン 

ジェームズ・ホーナー作曲 1997年

映画「タイタニック」のテーマ曲です。
鑑賞曲として演奏しました。

この映画を見たことがある人は結構いて、嬉しそうに聞いていました。

また、実際にあった事故についてご存知の方もいて、世界的に有名な事故だったことが分かりました。

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