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富山&金沢ひとり旅行記
4月2日(火)
早起きして上野駅から新幹線に乗り、富山まで
上野発6:34 はくたか551号
3列シートの窓際の席を予約しましたが、隣もその隣の席も富山まで誰も座りませんでしたので快適な新幹線移動でした。
残念ながら車内販売はありませんでした。
今回の旅の目的は富山城と高岡城、そして金沢城です。
さらに、義経追っかけとして、義経岩と安宅関は外せません。
富山駅に到着して、路面電車に乗って、富山城へ向かいました。
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奥の緑の屋根の建物は佐藤記念美術館です
富山城は、1543年(天文12年)に越中国西部の守護代・神保長職(じんぼうながもと)によって築城されました。
戦乱の世、上杉氏や織田信長の家臣・佐々成政(さっさなりまさ)といった度重なる城主の交代。1585年(天正13年)には豊臣秀吉の征討を受け破却となりましたが、次に統治を担った前田利長(前田利家嫡男)が修築を図ります。
大火による焼失や一国一城令による一時廃城を経て、再び改修された「富山城」。1639年(寛永16年)の富山藩成立以来、約230年の間、前田家の居城とされました。
1873年(明治6年)、廃城令により取り壊されることとなりましたが、旧本丸御殿は当時の県庁舎として活用され、地元有志が城址の景観整備に当たるなど、富山城を後世につなぐ活動が行われました。
(富山観光ナビより拝借)
佐々成政のことはあまり詳しく知りませんが、
秀吉に対抗し、雪の立山連峰を越えて(さらさら越え)家康や信雄に面会したのは有名なお話ですね。
なぜこれまでして秀吉に対抗したのでしょうか?
新たな文書などが出てきて、研究が進むといいですね。
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天気が悪くあまりいいショットは撮れませんでした
成政はこの山を越えたんですね
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連峰が立ちはだかっていますね
越えた先は長野県大町市です
次に向かったのは富山市のお隣の、高岡市の高岡城です。
富山駅からローカル線に乗って高岡駅で下車。
高岡市も路面電車が走っていましたが、高岡城までは歩いて向かいました。
桜が有名なのだそうです。
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バテレン追放令により大名の座を失いますが
前田利家(初代)に迎えられ、加賀藩の重鎮となります
高岡城の縄張りをしたと言われています
高岡城は模擬天守など派手な構造物はありませんが、
堀の保存率はほぼ100%!
本丸をはじめ、二の丸、三の丸、馬出など見どころ満載でした!
加賀前田家二代当主利長は1605年に隠居して富山城に移りましたが、
1609年の大火により城が焼失したため、高岡城を作り、移り住みました。
利長が1614年に亡くなった後、1615年に一国一城例により廃城となりましたが、城跡は残って「古御城(ふるおしろ)」と親しまれていたそうです。
1615年から現在まで大切に守られていたことに感動しました!
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前田家の兜は長いですね!
重かっただろうなあ・・
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奥に見えるのは小竹藪に渡る朝陽橋
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素朴な土塁がいい味出してます❤
お昼は高岡駅の地下にあるお店で
珍しいホタルイカの天ぷらをいただきました。
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もちろん生ビールも!
そのあと氷見うどんを注文しました(写真撮り忘れた!)
私好みの細麺で、のど越しがとてもよかったです。
下の写真と同じようにとろろ昆布となると的なかまぼこが乗っていました。
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お腹も一杯になり、温まったので、高岡駅からバスで、次の目的地「義経岩」へ移動です。
義経が奥州へ逃避行の時、雨が降ってきたので隠れたという伝説の岩です。
私は義経が大好きで、義経のおっかけをずっとしているのですが、今回の旅行はそれも目的の一つです。
義経岩のある雨晴海岸は立山連峰を写す絶景ポイントです。
そのためか、結構観光客が来ていました。
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コンクリートで固められていて多少興ざめ
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朝早くからずっと歩きっぱなし(15,848歩)。
この日の観光はこれで終わり。
夕ご飯は富山駅近くの居酒屋で。
お刺身食べると決めてました。
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お刺身最高に美味しかったです!
4月3日(水)
二日目も早起きして新幹線で金沢へ
金沢駅のホームから雪の山が見えました。
近くを歩いていた大学教授風の老紳士に声をかけました。
「あの山は何ですか?」「白山!」
「あの山の向こうは?」「岐阜県!」
と明確に答えてくれました。
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金沢駅からJRいしかわ鉄道線に乗って、小松駅まで30分。
小松駅から路線バスに乗って向かったのは、安宅関です。
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義経一行が奥州に逃げていく際、この関所で素性を疑われます。
弁慶は、東大寺復興勧進のため、諸国を回っていると言い、
白紙の勧進帳を読み上げますが、疑いは晴れません。
そこで弁慶は、義経を金剛杖で叩きます。
歌舞伎でも有名な勧進帳。
それが安宅関です。
安宅関は、古くからあった関所ではなく、頼朝が義経を捕まえようと、
各地に設けた新しい関所でした。
弥生時代からこの辺りは、安宅湊と言って、朝鮮半島や中国東北部と貿易をする港がありました。
また、木曽義仲が俱利伽羅合戦のあと、敗走する平家軍を追撃したのも
ここ安宅湊でした。
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すでに雨が降り出してきましたが、海は穏やかでした。
この海の先には朝鮮半島や中国の北東部があるのですね。
義経一行はどんな気持ちでこの海を眺めたのでしょうか・・・
義経追っかけを随分としてきましたが、あとは壇ノ浦と平泉くらいでしょうか・・
いつになるかわかりませんが、しっかりと目で見て肌で感じたいと思っています。
それにしても・・
小松空港に近いので、航空機の爆音が恐ろしいくらい響き渡っていました。
空港は便利で、たくさんの観光客を運んできてくれますが、
近くに住んでいる方々の気持ちを考えるととても複雑な思いがしました。
この日のランチはお寿司を食べると決めてました。
いろいろと検索した結果、金沢駅近くの商業施設の中のお寿司屋さんへ。
回転してない回転寿司輝らりさん。
こちらが注文するとにぎってくれます。
お皿の色で明朗会計。
もう言うことありません!
ホント美味しかったです❤
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いくらから始めていくらで〆めました
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肉厚で甘かった~
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大好き鉄火巻きにしました
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これがまたとろけるように美味しかった!
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これは普通でした
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どれも美味しかった!
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(色が悪いのはスマホのせいです)
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ホタルイカのにぎり始めて食べましたが美味しかった~
真ん中は白エビ、トロトロでうまうま
この旅の最後は金沢城です。
実はあまり期待していなかったのですが・・
なんとなんと!
とてもよく整備されていて、分かりやすくて
金沢市の愛情が感じられるいい城跡でした。
雨の降りしきる中でしたが、じっくり隅から隅まで見学して、あまりの満足さに、
兼六園とか武家屋敷とかの観光地はもう行かなくていいな、と思ったほどです。
金沢城跡は金沢市中心部、小立野台地の先端部に立地する近世の平山城跡です。
天正8年(1580年)、柴田勝家(しばたかついえ)が、それまで当地にあった金沢御堂(かなざわみどう)を攻略し、佐久間盛政(さくまもりまさ)が初めて金沢城主となり城郭整備に着手しました。
賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦後、前田利家(まえだとしいえ)が金沢城主となり、3代藩主利常(としつね)による寛永8年(1631年)の大火後の造営で現在の城の縄張りがほぼ定まり、約300年間にわたって百万石余を領した前田家歴代の居城として継続しました。
(金沢市HPより拝借)
金沢駅は外国人観光客がたくさんいました。
富山駅では外国人に会うことはあまりなかったので、金沢の人気がよくわかります。
京都とか浅草寺のような感じの人込みで、私的にはいささか複雑な気持ち・・
京都駅からバスに乗りました。
最初にお会いしたのは前田利家公です。
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やはり大手門から攻めていきましょう。
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大きな鏡石が見えます
美しい桝形
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二段になっている石垣って珍しいんじゃないでしょうか
大手門から入り、新丸広場を経て、河北門へ。
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桝形になっており、右が二の門、左はニラミ櫓台です
河北門の内部には、どのように復元したかががパネルで展示されていました。(平成22年復元完了)
興味深く見学できました。
ここから三の丸に入っていきます。
次に向かったのが石川門です。
1788年に再建され現在まで残っています。(重要文化財)
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二の丸の入り口は橋爪門です。
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橋爪門は、続櫓、五十間長屋、菱櫓とずっとつながっていて、内部を見学できます。
橋爪門の内部では、管理されている方から丁寧な説明をいただきました。
誇らしく話されているのが印象的でした。
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左手は河北門
(記憶が正しければ・・)
二の丸から極楽橋を経て、本丸へと入ります。
三十間長屋(重要文化財)があります。
この内部でも、管理されている方から詳しい説明を受けることができました。
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1858年再建
火薬庫として使用されていた
三十間長屋から、鉄門跡を経て、登っていくと、戌亥櫓跡がありました。
本丸にはかつて天守があったのですが、1602年に焼失してからは
御三階櫓が立てられていたそうです。
最近になって資料が出てきたので、もしかすると、いつかは再建されるかもしれませんね。
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戌亥櫓のある場所が金沢城の一番高台になります。
ここから私の大好きな土塁を見ることができました。
美しいです❤
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金沢城は、見ごたえある素晴らしい城でした。
こうして今回の旅も終了です。
二日目は16,277歩。
帰りは奮発してグリーン車で。
シートは、東海道新幹線とは違って、椅子がググっと上がって、足全体を休ませることができるタイプ。
歩き疲れた足にとてもやさしいシートでした。
車内販売もありました。
富山、高岡、小松、金沢、どこも美味しくていいところ。
ほんの束の間でしたが、リフレッシュできました。
旅っていいですね~
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