犯罪加害者の家族
僕も東野圭吾の「手紙」を読んだ。
その頃の僕は「テレビドラマのプロデューサー」をしていた。
読後、とても悔しかった。
何故なら、僕はこの本が出版される前に、「オリジナルで、犯罪加害者の家族についてのドラマ企画書」を書いていたからだ。
本来、ドラマは「犯罪被害者とほの家族」を描き続けてきた。
でも、「何の罪も無い犯罪加害者の家族」の物語の方が、不謹慎を恐れずに言わしてもらえれば、「ドラマ」があるのではないだろうか?と疑問に思っていた。
少し違うが、かつて「JR福知山線」で起き、多数の死傷者を出した「JR福知山線脱線事故」。
僕はあの時の「若い運転手」の家族の思いに気持ちが強く惹かれた。
「JR西日本」の「ハードな日勤業務」を課せられ、それに殺された様な息子。彼のご両親の「慟哭」はどれほどのものだったのだろうか?
でも、日本人の特性として、その「悲しみ」は「たくさんの被害者」が存在する限り、表立っては表現出来ない。
亡くなった墓前で、「若き運転手」の家族は何を祈るのだろうか?そして、何を思うのだろうか?
そうした事をきっかけに、ドラマの企画書を書いたのだが、世の中、同じ事を考えている人がいた。
作家・東野圭吾である。
そういう意味でも、「手紙」という小説は僕にとって忘れられない小説になったのだ。
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