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「儲ける」と「幸せ」

今の日本、なんでこう息苦しく生きにくいんだろう、と思っていたら、ある事に気が付いた。

僕はテレビ関係の仕事をしているのだが、僕が入社した1980年代、「テレビ」は「お茶の間」に「楽しみ」を提供していた。

それは「笑い」であり、「感動」であり、「エロ」でもあった。

でも、作り手も視聴者の方々も「テレビ番組」を楽しんで作り、楽しんで観ていたに違いない。

しかし、今はである。

「テレビ局」は「儲かる事」に走っている。「映画」に出資し、「海外にも売れるドラマ」を製作し、日本の「お家芸」である「アニメ」の増産にひたすら勤しんでいると感じるのは僕だけだろうか?

視聴者もまた、「情報ソース」の多さから、それをセレクトするのに精一杯。

場合によっては、「他人のオススメのエンタメ」ばかり、チョイスする向きも見られる。

この様な事が人生生きて行く上での「幸せ」に繋がるのだろうか?

「幸せ」とは、「余裕の産物」である。「何も考えない時間」があるからこそ、「自分の生きる哲学」を見つけられるのだろうと、僕は思う。

今年の初め頃だったか、「ブータン 山の教室」という映画を観た。

その映画には「幸せの具体的なカタチ」がしっかりと表現されていた。

「人生」に「無駄」など無い。いや、「無駄」こそが実は本当に大切なのだ。

日本人は、「儲ける」という考え方を一旦脇に置いてみた方が良いのかも知れない。

こんなに多くの外国人が地球上の様々な国から訪れる「日本固有の素晴らしい文化」を持っているのだから。

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