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「待つ」ということ

 不登校についての相談を受けていて、ものすごく多い質問が「いつまで待てばいいのか」というものです。自分の子どもの不登校が続くなかで、その質問が生まれてくる辛い心情も理解できます。

 そんな保護者の多くが待っているのは、「(楽しく学校に行っていた)元のころに戻った」子どもの姿、だったりします。


 それは、学校の先生が使う「待つ」という言葉からも、そのニュアンスが伝わってきます。特に、中学校の場合は、3年間という時間制限や、現実問題として高校進学とも密接な関係があるので、子どもはもちろんのこと、大人たちも、焦りの中にいることを感じとることができます。


 フリースクールでは、利用者の在籍校と連携する中で、(事前に子どもの了承を得た上で)先生が活動の様子を見に来ることがあります。

 そこで、フリースクール内で元気に活動する子どもの姿を見た先生が帰り際に笑顔で言うのです。「いつでも学校に戻っても大丈夫だからね。待ってるからね。」と。


 でも、ある子は苦笑いをしていました。つまり、そういう待ち方をされても困る、ということです。

 文科省が定義する不登校は「状況」を指す言葉ですが、子どもがそのような状況に陥るまでの日々に戻りたいと思わないのは、想像に難くありません。保護者や先生から見れば「楽しく通っていた」ように見えても、子ども自身ではそうではなかったということも多いからです。また、子ども達にとっては、学校に行かないこと、フリースールを利用していること自体が、そのような日々からすでに先に進んでいることでもあります。

 ですから、「いつまで待てばいいのか」というとき、そもそも何を待っているのか、待って良いものなのか、を考えることが大事だと思います。待つ気もなく登校などを強制することに比べたらずっとましですが、子どもが応えにくい、応えられないものを待つことほど、保護者にとっても子どもにとっても辛いことはありません。

 では、何を待てばいいのか。比較的、不登校が長く続いている保護者の方が話される「待つ」がヒントになるかもしれません。そのお母さんは、子どもも毎日笑顔でフリースクールに来ているし、お母さん自身もいつも明るく、社交的で、子どもの不登校を受け入れているように見えました。不安を抱えている他の保護者からは、「私もあんな風になれたらどんなに楽になるかしら」と羨ましがられるような方です。

 そんなお母さんが、ぽつりと一言「いつまで待てばいいんでしょうね」、と言うのです。あまりに衝撃的で、こんなお母さんでも辛い思いが消えないのか、と感じたのですが、どうやらそれだけではないようです。

 話を聞いていくと、それは、この子は大丈夫だと信頼した上で、どんな将来を見せてくれるのだろうかという「期待」に満ちた「待つ」でもあったのです。例えるなら、芽が出て花が咲くのはいつなのか、それはどんなきれいな花なのかという希望、だと思いました。

 そうだとしたら、多様な学びは、そんな種が育つ土選びということはではないでしょうか。私たちの活動もその一つとして、その子の良さがもっと大きく花開く場になっていきたい。そんな「待つ」に応えられるくらいの豊かさをもっていたいなぁと思います。

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