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そこまで背負わなきゃいけないのか

自分の人生を生きたい。

アラサーと括られる年齢になり、
最近私は強くそう思っています。

もともと「こう!」と決めたら自分の責任として
突き進むタイプなのだけど、最近は少し
ブレーキがかかる感覚を覚えます。

それは家族のことを考えた時。

私の母は、親(母の両親)と仲が悪い。
口を一切聞かないとか、縁を切るとかではないけれど、これまで沢山嫌な思いをしてきたといつも言っている。
そういう話になると高確率で機嫌が悪くなり、何かの要因が加わると、歯止めが効かなくなってしまう。

そしてきっと友達もほぼいない。
母自身地元を離れていることと
友達と呼べる人は離れたところに住んでいたり、
それでも片手で数え切れてしまうほどなのでは?と
思うくらい、友達とか外部との関わりがない。
(そういう話を全く聞かない)

さらには、父(私の父、つまり母の夫ね)とも仲が悪い。生きるため(お金など)のことがあるから離婚はしていないけど、ずーっと昔から私が子供の頃から、基本的に仲が悪い。たまに良くなる時もあるけど、機嫌悪い時といい時が半分ずつくらい。

そう。

だから、母が私を精神的に頼りにしていることが
何も話さずとも伝わってくる。

私ならわかってくれるだろうとか
私になら話していいだろうって
思っているらしい。
いろんな誰にも吐き出せないことを
たまに爆発させて私に伝えてくる。

それが、嫌なわけじゃない。
家族だし、1人で抱え込む必要もないし、
力になれるならなりたい、
それはいつも思っている。
私ももう大人だし、しっかり聞きつつも、
ある程度受け流す努力は少しずつできるようになった。


だけど。

私に対しても、え、何がそんなに嫌だったの?ってことで怒ったり機嫌が悪くなるときも最近多くって。
思いやりや気遣いのつもりが、全く伝わらずむしろ怒られたり。意味が分からないって思うことが多い。

一緒の空間にいることが怖い、また何かが意図せず
怒りポイントにヒットしてしまうのではないか、、と
正直ビクビクしながら過ごしてる。

母は、すごく孤独なんだと思う。だから、
日々の不満が溜まった時、同時にその孤独や不安が
溢れ出てきてしまうのかなって。

だけど、私も孤独。同じなの。

母から聞かされる家族や親戚の愚痴は
私にとっては正直、結構堪える。
聞きたくないことを沢山聞かされる。
私にとっても大切な人達のことなのだから、そういう人たちに対してのネガティブばかり怒りながら話されても、、という感じ。
悲しい気持ちにしかならない笑

兄弟でもいれば、分散できたり
私も発散できるのかもしれないが、それも叶わない。
友達に言えるような話ではないからこそ、
私の中で消化しなければいけない。
結果、母からの色んな愚痴やネガティブなことは
私にぜんぶ、ぜーんぶ溜まっていく。

私は問いたい。
それは、本当に必要なことなのか。
愚痴を聞かない、という選択肢はあるのか。
でも聞いてあげないと母のつらさはどこへいくのか。
じゃあ私の辛さは??

こうなってくるのである。
そしてこうも思ってしまう。

今の環境を作ったのは、選んだのは、
母ではないか。
これまでの苦労とか、1人で頑張ってきたことは
言ってもいいけど、私のせいみたいにいうのは違くない?
確かに私が生まれて自由がなくなったのかもしれないし
沢山我慢してきたんだと思うけど、それは私が悪いの?

あまりにも言葉が残酷で、勢いもすごくて、
私のことが嫌いなのかな、とまで思うこともあるし

聞いてあげてるのに、結婚も出産も親戚付き合いも
したことないあなたには分からないでしょ?みたいな
謎のマウント的な言い方もしてくる笑

自分だけつらい、自分だけ孤独、
だとしても
自分で作ってきた人生じゃないか。
怒りながら嘆くようにわたしに言ってきても
私はどうすることもできないよ。

結局
かわいそう、と思えてしまうから無視できないけど、

そして
反論したら激昂されてしまうから
何も言えないけど、

それでも、そこで自分の時間や感情をここまで
支配されるのは溜まったもんじゃないと
思ってしまうのです。


私は冷たい人間なのでしょうか。

苦労話を聞くこっちの身にもなってくれ、、、!


物理的な距離をとったら
また心配になるのはわかっているけれど
また一人暮らしをすることも考えようかな。
(本当は結婚と同時くらいに家を出たいのだけど笑)
(まずは相手探しなのだけど!笑)

でも、私が未来を生きていくときには、私も自分の家族と自分の人生を歩みたい。

自分の幸せは自分のこころが決める。
自分の選択は自分で正解にする。

私は自分の選択に責任を持って
生きていきたい!
と頭では思っています。

結びに。芦田愛菜さんが素敵なことを言っていたので
皆さんにもお裾分け。


「相手のことを信じること。その信じるって、実は相手に対して勝手に抱いてしまっている期待のことで。」
「だから、その期待と反したときに、期待通りにならなかったと勝手に思ってしまって、裏切られたという感覚になってしまう人がいる」

人ってどうしても期待してしまう生き物だと思うけど、
自分と相手が同じ思考回路な訳もなければ
価値観だって経験値だってまったく違う。

信じることと、期待することは違う。

こういう視点で考えられたら、周りの人にもっと優しく居られるのかなと、思ったりしました。

今日のnoteは、
そんなの当たり前、と思う人もいるはず。
もっともっと辛い状況の人もいるはず。
学生さんとか、あらゆる要因で
そう簡単に逃げられない環境の人もいるはず。

大丈夫?しんどいよね。

こういう人もいるんだな、1人じゃない、と思えたり、
誰かの誰にも言えない想いを
重ねられるnoteになっていたらいいな。

コーヒーでも飲みながら、午後も仕事頑張りますか!
そうやって日々、深ーく深呼吸しながら!
無理せず生きていきましょう!