見出し画像

短編小説「いつもの日常へ。」

朝起きて、準備をし、仕事へ行く。
帰宅し、また明日への仕事に備える。
それがいつもの日常。
いつもの中に、あなたはいない。

あなたとの時間は、いつもの日常とは違う。
ひとりじゃなくて、あなたと過ごせる時間。

いつもの日常は何の味気もなく、ただただ繰り返されるばかり。
日が昇れば朝が来る、日が沈めば夜になる。
そうやって、毎日一方的にやってくるので、拒むこともせず、
何の感情も持たず、ただその毎日を受け入れるのみ。

あなたに会える前夜から、いつもとは違くなる。
いつもは思わないのに、早く朝になればいいと願いながら眠りに落ちて。
朝になれば、早くあなたの元に行きたいと心踊らせながら準備をする。
駅まで向かう足どりさえ、いつもの歩幅よりも大きく、そして速くなる。
見慣れた駅前も、そこにあなたがいるだけで真新しいような、特別に作られているような駅前に見えてしまう。

いつもと違う、あなたとの1日が始まる。
ひとりで歩き慣れている街の中も、あなたと並んで歩くと違う街並みに。
隣に居てくれているという存在感、繋いだ指先から伝わる体温、なびいた風と共に感じる香り。
ふと目が合った瞬間の微笑みや、時々強く握りしめられる掌。
五感すべてから感じるあなたの存在。
そのすべてを感じることで、ひとりではなくあなたと過ごしている時間は、いつもと違う日常からは離れていることを実感させられる。

このまま、この日常の中だけで生きたい。

日が沈む様子をふたりで見つめ、夜をふたりで迎え入れる。
昨日は、朝を待ちわびていたのに、あなたと過ごしている夜に限っては、夜が永遠に続き、朝が来なければいいとさえ思う。
五感で感じたあなたの存在は、夜が深まっていくほどにより強く、より濃く染み渡るようにして私の中へどんどん浸透していく。
スポンジが水をゆっくり、着実に、隅々まで水を吸収するかのように、重さを増しながら限界まで吸収し続ける。
浸透しようとする力と吸収する力が同等の場合、隙間なく余すことなく水はスポンジの奥底、端っこギリギリまで丁寧に行き渡ることができる。
私の隅々まで満たし終えると、それだけに留まらず今度は外側から、零れ落ちないよう、漏れ出さないよう、ラッピングするかのように包み込まれながら夜に落ちていく。
永遠の夜を願いながらも、あなたに引きずり込まれる夜には抗うことも、逆らうこともできず、求められるがままにふたりの夜に身を沈める。
沈むのはあっという間であり、沈めば沈むほどに抜け出せなくなる。
ただ、そこに怖さは全くない。
もう何度目かの、あなたと夜に沈む感覚を、私は、私の身体もしっかりと覚えてしまっているのだから。
怖くないことは知っている。
そして、こうやって沈み込んでしまった後は、必ず浮上がやってくることも知っている。
だから私は、沈むことの怖さよりも、沈んだあとの浮上を恐れる。
沈みきった底から、ふわふわと、時間をかけて、ゆっくりゆっくり上へと昇っていく感覚。
そう、それはふたりで落ちた夜が明けて、夢から覚めてしまう朝がやってくるということ。

あなたとの時間が終わる朝のこと。

どんな朝よりも、この朝を迎えることが一番辛い。
始まる時には、朝が来ることを願い、終わる時には朝が来たことを拒む。
身勝手と思いながらも、どうすることはできない。
拒んでもやってきた朝を迎え入れ、そしてまたひとりの夜を迎える。
そうやって、また、いつもの日常へと戻されていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?