![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/128164222/rectangle_large_type_2_893530dd7ab59d333650af77ffd94a57.png?width=800)
罪と罰
西洋からきた個人主義の考え方だと、罪は、神様と洗礼によって契約した個人が集まって、みんなで決めた、法、にのっとり、これが、民主主義の、基本的な考え方だと思うが、罪を、法による罰、数字によって償えば、その罪人、個人の罪は、許される、という考え方だと、僕は思っている。
日本人は、大方、西洋人が契約している神様と、契約しては、いない。
僕の考え方は、過去に犯した罪は、数字によって償っても、消えない、という、考え方だ。
その罪に相手がいる場合、その犯した罪を、相手が許すこともあるが、その罪を犯した人間が過去に犯した罪は、消えないと、思う。
罪は、もちろん、その罪を、犯した人間の責任であるが、罪を犯す人間にした人間にも、責任があると、僕は思う。
大きく責任があるのは、その罪人を、この世に存在させ、罪を犯す人間に育てた両親だが、人間を育てるということは、両親だけの責任では無いと思う。
僕は、子供は、罪を犯す人間にならないように、みんなで育てなければならないと、考えている。
だから、ひとりの罪人の罪は、みんなに、責任が在ると、思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?