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整える。

11時に、酵素風呂の予約をしていました。現在11:04。家に居ます。居ますよ。先ほど3回目の「大豆田とわ子と三人の元夫」最終回を観ました。風吹ジュンが、玄関先でとわ子に自己紹介されたそのときにすべてを受けとめているその姿が素晴らしくて、むねがいっぱいになります。いい。何回観ても、いい。そういえば、ご夫婦でやってらっしゃる美容院に夫婦で行って、夫が美容師旦那に切ってもらっている時に、横で風吹ジュンが表紙の雑誌みながら「ねぇ、夫は風吹ジュンいけるよね?」「もちろん!」「いや、まあ風吹ジュンは君を必要とはしていないけど、でもそうだよね、いけるよね。」と話していたら、美容師旦那も「ぼくもいけます」とか言い出して、だよねだよね可愛いよねって盛り上がっていたら、別のお客さんの散髪中の美容師妻が「たのしそうだけどなになに、わたしも聞きたい」と通りがかり、美容師旦那は「夫婦のゲスの会話に参加してる。」とこたえていました。ということがありました。夫婦のゲスの会話って、わしら常日頃こんな会話しかしていないんだが。ちなみに美容師夫婦はこのあと離婚なさいました。

酵素風呂は日をあらためて予約し直したんですけどね、なんでこんなことになったかって、骨折息子のひさびさの喘息発作です。1日で治ると思ったんだけどな、無理だった。明け方ずーっと苦しそうで、むすめ送り出したらかかりつけに連れて行こうと思っていたんだけどね、寝ました。すごくよく寝てるから、ほっとしました。が、やることないから、いや、やることは山ほどあるんだけど、やる気ないからnote。週に1度はnote。

思えば、子どもの頃から文章をかくのが好きでした。みんなが作文を嫌う理由がわからない。読書感想文を嫌う理由がわからない。自分の好き勝手にかいてほめられるんだからこんなたのしいことないじゃん、と思ってました。よくよく考えれば、みんながみんなほめられるわけじゃないのにね。じぶんみたいなもんがほめられてるんだから、誰でもがほめられてるもんだと思ってたの。自己肯定感なんて言葉もなかった時代の子どもだからね。いやまあそれにしてもあれな子だねぇ。

小学校低学年のときの先生は、ベテラン先生だったんだけど、とにかくわたしの文章力をほめてほめてほめまくってくれて、親の前でもほめまくってくれてたんだけど、親はそんなことないですよ先生のおかげですよみたいなことを言ってた気がする。で、ああ親がそう言ってるからそんなことないんだな、となるわけ。素直か!文章かいてんの先生じゃなくておまえだろうがよ!!と、子どものわたしに言ってあげたい。子どもがほめられたら、親はありがとうございます、でいい。いっしょにガッツポーズすればいい。なんなら、わたしが産んだんですよ!!!ってわたしを誇らしく思えばいい。わたしはそうする。わたしがそうやってれば、子どものわたしもいっしょに喜んでくれるんじゃないかな。

子どもを産んだから気づいたことってあるけど、子どもをもたなくてもある年齢を過ぎたら気づけたことなのかもしれない。子どもがいるわたしの人生と、子どもがいないわたしの人生を比べることは不可能だから、実際どうなのかはわからなけれど、どっちにしても、わたしがわたしの人生を生きていれば、それでいい。それがいい。いつでもどこでも誰とでも、どんな瞬間もわたしがわたしでいられれば、それはもう素晴らしい人生だ。

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