見出し画像

公務員をきれいに辞める方法~幼稚園教諭・保育士編~

「なんで辞めちゃうの!?」
「もったいない」
「絶対後悔する時が来るよ」

・・・・・・。

諸先輩方から最後の最後に
こんなネガティブな言葉を
浴びせられることになりましたが。

2023年3月31日。

大好きな幼児教育&保育の仕事から
離れることになりました。

勤務先は、
東海地方の某自治体にある
公立幼稚園、こども園でした。

市役所職員と同等の立場である
地方公務員だったのです。

新卒から23年。

子どもたちと一緒に過ごす毎日が
「先生」と呼ばれる日常が
私の生きがいであり
私の人生そのものでした。

けれど、
大好きな仕事と
公務員の地位を手放した今、
後悔は何ひとつありません。

それは、
ここに至るまでの数年間
表では平然と仕事をこなしながら
水面下で着々と準備を進めてきたからです。

人生の転機は40歳

話は6年前にさかのぼります。

2017年。

3年間の不妊治療の末、
39歳で妊娠し、
40歳で女の子を出産しました。

この手で抱いたはじめての我が子。

幼稚園やこども園で出会う子どもたちとは違う
愛おしさ』と『ぬくもり』を感じました。

我が子とのかけがえのない時間を
重ねていく中で、

我が子と一緒にいられる
今』を大切にしたい。

この世でいちばん大切なものは
時間』だと思うようになりました。

保育の仕事が大好きで
仕事が生きがいで
夢中で走り続けた17年間。

それが、
出産を機に大きく価値観が変わったのです。

はじめての育児休暇

当初、予定していた育休は3年間でした。

40歳にしてはじめての育休。

17年間、一度も止まることなく
働き続けた私にとって

『育休=心のオアシス』

のはずだったのですが・・・。

その頃の夫は仕事で忙しく、
平日は顔を合わせることが
ほとんどありませんでした。

私と娘が起きる前に出社し、
遅くまで残業して
帰宅するのは日付が変わる頃。

『ワンオペ』

という言葉を知ったのもこの頃でした。

(※ワンオペ=家事や育児の負担が
  一人にかかっていること)

なかなか寝てくれない娘
寝たと思ったらすぐ目を覚ます
ミルクを飲ませれば吐き戻す
抱っこをしていないと泣く

・・・・・・。

保育の経験があるとはいえ、
新生児期から生後半年ぐらいまでは
全く未知の領域でした。

産後のメンタルが不安定な時期、
しかも超高齢出産で体はガタガタ。

家の中に娘と二人だけでいると、
どこにも逃げ場がないような気持ちや
孤独感に襲われました。

そんな時に心のより所になったのが、
助産師さんや保育士さん、
子育て支援センターの先生方でした。

助産師さんに教わるベビーマッサージ
保育士さんと一緒に行うリトミック
遊びに行くといつも明るく迎えてくれる
子育て支援センターの先生方

身近に、子育てについて
話ができる相手がいるって大事だな、
救われるなと思いました。

子育てを通じて広がる世界が
あることを知りました。

この経験をしたからこそ、私も

子育て中のママの気持ちに寄り添い
癒しの場所を提供したい

という思いが強くなりました。

ライフスタイルに合った働き方

育休中、
5年後、10年後の未来を
想像していました。

その中で出した結論が、

「あと5年働いたら仕事を辞めよう」

ということでした。

娘を出産したのが40歳。

20代で出産した場合に比べて
我が子と一緒に過ごす時間は
限られているかもしれない。

だからこそ成長を近くで見守りたい。

そして、娘が小学生になったら
家で帰りを待つママになりたい。

育休からの仕事復帰を考えた時、

仕事が思うように休めない現状は
今後も変わらないだろう。

産後の40代、
体力面での不安が大きい。

年数を重ねるごとに重くなる
仕事上の立ち位置や責任。

・・・・・・。

考えれば考えるほど

「あと5年働いたら仕事を辞めよう」

という気持ちが強くなり、
3年間の予定だった育休を短縮し
復帰することにしました。

我が子と一緒にいられる
今』を大切にしたい。

その思いは変わりませんでしたが、
タイミングを逃すと
我が子の保育園入園が難しくなることが
わかったことも一因です。

復帰を早めるにあたり、
ある条件を出しました。

私が勤務していた自治体では、
幼稚園教諭、保育士の
部分休業(時短勤務)取得の
前例がありませんでした。

先陣を切るのは勇気が要ることです。

けれど、
誰かがその扉を開かなければ
その先に進むことはできない。

かけがえのない我が子のために
意を決して
部分休業を取得する』
ことにしました。

この希望はあっさり通り、
育休復帰後の1年間は
0歳児の担任(学年主任)でありながら
時短で勤務することができました。

そして、
私が部分休業を取得した翌年から
後に続く後輩が何人も出ています。

幼稚園教諭、保育士だからと言って
我が子をいちばんに考えたい気持ちは皆同じ。

あの時に扉を開いて良かった、
今はそう思っています。

全力で定時帰りの日々

復帰の翌年、幼稚園に異動になりました。

前任のこども園での勤務が長かったため、
10年ぶりの幼稚園勤務でした。

復帰後の1年間で、
家庭と仕事のバランスが
取れるようになったことと
我が子の保育園生活が落ち着いたので
フルタイムで勤務することにしました。

異動してまもなく
新型コロナウィルス感染拡大防止のため
緊急事態宣言が発令されました。

我が子の保育園も休園になり、
幼稚園の子どもたちとも会えず
悶々としながら過ごす日々。

緊急事態宣言解除後の
制限がある中での保育
思うようにできない行事
・・・・・・

現場では課題を抱えながらも
目の前のことに全力で向き合いました。

そのような中でも

定時に帰る』

と決め、実際に行動していました。

そのためには、

・見通しをもって仕事を進める
・積極的にコミュニケーションを取る
・仕事を分担する、任せる
・常に感謝の気持ちを言葉にする

ことを意識していました。

これを続けていると不思議なもので、
職場の全員が定時で帰る体制になったのです。

それは、
仕事を辞める先月まで3年間続きました。

理想の働き方をイメージする

仕事をしている時は、全力投球。

家に帰れば子育てに専念。

この生活を続けようと思えば
続けられただろうと思います。

けれど、
仕事と家庭を天秤にかけた時、
どちらに比重がかかるかというと
私の場合は圧倒的に仕事でした。

我が子の運動会に行ってあげられない
我が子が病気の時は夫に任せる
家族との計画より仕事優先

・・・・・・

本当は、家庭を第一に考えたい。

そう思っているのに、
仕事に足が向いてしまうのです。

”責任感が強い”

そう言えば聞こえはいいかもしれません。

でも、
家庭を犠牲にしている
我が子を犠牲にしている
という罪悪感が常につきまといました。

この現状を変えたい。

運動会で声援を送りたいし
頑張る姿を目に焼きつけたい。

病気の時は病院に連れて行って
ずっと側で看病したい。

長期休暇中は、
家族と予定を合わせて旅行に行きたい。

そのためには、

時間にしばられない働き方』

を手に入れるしかないと思いました。

そんな働き方ある?

しかも、子どもを保育園に預けながら。

娘の保育園生活は残り1年。

仕事をしていなければ
退園になってしまいます。

時間が自由になる仕事って何だろう?

短時間で収入が得られる仕事はある?

近所のスーパーの棚にある
無料の仕事情報誌をもらって
何度もチェックしました。

けれど、そんな条件の仕事が
簡単に見つかるはずがありません。

そんな時に、知ったのです。

『フリーランス』

という働き方を。

(※フリーランス=
 特定の会社・団体などの組織に所属せず、
 都度契約を結び仕事を請け負う働き方)

2023年4月。

娘は、保育園の
5歳児クラスに進級しました。

そして私は、
税務署に開業届を提出し、
個人事業主になりました。

事業内容は子育て支援。

これまで、我が子と楽しんでいた
手形アートの教室をオープンし、

開業届と就労証明書で、
保育園を継続できることになりました。

・家族そろって朝ごはんを食べる
・リクエストを聞いて娘の髪を結ぶ
・保育園に送る、早く迎えに行く
・寝る前に絵本を読み聞かせる
・掃除機をかける
・庭の花壇に水かけをする
・家族のための料理を作る

今まで、平日にはできていなかったことです。

時間と心にゆとりが生まれ、

『自分のライフスタイルに合った働き方』

をようやく手に入れることができたのです。

ここから先は、
仕事を辞めるまでの最後の1年について
私が経験したことをお話します。

・退職願を提出した時のこと
・退職までの仕事の向き合い方
・退職を報告した時の周囲の反応
・退職までにやってきたこと

公務員をきれいに辞める方法
〜幼稚園教諭・保育士編〜

仕事を辞めるのに、
きれいもきたないも無いかもしれませんが、

"周りに迷惑をかけずにすっといなくなること"

が、私なりの美学だったのです。

今の働き方に悩んでいるあなたに
ぜひ読んでいただきたいです。

ここから先は

4,392字 / 12画像

¥ 500

この記事が参加している募集

退職エントリ

入社エントリ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?