私の内側

 私の中には、別の私がいる。そいつが私を惑わせ、私を悩ませる。十六歳になり、そう感じることが多くなった。「個性的だね」「変わっている」「何考えているのかわからない」私がよく言われる“褒め言葉”である。

 みんなと同じじゃないと変だ、と、人間は無意識にも決めつける。だが、その「概念」はどこからきたのだろう。不思議アタマの私は考える。

 元々内気な性格の私は、「人に合わせる」ことが当たり前だった。人に合わせた方が楽だし、変な目で見られることはない。自分の考えなど、全く無視していたのだ。そんな私の心に、話掛けるような本を見つけた。

 好きな作家である、東野圭吾の本を調べていた。すると、真っ先に目についたのが「パラドックス13」である。その頃ちょうど「パラドックス」という言葉の意味を知った時期でもあった。「パラドックス」とは、矛盾のようで実は正しい、という意味である。それが13とはどういうことだと疑問に思い、私はすぐに書店へ向かった。

 十三時十三分十三秒、P-13現象が起こる。P-13現象の影響で、見ず知らずの男女十三人は、生と死の狭間の世界に閉じ込められてしまう。十三人だけの世界、十三人を殺そうとする地球。生の世界に戻るには、手段を選ぶまでもない。狭間の過酷な世界でも生き抜くのみである。この本には、そんな極限状態での人間の真理が描かれている。

 私は、「奇妙なものだ、と冬樹は思った。死ぬ時期を決めておくことだけが、今を生きる活力となっているのだ。」という冬樹の思いに度肝を抜かれた。死ぬために生きるなんて。お前の中にある概念など取り払え、と言われているように感じた。この時、概念に捉われずに、自分の考えをもつ重要さに気づかされた。

 私は冬樹のこの思いに感動した。「そして最後に彼の意識が消えた。消える直前に彼が考えたことは、兄の時計は正しかった、ということだ。」この “死“が、冬樹の運命を決める、という瞬間である。そんな極限状態にあるにも関わらず、冬樹は兄を信じた。人を信じることは、時に難しい。冬樹にも葛藤があっただろう。その葛藤を押し切った冬樹に、私は敬意をおぼえた。

 だが私には、それと同時に疑問も生まれた。「信じることは難しい」のに、「信じる」ということに実感が湧かないのである。「信じない」は、期待などを全くなくすことから、自分でも実感しやすい。しかし、冬樹と誠哉の関係を見ていて、私は思った。信じる関係にある人とは、深い粋が生まれている。自分も相手も、心を開き合っているのだ。「信じる」という行為は、その深い関係から自然と生まれ、「普通」になっている。「普通」になることで、いざというときの実感が薄いのだと感じた。

 私の心は変わらなくても、周りが変わる。「存在してはならないところに知性が存在する場合、それを消すように時間や空間が動く。」誠哉の言葉に驚かされた。今の地球を見て言った言葉のようだからである。現在、世界各地で異常気象が相次いでいる。地球"という生命体が、辻棲を合わせるためにしている活動なのではないか、と少し怖くなった。

 そして人間も変わる。AIの発達や、機械化が進む。十年後、二十年後には、今ある職の二分の一にまで減少すると言われている。私たちがもつ夢は、達成するしない以前に、不要な職になっているかもしれない。人間自らの手で作り出したもので、自らの将来までも殺しているようだ。とても悲しく感じる。

 先のわからない未来に進むのは、誰だって怖い。世界が大きく変わっても、人間の “心" は、絶対に忘れてほしくない。忘れたくない。

 私のこれからの人生は、矛盾のようでどこか正しいだろうか。私の中には、私がいる。惑わされ、悩まされ、葛藤もしながら、この先の未来を生きていく。

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