要らない「普通」

 今思えば、この出会いは必然だったのだろう。中学の図書館でぱらぱら見ていると、友達に勧められた。しかし、なんとなく読む気にならなかった。後に芥川賞受賞作品となるが、その頃には私の記憶からは薄れていた。それから三年がった今年の夏休み、妹が中学の図書館から借りてきたという本が、机の上に置かれていた。「コンビニ人間」私があの時手に取ったものと同じだった。
「ちょっと読んでもいい?」
と、やはり少し興味を惹かれたのである。

 この小説の主人公は、三十六歳未婚女性の古倉恵子である。「普通」とはかけ離れていた。「コンビニでのアルバイトなら、世界から排除されなくて済むー。」コンビニアルバイトとの出会いはまさに、恵子の人生一の転機であった。それから十八年間、恵子はずっとコンビニでアルバイトをしている。恵子のアルバイト先に、ある日、婚活目的の新入り白羽という男が現れる。白羽は恵子のまだ少しずれた生き方を否定する。そして、より世間に馴染めるよう治そう"とする。白羽に身を任せ、変わろうとする恵子の話である。

 この本を読み終えたとき、私は言葉が出なかった。しかし、しばらく経つと、うやむやだった思いがはっきりと浮かみ上がってきた。それは「普通ってなんだ。」という一つの疑問である。

 「普通」という言葉の意味を調べると、「いつ、どこにでもあるような、ありふれたものであること。他と特に異なる性質を持っていないさま。」と出てくる。後者が私の心にひっかかった。性質は、いくつかのものを比べて発見できる部分だからである。つまり、いくつかを比べたとき、多数ある性質は「普通」になる。そこで「普通」だと認識されなかったものは、除け者にされる。除け者にならないためには、周りに馴染むことが大切なのである。馴染むというのは、簡単なことである。ただ流れに身を任せる、それだけのことだ。なぜそう感じるのかというと、私自身、除け者にならないように生きてきた人間だからである。

 私はこれまで、自分の意見をはっきり伝えないようにしてきた。クラスでの決め事など、全てを誰かに押し付けてきたのである。だた“クラス"という団体の中で浮くのが怖くて、自分を隠してきたのである。無責任であることは分かっている。自分で自分を殺し、また周囲にも迷惑を掛けているのだから。

 私は恵子の決断が印象に残っている。
「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べていけなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞が、コンビニのために存在しているんです」
恵子が白羽に言った言葉である。この言葉を読んだとき、恵子のコンビニで働く理由が、明らかに変わっていると感じた。恵子は、自分自身の居場所こそコンビニであると言っているのである。そして気付いた。居場所というのは自ら“開拓“することが大切なのだ。意見を言わない私、流れに身を任せる私、偽りの私、
そんな私は立ち止まっているだけではないか。

 私がクラスに対し「浮くのが怖い」と勝手に恐怖心を持っているのは、周囲の人との関係づくりができていなかったからではないかと、自分を見直した。高校三年生になり、私は委員会の委員長に立候補した。人前で話すことは苦手だが、このままでは駄目だと感じたからだ。誰にでも居場所はある。変わるべき、変われるべき瞬間であった。

 しかし、居場所の開拓は簡単なことではない。近年気になるニュースは、ネットいじめが増えているというものである。文部科学省は二〇一八年、ネットいじめが約一万二千件あったと発表した。それ以上あると予測されている。ネットいじめは周囲の目には見えないので発見されづらい。またお互いに顔を合わせない分、容易に冷酷な言葉を相手に突きつけるのである。

 今の世の中は、生きやすいか。 生きづらいか。まず、自分が周りに与えている影響を、一人ひとりがしっかり理解するべきである。自分には悪気がなくても、相手からしたらショックな出来事かもしれない。常にその「疑い」の気持ちを忘れないでほしい。家族間であっても、人は言葉を要するのである。言葉は予想以上の影響力を秘めている。無意識に誰かの生きづらい環境を作らないでほしい。あなたの勝手な「普通」という固定観念で、世界中を見渡さないでほしい。私は小さい頃から母に言われててきた。
「生まれてきたってことは、何か使命があるんだよ」

 節目の年、私も居場所を開拓しないと。

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